わたしは長く自由詩を書いてきたが、俳句は純粋な読者の立場を守っている。そこに踏み込んだら、地獄が始まると思うからだ。定型には魔力がある。最初はこのわたしが俳句を創っているつもりでも、そのうち、俳句のほうに、わたしを創られてしまうのではないか。これは自由詩に携わる者の、定型に対するねじれた憧憬であり畏怖である。
ただ、俳句の奥義、俳句の俳句らしさというものがあるとして、それは実作を経ないことにはつかめないものかもしれない。その点でわたしは、どこまでいっても俳句の素人だが、しかしこの素人も、「詩」という永遠につかめないものを、ひたすら追いかけてきたことには変わりない。俳句を読むときも、自由詩と同じ線上に置き、そこに「詩」があるかないかを探すという態度になる。
橋本多佳子の俳句を知ったとき、急に、深く惹かれた。徐々にではなかった。そこには「詩」があった。「詩」とは素早いものだ。
最初に出会ったのは、『紅絲』所収のあの一句ではなかったか。わたしは驚いて、この句に落ちた。恋に落ちるのと同じ速度で。
螢篭昏ければ揺り炎えたゝす
詩がある、というときの「詩」とは、具体的な詩作品を言うのではない。詩を詩たらしめているところの抽象的な要素。それをポエジーと呼んでもいいし、作品の「命」と言い換えてもいい。
この一句は、篭のなかの螢の変化をとらえているが、読者のほうで読解を煮詰めていけば、最後、残るのは「揺れ」である。死の予感を含むあえかな生命体が、ふいに生のほうへ、引き戻される。引き戻されたとき、光って揺れる。この動きを、五・七・五の固まった型式が躍動的に働き作り出しているので、読んでいるこちらは驚いてしまう。同じことを現代詩で書いたり、小説の一節に風景描写として書くことは不可能ではないだろうが、果たして同じ「揺れ」まで映しだせるか。少なくとも、意味を第一に伝える散文では難しいだろう。
消えかかっている光があり、作者らしき人の手が、その螢篭を揺らした。それを「炎えたゝす」と、多佳子は書いた。死にかけているさびしいものが、不意の力に、もう一度、生命力をふるう。戻ってくる。引き返してくる。再び光りだす。最後のわずかな生命力かもしれない。けれどそれを出し切らないことには死ねないような光なのである。なんとさびしい句だろう、美しい句だろう。
昏ければ、と書き、いったん読者を闇の方へ惹きつけておきながら、ばねのように、生のほうへ読者を解き放つ。わたしは自分が、螢となって、眠りから覚まされ、光ったような気がした。
橋本多佳子の句には、こういう躍動感が凝縮されて入っている。別の言い方をすれば、生命体の動きの跡が見える。いや、跡、どころではない。読みながら風景が、人が、ものが、今、動く。
螢といえば、第一句集『海燕』には、「螢火が掌をもれひとをくらくする」という、一行詩のような俳句があった。
ここに捉えられているのも不意の動きで、前掲「螢篭~」の一句が、昏いところから引き戻されるのに対し、こちらの句では、人が昏さのなかにしずんで終わる。一見、逆方向に見えて、「人が昏い」という認識は同じである。この昏さは、多佳子に独特のもので、「七夕や髪ぬれしまま人に逢ふ」と書いた、あの濡れ髪の、ぬめぬめとした黒にもつながっていく官能だ。昏さのなかに、ふうっと吸い込まれてしまいそうだし、吸い込まれてしまいたい。
曼珠沙華日は灼けつつも空澄めり
曼珠沙華という花を、多佳子は多く俳句に登場させている。秋の季語だが、この句の空気は夏の終わりを感じさせる。重要な作品ではないかもしれないが、「灼けつつも空澄めり」に、多佳子らしさが現れている。風景は「灼ける」と「澄む」という二つの動詞に引き裂かれ、中心の空洞から詩が吹き出す。
句集『信濃』では、同じ花が、
曼珠沙華さめたる夢に真紅なり
と捉えられ、さめたる夢、すなわち現実に、すっくと立つ真紅が鮮やかに目に残る。しかし感興はそこにとどまらず、次にこの句の助詞使いに目が惹かれる。「夢に」の「に」には、俳句の滋味が詰まっているように思う。意味を掘り出せば、「~のなかに」ということだろう。わたしには、この「に」が一句を腰で支えているように見える。厳密な意味を追いかけると、実は曖昧でよくわからなくなってくる句でもある。曼珠沙華はどこに咲いているのか。夢と現の、境目のようなところだろうか。さめたる夢に、とあっても、それがすなわち、即現実とはいえず、「夢に真紅なり」という言葉のカタマリが、微妙な意味のぶれをおこす。
星空へ店より林檎あふれをり
