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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.25

追いつめることだ、この男を。外国人からの簒奪に慣れたこの狡猾な男を。直木賞作家・真藤順丈による現代ミステリ!「ビヘイビア」#7-1

真藤順丈「ビヘイビア」

※この記事は、期間限定公開です。

前回までのあらすじ

技能実習生への非人道的な振舞いが横行する日本。ウズベキスタン出身の青年ガフは恋人シトラの死の真相を探る。タクシー運転手の城之内は万代に命じられた「仕事」――実習生らの逃亡幇助でガフに出会う。ガフの仲間は殺され、外国人を狙う組織が犯行声明を出した。調査を進めるガフと城之内は、外国人女性の女衒をしている剱持という男がシトラの死に関係すると確信を得る。ガフはある覚悟を以て、ヘイトスピーチ・デモに参加中の剱持と対峙する。

詳しくは 「この連載の一覧
または 電子書籍「カドブンノベル」へ

§

 このは、本当はお前たちのものだ──
 じよううちはどういうつもりでそんなことを言ったのか。
 だっておかしでしょ? 実習生や留学生に冷たい東京がぼくたちのもの。
 そんなわけなくないですか。排斥派のデモとカウンターと呼ばれる反対派たちの嵐の目から抜け出して、移動の車のなかでもあれはどういう意味だったのかと本人に訊いてみたが「おれが? そんなこと言ってないだろ」とすっとぼけられた。聞きちがいか照れ隠しか、#RIPシトラのもとに集まってきた追悼者の数と熱気にあてられて、驚嘆とこうようがあらぬ科白せりふを口走らせたのかもしれない。
 新大久保のマンションの屋上から、眼下にひろがる街灯の海を見渡した。ガフの故郷は発展途上の国の田舎町というわけではないけど、それでもこんなにたくさんの夜の光は見晴らせない。硝子ガラスだけでできているようなビルの窓の四角い光。明滅する赤いともしび、首都高をふちどるだいだい色のアーク灯、家族の帰宅を待つ家々の明かり。営為の数だけあるそのどれもが、ぼくたちの手の届かないものだった。ぼくたちのものじゃない。というかこの生き物のようにうねりながら騒音を吐きだす都市は、だれのものでもない。
 正直なところを言えば、もっとましな計画を立てられていたらよかった。抜け目がなくてしかも効果絶大な作戦をたぐり寄せられていたら。言葉や土地勘の面でもハンディキャップのあるガフたちにとって、頼れる武器は理知の力だけなのだから。
 だけど実際のところはどうですか。シトラの死後に動きはじめたガフは、一人きりではなにもできなかった。想像していたよりずっと無力だった。たったいまガフの周りにあるのは、公の機関がためらう強硬手段も選択肢に入れられるこの国の自由業の方々と、その一人が一室を所有するマンションの屋上の高さ、それとタクシー運転手。いちばん最後の人もありがたいことはありがたいが、ものすごい戦力というわけではない。
 だけどやらなくては、ぼくたちでやるんだ。
 けんもちたかを、これから追及するんだ。
 だってこうして連れてきちゃったから。
 さらってきちゃったからね。

