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(評者:石井光太 / ノンフィクション作家、小説家)
都内で行われていたアニメコンベンション。ある日、この会場で四十一歳の無職の男性が火炎瓶をつかった無差別殺人を引き起こす。十本近い火炎瓶を投げつけ、多数の死傷者を出したのだ。
物語は、犯人の小学校の同級生だった男性が、事件を報道で知るところから動き始める。なぜ犯人はあんな凄惨な事件を起こしたのか。彼はどんな人生を送ってきたのか。気になって調べているうちに、犯人には少年時代にいじめられた経験があり、それが今回の事件の要因ではないかという情報にぶつかる。
主人公の男性は、「犯人のいじめの切っかけを作った人間」が自分であることを思い出し、罪の意識にさいなまれ、事件の原因を探るべく犯人の足跡をたどりはじめる――。
この小説を読み進めてすぐに脳裏に浮かんだのは、私がこれまで取材した殺人事件の取材対象者だった。通常、事件取材は犯人の周辺人物に一人ずつ当たり、生い立ちから人間関係、それに犯罪歴や病歴を追いながら、心の闇を明らかにしていく作業だ。
関係者の多くが口をそろえる言葉がある。
「彼が事件を起こした背景には、自分も何かしらの形でかかわっているかもしれない。だからこそ、止められなかったのが悔しい」
たとえば、ある殺人犯の父親は「自分が離婚したからだ」と語っていたし、友達は「傍にいて理解してあげられなかった」と嘆いていた。元教師が「不登校にさせてしまったせいだ」と泣いていたこともあった。
なぜそう考えるのか。人は、たくさんの出会いと影響の蓄積の中で一つの行動を選択している。逆に言えば、人の行動には、それまでに出会った大勢の人々からの影響がある。大きな事件が起こると、関係者はそのことを痛感し、当事者の一人として十字架を背負って生きていくことを余儀なくされるのだ。
本書の主人公も同じだ。小学校時代のいじめが、三十年後の無差別殺人事件とどこまで直接的に関与していたかは定かではない。だが、一度でもかかわったのだとしたら、無関係ではいられない。主人公が犯人の足跡をたどる姿は、社会という他者とのつながりの中で生きる人間の原罪のようなものを示している。
本書の優れているのは、こうした業が周辺の人々だけに留まらず、社会の構成員である私たち一人ひとりも関係していることを描いている点だ。詳細はぜひ読んでいただきたいが、主人公が犯人を追っていく先には、社会が抱えている問題や、私たちが無意識のうちに持っている偏見や差別がある。
その衝撃的なラストシーンを読んだ時、きっと読者はこの事件が自分とは無関係だとは言えなくなるはずだ。
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