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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.52

【連載第52回】東田直樹の絆創膏日記「夕焼け空が怖かった」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす26歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第51回】東田直樹の絆創膏日記「小心者の王子様」

 童謡「夕焼け小焼け」(作詞:中村雨紅、作曲:草川信)は、僕のお気に入りの歌である。聴くと涙が滲んで来る。
 僕が子どもの頃、見ていた景色は、大人になった今とは違っていたように思う。夕焼けは、心を揺する美しい光景ではなく、自分を飲み込もうとしている黄泉の国への入り口に思えた。血の色みたいな赤い空、ずっと見続けたら、体ごと吸い込まれそうで、僕は夕焼けが怖かった。
 夕焼けの空には、必ずカラスがいた。
 黒いカラスは、カァカァ鳴きながら、真っ赤に染まった遠くの空を横切って行く。カラスが去ったあと、静かにお日様は沈むのである。
 ああ、良かった。
 子どもだった僕は、自分が何者にも連れ去られなかったことに安堵した。何者が誰を指しているのかはわからない。悪人なのか、幽霊なのか、猛獣なのか。
 今日を生き抜いたものだけが見ることの出来る景色。それが、夕焼けなのである。
「どうか、明日も幸せでありますように」
 空にまたたく星に願いをかけながら、今日という日に別れを告げる。
 大人になってからは、そんな感傷に浸ることも少なくなった。けれど「夕焼け小焼け」の歌を聴いた時には、夕焼けにおびえていた幼い自分を思い出すのである。

 時々プールで泳ぐ。
 僕は人間の姿をしているが、昔は魚だったのではないかと思うことがある。
「君には、手足があるよ」という人がいるかもしれない。
 水の中に潜っている間、僕は自分の手足の存在を忘れている。自分がここにいて、何をしているのかもわからなくなるのだ。とても気持ちがいい。魂が肉体から解放され、宇宙にいるような感覚。
 水の中では、みんなから離れて、僕はずっと遠くにいるみたいなのに、顔を上げれば、現実に戻ることが出来る。まるで、タイムマシンに乗っている体感、海の中にいる魚になった気分だ。僕が望めば、すぐに別世界に行けるのである。
 歩いている時には、どんな場所でも、そこに自分がいていいのか、悩んでしまう。現実の世界で僕は、まさに草をかき分け泥だらけになりながら、仕方なく前に進んでいる。
 僕が安心できるのは、区切られた場所ではない。
 自分の意志で自由に動き、何者にも縛られず、周りにあるものと一体になるような空間だ。
 出来るだけ人であることを忘れたい。
 それは、僕が生きることから逃げているわけではなく、この瞬間、自分らしい生を全うしたいという望みを叶えるためなのだ。
 リアリティのない世界へ逃避する時間が、僕には必要である。

 時たま、新聞や雑誌などの取材を受けることがある。
 これまで自閉症者に会ったことがないという記者の方もめずらしくない。僕にとっても初対面の人たちである。
 取材の際には、この時間に何を知りたいと思われているのかを気にしながら、僕は質問に耳を傾けている。
 最近は、聞かれたことに答えるばかりではなく、記者の方がどうして、そんな風に思われているのかを、僕からも逆に質問するようにしている。その方が、会話がスムーズに進むことに気づいたからだ。
 記者の方の質問に的確に答えるのは、意外と大変である。それは、質問の意図が十分につかめないためだろう。特に、抽象的な質問や漠然とした内容の問いかけだと、僕自身も何をどう答えればいいのか迷いながら文字盤を指すせいで、自分の意見をうまく整理して伝えられないことがある。
 昔は取材する人が質問者で、取材される人は回答する立ち場の人間だと思っていた。でも、それならメールのやりとりだけの質問でもいいはずである。
 記者の方は、自分の目で見て、自分の言葉で質問することに意味があるに違いない。
 取材される側も、受け身の姿勢だけでは、自分という人間を理解してもらうことは難しいのかもしれない。
 直接会い、互いの価値観を探り合う、それこそが取材の醍醐味だと思う。

 人の気持ちというものは、難解である。
 同じ言葉でも、好きな人から言われるのと、嫌いな人から言われるのでは、別の意味に聞こえてしまうことがあるからだ。どうして、そんなことが起きてしまうのか不思議だが、考えてみれば、あたりまえのようにも思う。
 自分から話す言葉とは違い、他の人から聞く言葉は、次に何を言い出すのか、予想がつかないものだ。自分の気持ちの全てを言葉で表現するのも不可能である。そのため会話の中で、自分の気持ちが満足することは滅多にない。
 状況は刻々と変化し、言葉は湯水のように使われていく。誰に何を言ったか、言われたのか、正確に覚えている人などいない。
 会話をしている間、出来るだけ自分の気持ちに正直に、そのうえ、相手を傷つけたり、気分を損ねたりしないよう発言するには、かなりの気遣いが必要である。しかし実際は、そのような余裕はない。
 言われた方は「こんなことを言われた」と会話の一部が気になり、言葉を反芻してしまうことがある。これは、何を言われたか以上に、誰が言ったかに起因するのかもしれない。結局、聞いている人が自分勝手に解釈するもの、それが会話なのだ。
 僕は、相手のことを好きか嫌いかで、言葉の意味を考えることは、あまりないように思う。いいか、悪いかは別にして。
 感情移入せず会話に耳を傾けていると、どれも矛盾だらけで、おかしな文章が飛び交っていることに気づくだろう。
 人は話したいのだ。いつでも、どこでも、誰にでも。楽しくても、悲しくても、いい加減でも。


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