赤神 諒『火山に馳す 浅間大変秘抄』レビュー
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書評
縄田一男(文芸評論家)
歴史小説を読みながら、時として過去が現在に飛びかかるような偶然性に思わずハッとする事がある。
例えば本書『火山に馳す 浅間大変秘抄』に描かれている浅間山大噴火の場合はどうであろうか。
地中に埋まった故郷を作り直すか、あるいは全員移住か──生き残った九十三人の選択はどうなるのか。
しかし、このような災害は、何も過去にだけ展開されていたものではない。しかも恐ろしい事に本年元日、能登半島を襲った巨大地震はどうであろうか。一月十九日には大規模災害復興法に基づいて「非常災害」に指定された、激甚な被害を及ぼしたこの地震は、未だその全貌もわからない程の状況である。
そして私が本文の冒頭で“歴史小説を読みながら、時として過去が現在に”オーバーラップする事に気付かされ愕然としたのが本書である。
どちらの災害も、記録やニュースを見るたびに、亡くなられた方、被災された方の報道に接し、胸が潰れる思いがするが、今まであたりまえのようにあると思っていたささやかな日常が、あたかもまぼろしのように雲散霧消してしまう現実に立ちすくむばかりである。
天明三年(一七八三年)、四月から断続的に活動を続けていた浅間山は、七月八日(旧暦)に大噴火を起こした。この時発生した土石なだれにより嬬恋村(旧鎌原村)が呑み込まれ、全村またたく間に焼け野原となった。これが天明の浅間焼けである。
江戸や銚子にまで達した火山灰、天明の大飢饉の進行に決定的役割を持つ事となったこの被害の全貌は、他の記録に委ねるとし、群像劇となっている本書のそれを見るならば、それは壊滅的であった。
残酷にも災害に遭った人間のその生き方が問われ、この混沌とした状況下、彼らはどのように生きるのか。
そして最後に盛り込まれている妊婦のくだりに示されている巧まざるユーモアとエスプリに逞しささえ感じられる。
諸々の視点で現代との二重写しにも見え、“生きる”事の過酷さと素晴らしさを浮き彫りにする名品である。
作品紹介・あらすじ
火山に馳す 浅間大変秘抄
著 者:赤神 諒
発売日:2023年12月26日
故郷はすべて、灰砂の下に埋もれた。頑固者たちの復興事業の行く末は――
天明の浅間焼け(大噴火)で土石流に襲われた鎌原村。村人の8割が死に、高台の観音堂に避難した者など93人だけが生き残った。現地に派遣された幕府勘定吟味役の根岸九郎左衛門は、残された村人を組み合わせて家族を作り直し、故郷を再建しようとするも、住民達の心の傷は大きく難航していた。出世頭の若き代官・原田清右衛門が進言するとおり、廃村と移住を選択すべきなのか、根岸は苦悩する。さらに幕府側にも不穏な動きが――。「故郷」と「生きる意味」を問い直す物語。
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