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連載

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」 vol.3

〈新宿L署〉幹部として着任したばかりの新井琴音は、レズビアンを公言している部下の堂原六花と、管内での捜査に乗り出す。吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」#1-3

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」

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 とあるゲイバーに入り浸っていた六花を、新宿署時代の村下が警察官にスカウトしたというのだ。
「村下さんの髪がふさふさしてた頃だよ。あのときまだ三十代だったんじゃないかな」
「それ、いつの話?」
「えーっと私が十七くらいのときだから、もう十八年近く前になるね」
 未成年でゲイバーに入っていた……。
「それってもしかして、スカウトじゃなくて補導だったんじゃ」
 そうかもー、と六花は笑い飛ばしてしまった。琴音は更に首をかしげた。
「当時はまだこのあたり、四谷署の管内でしょ? 村下さんはどうして二丁目にいたの」
 六花は目を丸くした。
「それ、聞いちゃう?」
 聞いてはいけなかったらしい。村下が、木島にアウティングをきつく注意したことを思い出す。村下はカミングアウトしていないだけの……。
 琴音は慌てて話をらした。
「それにしても、御苑大通りって短いのに、片道二車線でグリーンベルトまであって、不思議だよね」
「この通りは昔、都電が走ってたんだよ」
 琴音が靖国通りの西の方を指さし、説明する。
「靖国通りへ左折して、歌舞伎町中央通りの目の前が終点だったの」
 当時はまだ二丁目は〝赤線〟と呼ばれる、売春が許可された地域だった。
「よく知ってるね。そんな古い話を」
「二丁目に六十年通ってるおっちゃんから聞いたんだ。面白いよ。『雪国』の冒頭みたいに言うの」
 都電が通る道路を抜けると、赤線だった。
 琴音は思わず噴き出した。信号が青になる。六花がペダルを漕ぎ出しながら言う。
「いまはこうだね。〝グリーンベルトのある御苑大通りを抜けると、二丁目だった〟」
『二丁目』という言葉がいまや性的マイノリティの街の代名詞なのだ。
 南へ曲がり、すぐに左折する。新宿二丁目を東西に貫く花園通りに入った。まだ夕方にもなっていないから、シャッターが閉まっている店が多い。コンビニやカフェ、ラーメン屋、小さな雑貨屋が店を開けている程度だ。
 二丁目を南北に突っ切るなか通りとの交差点に到着する。六花が自転車のブレーキを踏んだ。
「ここが二丁目の中心かな。仲通りがメインストリートだね。ビアン系のお店は二丁目の南側に多いよ。あとは殆どゲイのお店」
 六花はハンドルを右に向け、仲通りを南へ走り始めた。
「それにしても、どうしてこの辺りがLGBTの街になったのかしら」
「ゲイバーが多かったからじゃない?」
「なぜゲイバーが多かったの?」
 次々と質問を投げかけても、六花はすらすらと答える。
「戦後の赤線の影響だろうね。ちなみにこないだL署に来た卒配の子、赤線って言葉知らなかったよ。警察隠語なのにね」
 日本は戦前まで、女性が身代金と引き換えに売られる遊郭、売春宿があった。戦後にGHQが人身売買だと禁じたが、するとこれまで生計を立てていたしようが大量に路頭に迷ってしまう。指定地区内での売春が許可されることになった。警察が地図上に赤線を引いて取り決め、赤線は誕生した。
「赤線は一九五七年の売春防止法施行で消えたのよね」
「そう。赤線だったころから、二丁目は男娼もいたの。都電であの界隈が分断されるまでは、いま三丁目になってるとこも二丁目で、そこに日本の元祖のゲイバーがあったらしいよ。しまも通ってたとか」