 これまでにふれてきた映画や小説を思い出して、ガフは練習してみる。
 よう、ふとっちょ。あらいざらい話さねえなら、あんたのその腹の肉のしっとりやわらかな部分を肉屋の店頭に並べることになるぜ?
 がらっぱちな声色を演出してみても、あんまりさまにならない。心もおどらない。そこで方針を変えて、腕組みをして右手指であごをつかみ、酷薄な葬儀屋のように淡々とした調子でやってみる。まぶしげに目を細めて、だけどまばたきはしないで、話すことを話してくれないとおたがいにとって不利益が生じるおそれがある、というような調子でやってみたけどあまり効果は望めそうにない。
 ぼくにちゃんと尋問なんてできるのか、ガフは心配になってきた。というか間の抜けたアンポンタンな日本語を使って台無しにしてしまわないか。軽く練習したせいでへこんでしまった。すぐ後ろにもう相手は控えているのに。急にいろいろなことが非現実的に感じられて、ガフはしばらくぼうぜんと眼下の夜景を見つめた。
「おいどうした、急に自分の世界に入るな」と城之内が小突いてきた。
「ちょっと故郷で、母さんの炊きこみご飯プロフを食べてました」
「ぼんやりするな、ここが正念場なんだぞ」
「だけど、どうやるべきなのか」
「ここ何日かのことを思い出せ、ここまで来られたのはだれが駆けずりまわったからなんだ。締め上げるのにどうやるべきか、なんて屁のつっぱりにもならない。お前はお前のやりたいようにやればいいんだよ」
「ジョンノチさん、隣でフォローしていてよね」
 おかしなもので、ずっとこの男と行動をしていたからか、これといって戦力にならなくても城之内の助けがあると怖れや不安が静まっていく。綱渡り芸人がよくしなるバーを持つようなものだった。あの長い棒はモーメントを制する働きをもたらす。モーメントは力×長さによって算出される物体の回転の大きさを表わす物理量だ。棒を持つことで綱渡りのモーメントは増加し、芸人は綱の上で回転しづらくなって重心移動が安定するのだ。
 城之内はガフにとっての棒きれだ。もっとも足を滑らせて落ちないようにするには、綱渡り芸人自身の思いきりと覚悟が必要だった。
 すたすたとガフは剱持のもとに歩いていった。拘束はされていないが、立ち会うオサやイケドたちの目に縛りつけられている。頰やおでこはてらてらと脂光りしていて、もたげられた眼差しが屋上の闇のなかで強くぎらついていた。
 これからガフは、この男をやりこめなきゃならない。この自信満々な男を、他の者から財産なり自由なりをさんだつするのに慣れた男を。こうかつな男を。車上から降りたところで別の車に押しこまれ、移動の車のなかで人違いじゃないのかとか、おれをだれだと思っているんだといったかくけんせいはひととおりやってしまって、いまは理不尽な目に遭っているわが身を嘆いてその唇を屈辱でわななかせている。
 こんなふうに向き合うのはもちろん危険なことだった。どう転んでも非合法だし、勢いが必要ではあるが捨てばちになってもいけない。集めた手がかりを提出して警察に突きだすだけでは、あるいは権力にみ消され、時勢や気運に流されて、ガフたちが事実を知ることはかなわないかもしれない。だから法の裁きにゆだねるよりもまずは、差し向かってイリーガルな尋問をしなくちゃならない。
「ぼくはずっと、分別がありました」とガフは切りだした。「ウズベキスタンから日本に渡ってきて、いろいろとたいへんなことが多くっても、だからこそ分別、大事でしょ。だけどそうやって物分かりよく行儀よくしていたら、いちばん大切な人が死んでしまった。職場からいなくなっただけじゃなくって、この世からいなくなっちゃった。だからぼくは分別、捨てることにしました」
「まどろっこしいな、なんの話だよ」
「分別、捨てたらいろんな人が助けてくれた」
「ナス野郎、単刀直入にものを言えよ」
 なぜ野菜? 剱持はその場に立ちつくしたまま、真正面からにらみすえてくる。中央アジアの男が対等な口をきいているのが心底面白くないようで、あざけりやさげすみをあからさまに込めた視線を突き返してくる。ガフは丁重に遇しているのが馬鹿らしくなったが、いったん始めたのだからトーンは一貫しようと自分を励ました。
「ぼくはこう思います。人ひとりの死で世界は変化する。ぼくの場合は、シトラが死んでぼくたちは元の世界にいなくなった。あなたがしていたことは全部、調べをしました。実習生を逃がす仕事、かくまう仕事、無許可の民泊、たくさんあるね? 匿う部屋のひとつが売春するところになっていたことも」
 シトラ、という言葉で剱持が眉の根を強ばらせたのをガフは見逃さなかった。
 お気づきですか? シトラの件だよ、それであなたはここに連れてこられましたよ。
 あの件があったから、こうして講釈を垂れる外国人と向き合っているんですよ。
「お前、こないだの野郎だな」
 剱持はそこでガフの隣にいる城之内に牙を剝いた。
「代理店だとかいって、ひやくにんちようの飛び降りの話もした」
「ああ、その節はどうも」
「どうしてこんなナスを助けてるんだ。もともとグルかよ」
「なりゆきでね。まあこのとおり、優秀な男だから特に通訳はいらない」
「なんなんだよ、こりゃなんの裁判だ。警察も弁護士もいねえところでおれはなにも話さねえ。お前、傷害に拉致に脅迫でブタバコ行きか強制送還は確実だからな。お前らが生まれた途上国とちがってこの国は法治国家なんだ」
「だけどあなたの稼ぎは、無許可や違法のことばかり」
「あのな、おれは法の整備が追いつかないところをカヴァーしてるんだ」
「カヴァーですか」
「食いぶち、寝るところ」
「それを、あなたが?」
「そうだよ、くれてやってんだよ」
「そうかなあ」
「そうだろうが。大した稼ぎにもならねえが、こっちは人助けと思ってやってるんだ。ゆくゆくはきっちりと事業化して法人登録もするつもりだ」
「じゃあ、シトラは?」
 ガフはもう一度、その名前を口にした。剱持がやにわにじようぜつになったのはシトラの名前を出してからだ。シトラの件から話をそらしたいからだ。だけどもちろん、本題を見失って移民問題や法の不備についての議論に突入するつもりはない。
「ああ、シトラな……あのウズベキスタンの女だろ。百人町の事件はそりゃまあ残念だったが、おれはあの女に泣きつかれて、隠れられるところを用意しただけだ。売春? そんなものはやらせてねえ。異国の女をかこって客を取らせるなんていつの話だよ、いまはそういう時代じゃないって」
「あんたはおれと話したとき」城之内が言った。「訪問型の売春の話は認めてなかったかな。企業重役や政財界のお偉いさんにもそういうニーズがけっこうあるって」
「あれはそっちが、アジアの女がよだれが出るほど好物だとか言ってきたからさ。こっちは適当に話を合わせただけだよ」
「ぬけぬけとまあ、しらばっくれる方針で行くことにしたんだな」
「しらばっくれてませんよ」
「だけどこいつは、それで許してくれるかな」
「実を言うと、ぼくはすごく恨んでいます」ガフは城之内の言葉を継いだ。「あなたはシトラを苦しめた。それを個人的に恨んでいます。あなたはぼくが常識をちょっぴり残しているから自分の身に危険はあまりないだろうと思っていますか、でもそれは違う。あなたはシトラの死に責任がある。あなたはシトラに危害を加えた。あなたはシトラの名誉に泥を塗った。あなたはシトラを奪った。シトラを泣かせた。シトラに悪いことをした。そして母親のいない子をひとりこの世につくった」
 そこまで一息にまくしたて、剱持のなかに浸透する効果を狙ってしばらく沈黙した。いまのは声に重量感こそなかったけど、けっこう真に迫ることができたんじゃないか。これで剱持がなにもかも潔く認めてくれたら、あらいざらいをマーライオンのようにざんしてくれたらと思ったが、まあそんな殊勝な男だったらこうして強引に屋上に連れてくるようなことにもならなかったわけで、
「知るか、ボケ」
 と、取りつく島もなく一蹴された。

▶#7-2へつづく
◎第 7回全文は「カドブンノベル」2020年3月号でお楽しみいただけます!


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