 赤線の廃止以降、この界隈はすっかりゴーストタウンと化し、人が寄り付かなくなった。東側を都電が走り、北側を靖国通りで区切られ、新宿駅界隈のにぎわいから分断された。そんな人目につかない一角に、ゲイバーが次々と出店した。同性愛がオープンに語られることのなかった時代の空気も手伝ったのだろう。六十年代にゲイバーの出店が集中したのだという。
「さすが詳しいね。よく勉強してる」
「勉強なんかしてないよ。いろんな人から聞いた話だから。ちょっと寄り道」
 六花が左折した。雑居ビルの立ち並ぶ向こうに、ブロック塀で囲まれた一画が見えてきた。寺の屋根が見える。新宿二丁目の南東部にあるたいそうだ。入り口のすぐ右手にある巨大な地蔵前で、観光客が記念撮影している。六花は史跡の看板を顎で指した。
「それじゃそもそもなぜこの地域が娼妓街だったか、『ないとう新宿』の成り立ちに大きく関係しているんだ」
 琴音は史跡の文章を読んだが、いまいちピンとこない。
「江戸時代の山の手なんか、その名の通り山と森しかなかった。ここ新宿もね」
 六花は自転車を停めた。寺の敷地内を歩きながら、説明する。
「江戸から地方に街道が延びていたでしょ。新宿を通るのは甲州街道。その最初の宿場はしもたかのあたりだった。遠いよね」
 他に四つある街道はもっと江戸から近い場所に宿場町があった。甲州街道だけ遠すぎて馬や人の負担が大きかったらしい。
「そこで、力のある商人たちが私費を投じてこの場所に新しい宿場を作ったの」
『新宿』は新しい宿場町、という意味だったのだ。『内藤』がついたのは、もともとこの界隈が内藤氏の領地だったからだという。
「宿場町として定着するまでは、めしもりおんなとか娼妓を置いて人寄せしたのが、新宿が性風俗の街として発展する源だったらしいよ」
 六花は説明しながら地蔵脇のえん堂へ向かう。建物を囲む玉垣の前に立つ。寺に多額の寄付をした個人や企業の名が彫られている。風雨で削られたのかぼやけてはいるが、「楼」や「妓」のつく店の名前がいくつか見えた。
「この界隈は妓楼だらけだったらしいけど、東京大空襲で殆ど焼けて、再建できないうちに都電で町が分断されて、妓楼として復活できなかった。やがてカフェーになって、一階で酒を出して、二階で売春させる、みたいな赤線になったってわけ」
 琴音は聞き入り、すぐさま質問する。
「それじゃ、歌舞伎町の方はどうだったの」
「あの界隈は青線だよ」
 いずれ警察から赤線地区に指定されるのを期待し、カフェーや飲み屋の二階や三階でこっそり売春させる店が集まる地域のことだ。
「ゴールデン街なんかもそうだし、闇市を牛耳ってた連中が撤退後に続々とそういう店をオープンさせたみたいよ。それが、赤線指定されるどころか売春防止法で赤線自体がなくなっちゃった」
 しかし人々は生活のために、こっそりと性サービスを続けていた。あいた土地に違法風俗店が続々とオープンした。
「そうやっていまに至るのが歌舞伎町かもね」
 そこへ暴力団、アジア系マフィアなどが入り込み、アジアンでアンダーグラウンドな空気が漂う日本屈指の歓楽街が出来上がったというわけだ。
 六花は時計を見た。
「あと二十分しかない」
 急いで自転車を停めた場所へ戻る。
「あ、最後にひとつ。あのマンション」
 六花が、太宗寺の西側に隣接するレンガ造りのマンションを指さした。
「四階にさ、アディダスのジャージ干してある部屋、見える?」
 首を上げる。蛍光ピンクのアディダスのロゴが入った青いジャージの上下が、寒そうに風に吹かれている。
「あれ。私の部屋」
 どうでもよくて、笑ってしまう。
「お地蔵さんの頭を見下ろす場所ね」
「そう。ばち当たりでしょ。だからあの部屋に決めたんだー」
 六花は朗らかに笑って、自転車に跨った。

 六花が話していた性玩具店は、新宿二丁目郵便局の向かいにある雑居ビル一階に入っていた。シャッターが三分の二ほど開いていた。コードが巻き付いた看板が外に出してある。店の名前は『風俗と共に去りぬ』だった。『俗』の字がやたら小さい。名作映画をこんな風にもじってしまうのが二丁目らしいなと思う。
 間口が狭い小さな店舗だった。青いテント屋根は雨の筋が黒ずんで残る。
「ちわーっす」
 六花はガラスの引き戸を開けた。上がり切っていないシャッターの下をくぐり、店内に入る。むちやお面やろうそくが所せましと置いてあるような店内を想像していたが、裏切られた。商品棚が殆どない、スタイリッシュな空間だった。毒々しいマネキンはなく、SM女王風のコスチュームがハンガーにかかり色別に並ぶ。男性器の形をしたディルドは取り付け棚に置かれている。同サイズのものを色別にディスプレイし、間接照明で照らす。アート作品を展示しているようだ。
 店の奥の扉が開き、花柄のロング丈のワンピースをはおった女性が出てきた。下はワイドパンツで、フリースの黒のハイネックを着ている。
 その美貌に、琴音は妙に納得してしまう。ゆるくパーマがかかったブルネットと彫りの深い顔は『風と共に去りぬ』の主演、ビビアン・リーによく似ている。外国人とのミックスだろうか。
しずさん、すいません。開店前に」
 六花がぺこりと頭を下げた。上司にはタメ口なのに、彼女には敬語なのか。六花は組織の人間関係より二丁目の人間関係を大事にしているようだ。静乃が琴音に視線を移す。どこか冷めた、力のない目をしている。琴音と同年代か、年上だろうか。琴音は名刺を渡した。名乗り、説明する。
「午前中、歌舞伎町のホテルで殺人があったんです」
「へー。パトカーや警官の数が多いわけだ」
「犯人、ノコギリを持ってホテルの従業員も襲い、いまだ逃走中なんです」
 えーっ、と静乃は言ったが、声が低く抑揚がないせいか、驚いていないように思えた。
「まさか、二丁目に逃走してきたの」
 六花が懐から、写真を出した。現場にあった使用済み性玩具を写したものだ。
「あら。これって」
 静乃は店の片隅に置かれたワゴンを引いてきた。開店中は店の表に出す、セール品だ。パッケージに入ったリップスティック型の男性用性玩具が山積みになっている。
「同じ製品ですね」
 琴音は画像と見比べた後、尋ねた。
「この店でしか扱ってないんですか?」
「どこでも取り扱ってますよ。ただ、うちほど数は扱ってないかも」
 静乃は苦笑いし、ひとつを琴音に渡す。
「バイトの子が間違えて三百個近く発注しちゃったの。十個追加注文してって言ったのに」
 三十個入りのケースを十個注文してしまったらしい。
 六花は続けて、尚人の画像を示した。ホテルの防犯カメラ映像を拡大、鮮明化したものだ。黒いリュックサックにダウンジャケット姿で、ノコギリを前に抱く。逃走直後のものだ。
「この青年に見覚えは? 中尾尚人という鳥取県から来た青年です」
 静乃は前のめりになり、画像を手に取った。心あたりがあるようだ。写真は遠目に見る。老眼だろうか。腕を伸ばした際に、静乃の手首があらわになる。リストカットのあとが並んでいた。細く赤い水膨れが所狭しと浮かぶ。
「あのオナホール、尚人に売りました?」
 六花が尋ねた。
「売ったというか、あげた。昨日の夜ね」
 深夜一時頃だという。店の前を何度も往復する青年がいた。勇気がなくて入れないようだった。静乃は声をかけたという。
「まだ頰とか顎にニキビがいっぱいある、ういういしい子だった。童貞かな、かわいいなぁって。オナホール欲しそうだったんだけど、財布の中を何度も見てるから、お金足りないんだろうなと思って」
 ワゴンセールの商品とはいえ、定価で三千円するものだった。
「千円しかないって言うの。うちは安価のオナホールは取り扱ってないって言ったら、この世の終わりみたいな顔をするから。健全な青少年育成のためにひと肌脱いだってわけ」
 静乃が自信たっぷりな様子で言う。
「六百円のローションをお買い上げいただいて、そのオナホールはおまけでつけてあげた」
 琴音は尋ねる。
「その時、尚人がなにか奇妙な行動をしたとか、特異な言動があったとかは?」
「全然。田舎から出てきていろんなものに興味津々の、かわいい男の子だったわよ」
 店に防犯カメラはついていない。
 また来るかもしれないと話し、琴音は六花と店を出た。静乃が店先まで見送りに出る。
「六花。今晩、ZEROに来ない?」
 両腕を揺らし、ステップを踏む。ダンスに誘っているのがわかる。
「無理っすよ。事件だし。私パリピじゃないし」
「今日のイベントは結構お堅いみたいよ。世界名作映画劇場、だって」
 六花は目を丸くした。
「クラブで名作映画って……クラッシック音楽でどうやって踊るんです」
「そこはDJの腕の見せ所でしょ。とりあえず今日のイベントは大人イメージらしいよ。成人式だしね」
 六花は静乃を笑顔で指さした。
「あーっ、もしかして、風と共に去りぬ?」
「そうそう。スカーレットのコスプレで行くよ。千円引きになるから」
 楽しんで、と六花は自転車を漕ぎだした。琴音も追いかけながら、尋ねる。
「ZEROってクラブかなにか?」
「イベントスペース。週末とか祝日の日に、月に一回だけ開くの。秋はハロウィンナイトとか、夏はビキニナイトとかね。ちなみにノンケお断りのお店」
「私は行けないのね」
「自己申告だから偽って入ってくる人もいるけどね、冷やかし程度な感じで」
「静乃さんもレズビアンなの?」
 六花は首を傾げてみせる。よく知らないのではなく、あいまいらしい。
「いろいろありすぎてビアンになったというか。私みたいな生まれつきとはちょっと違う。ほら……」
 六花はハンドルを握る左手の手首を指で切る真似をした。リストカットの痕のことだろう。
「社会や男からひどい目に遭わされて、二丁目に逃げてきた人だから」
 再び、御苑大通りの横断歩道で信号待ちになった。六花がニコニコと尋ねてくる。
「どうだった、二丁目」
「うーん。店、殆ど開いてなかったし」
「『雪国』の冒頭は有名だけど、最後の一文、知ってる?」
「それは知らない」
 信号が青になった。
「さあと音をたてて天の河がしまむらのなかへ流れ落ちるようであった」

 琴音は特別捜査本部の壁にかかる時計をちらりと見上げた。十八時半。
 第一回捜査会議は長引いていた。琴音は義姉の真澄に「十九時までに虎太郎を迎えに行く」と伝えていた。初日から特別捜査本部が立つほどの事件が起こるとは思ってもいなかった。テーブルの下で敦にメールを送る。
〈真澄さんとこに虎太郎いるから、迎えに行って。十九時過ぎるとまずい〉
 ひな壇には中央に捜査一課管理官の警視が座る。捜査一課長は冒頭で訓示を垂れただけで、立ち去った。捜査本部を仕切るのは管理官だ。
 その右側に本部捜査一課六係長の警部が、左隣に見留署長が並ぶ。琴音はその横に、村下課長と共に座る。
 琴音は改めてひな壇から、百人の捜査員が並ぶ列を見た。普通なら、これだけの駒を動かせる幹部に上り詰めた喜びに、自尊心が満たされるものだ。琴音は息子が心配で気が気ではない。熱を出している息子のそばにいられない焦燥で、胃がぎゅっと絞られるようだ。
 特捜本部は三百人体制だが、うち二百人は緊急配備で管内を回っている。路上に張り巡らされた監視カメラ網で、尚人の足取りは判明していた。
 ゴジラのオブジェがあるTOHOシネマズからロボットレストラン近くの筋道を東へ抜けた後、区役所通りを跨ぎ、『四季のみち』に入っていた。都電の引き込み線跡地を石畳の散歩道に整備した場所だ。ゴールデン街と歌舞伎町の歓楽街を、優しいS字でさえぎる。
 尚人は四季の路にある監視カメラに映ったのを最後に、こつぜんと姿を消していた。その先にあるゴールデン街はサッカー場ひとつ分に等しい広さに二百近い店舗が軒を連ねる。監視・防犯カメラの数は少ない。
 ゴールデン街のどこかの店舗に逃げ込んだか。捜査員が全ての店舗を見回っている。昼間はシャッターを閉めている店がほとんどで、人が押し入った痕跡のある店はなかった。押し入られたと訴える店もない。南隣はL署の入るSTビルだ。人の出入りが激しく、タクシーの往来もある。警察組織の入るビルの目の前で、堂々とタクシーを拾い、逃走したか。
 鑑識捜査員が、当該時刻に界隈を通過したタクシーのナンバーを解析済みだ。捜査員が各タクシー会社に確認している。
 ふとももの上に置いたスマホが短くバイブする。敦だ。
〈会議中。ごめん〉
 腹が立った。
〈こっちも会議中。ごめん〉
 と返す。すぐに返信が来た。
〈お疲れ〉
 琴音は頭がふつとうした。それで息子をどうするの。インフルエンザで高熱に苦しむ我が子を、親類に押し付けたままでいいのか。
 琴音はダーク色のスーツの男たちの群れを見た。六花がいないことに気づく。赤いジャージを着ての文字通り紅一点だから、目立つのだ。女性捜査員は数人いるが、みな黒のパンツスーツ姿で、没個性な恰好をしている。
「では次、ナシ割り!」
 美濃部管理官の指示で、鑑識捜査員が立ち上がる。凶器が電気ケトルと断定した上で、情報を付け加える。
「持ち手に指紋がいくつか出ています。このうち一つが、現場に落ちていたドンキー・マジックの袋、スーツケースの持ち手、参考書等から出た指紋と一致しております」
 犯人は被害者の息子の中尾尚人で間違いないだろう。運転免許は取得していない。学生服姿の証明写真が、捜査本部のスクリーンにプロジェクターで映し出される。室内に残されていた、大学の受験票に貼られていたものだ。
 尚人は襟足を刈りあげ、前髪は額の半分を隠す程度だ。二重瞼の幅が大きいせいか、眠たそうで素朴な印象だ。殺人犯には見えない。
「また、隣室の2718号室の宿泊客が、午前九時頃に女が罵るような大声を聞いたということです」
 殺害はそのころか。尚人は死体をなんとかしようと母親の衣類を脱がし、スーツケースの中に詰めようとしたが、入らない。ドンキー・マジックでのこぎりを買い戻ってきた。清掃係の女性と出くわしてしまい、ケースに入ったままのノコギリを振り下ろし、逃げた。
 狂暴な犯人がノコギリを持って都内を闊歩している、という感じがしない。いまごろどこかで膝を抱え、震えているのではないか。
「次、鑑取りはどうだ。ガイシャが鳥取から来ているなら、今日わかったことは少なそうだが」
 美濃部管理官が問うた。木島が手を挙げる。
「ホテルの宿泊カードにあった連絡先にかけたところ、父親を名乗る人物が電話に出ました。氏名は中尾しげるです。状況を伝えましたが、妻の死を嘆くとか、逃走した息子を心配する、もしくは怒りを見せるという反応は、一切ありませんでした」
 捜査本部にざわめきがおこる。
いわく、自分は足が悪いので上京できない。頼れる親戚もいない。妻の遺体は東京でに付し、遺骨にしてから持ってきてくれないか、という始末で」
 六係長が腕を組みながら尋ねる。
「夫婦仲が悪かったのか。息子の心配は?」
「特に言及していません。連絡も入っていないということです。東京のことも全くわからないので、行く当ても見当がつかない、と」
 琴音は質問する。
「東京のことが全くわからないというのは、父親が、ですか。それとも尚人はわからないだろうと父親が言っているのですか」
 木島が口元を引きつらせた。
「あとでもう一度、確認してみます」
 美濃部管理官が尋ねる。
「息子をかばうためにうそをついている様子は?」
 電話では……と木島は言葉を濁した。琴音は美濃部に進言した。
「家庭の状況が特異と感じます。こちらの捜査員を現地に行かせる必要があるかと」
 美濃部は大きく頷いた。
「明日にも十人くらいは行かせようか。家族だけでなく、近隣や学校でも聞き込みさせる必要があるだろう」
 本部、所轄署から五名ずつ出すことになった。琴音は木島を含む五名に、鳥取に飛ぶよう指示した。木島が目を丸くする。
「係長の俺が行くんですか」
 東京で尚人の行方を追いたいのだろう。
「所轄署からも五名出さなくてはいけません。堂原さんがいないので、木島係長にも行っていただくことになります。そもそも彼女はなぜここにいないのですか」
「あいつは独自の人脈が二丁目にある。基本、ひとりで動きます。下手にペアを組ませると、店によっちゃ門前払いだ」
「だからといって捜査会議に出ないというのはありえません。直属の上司の木島係長がしっかり手綱を握らないから、勝手に動くし、服装も派手だし、言葉遣いも無礼なのでは?」
 木島が反論しようとするのを「そもそも」で遮る。
「堂原巡査部長を管轄外には出したくありません。あんな恰好で他都道府県警に行かれるのは警視庁の恥です」
 敦にむかついている。だから、敦と仲が良い木島についきつく当たってしまう。
 捜査会議終了後、琴音は再び、トイレの個室にこもった。自己嫌悪で潰れてしまいそうだった。

#1-4へつづく
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