『紅絲』所収。多佳子の句が孕むダイナミックな動きについては再三書いたが、動きに角度をつけているものは、助詞に他ならない。ここでは「へ」と「より」に注目してみよう。星空へ向かってあふれる店先の林檎。ここには店から夜空へと、のぼっていく、透明な階段の、急勾配の角度が見える。
のっぺりした、平板な句は作らなかった。一句のなかに、坂道、急勾配、急展開が見える。多佳子は夢想家ではなく幻視者でもない。ものをクリアに、くまなく、際限まで見尽くすリアリストである。そこから生け捕った「詩」を正確に表すために、現実をどのようにふくらませ、歪ませたらよいのかを、この人はほとんど昆虫の触角のようなもので即座に判断する。現実と表現とのあいだのずれに、極めて敏感な表現者だと思う。
あぢさゐの夕焼天にうつりたる
これは『海燕』所収。どこで切って読んだらよいか。「あぢさゐの夕焼」あるいは「夕焼天にうつりたる」。夕焼をなかにして、蝶の羽根のように折りたたまれている。どう解釈したらよいのか、これもじっくり考えると、よくわからなくなってくる。しかしイメージはすばやく落ちてきて、わたしはこの風景を、「見た」と感じた。あじさいが夕焼に照らされている。それがそのまま天に転写されている。鏡のように。そう取ってよいだろうか。
あじさいはすぐに衰える花だ。衰えたとき、茶色く変色し、かなり汚い。移ろいの予感をたたえた一瞬の花が、夕焼の狂気に包まれながら、天にそのまま写っている。多佳子には、こういう斬新な幻想を見る新しさがある。
ここでそれを見ているのは、もはや多佳子ではなく「わたし」自身。一句が読者に乗り移る速度が速い。
気に入った句には丸印をつけるが、それが俄然増えだすのが、わたしの場合、句集『紅絲』だった。何気ないふうの句にも、読者を立ち止まらせる力がある。この句はどうか。
しやぼん玉窓なき厦(いへ)の壁のぼる
このしゃぼん玉も動いている。窓のない家が、窓がないことによって、一層無口に固定されているのに対し、しゃぼん玉は命を得て、壁を意志あるもののごとくのぼっていく。のぼっていくのに、なぜかむなしい。しゃぼん玉は、いつか現実を乗り越えてしまうだろう。もう二度と、こちら側に帰ってこられないだろう。灰色の夢を見たような心持ちがする。
少し先を読み継ぐと、今度はなべて下降していく動きの、次のようなカタマリが現れる。
死が近し翼を以て蝶降り来(く) 太虚より蝶落ちにおつ身をもだえ 手にとりて死蝶は軽くなりにけり 旅了らむ燈下に黒き金魚浮き 夜具の下畳つめたき四月尽
夜具の下の畳の冷たさを思う感覚は、尋常なものではない。この冷たさは、畳独自のものか、あるいは上から次第に移ってきたものだろうか。夜具の上には人が横たわっているはずだが、その人からして、すでに体温を持たず、死人のようだ。だがそこに、四月尽という季語が直観的に取り合わされ、その急激な場面展開により、切り口からは鮮やかな詩が一気にあふれる。
罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき
罌粟がひらくところを見たことはないが、想像はできる。この句は、罌粟でなければ決まらなかっただろう。髪と罌粟、さびしきの「き」、K音が効果的に拾われている。
どんどん読み進めよう。そしてわたしが橋本多佳子を好きになったことのひとつは、雷がずいぶん登場するからである。いなびかりとは、多佳子その人の精神のことではないか。
いなびかり北よりすれば北を見る いなびかり遅れて沼の光りけり いなづまのあとにて衿をかきあはす
いずれも『紅絲』。激しいもの、屹立しているもの、ただ一人ゆくもの、そういうものを、多佳子は多く句にしている。
しかし死の翌々年刊行された『命終』には、成熟した夫婦の姿があり、胸をつかれる。多佳子自身は、三十八歳のとき、夫・豊次郎氏と死に別れた。次の句には、夫婦の揺るぎない信頼とユーモアが浮かぶ。
蒟蒻掘る泥の臭(か)たてて女夫(めをと)仲
「か」と読ませているが、香ではなく臭。多佳子の句には、神経が針金のように細く鋭く行き渡っているが、同時にこの句に見られるような、現実認識の「太さ」も現れる。
土中より筍老いたる夫婦の財
筍に財とは、書けそうで書けない当意即妙の取り合わせだ。表現は新鮮だが奇抜に陥ることなく、読み手の感覚にぴたりとはまる。定型が言葉を、言葉が定型を、余すことなく使い切っていて、それが一句全体に、神経がはりめぐらされた印象を呼ぶのであるが、同時に土中にあるものの成熟は、細い神経だけでは表現できぬ。生命の根幹を正面からつかむ、太い神経が必要とされる。
万緑やわが額(ぬか)にある鉄格子 草あらし香を奪はれて百合おとろふ 乳母車坂下りきつて秋天下 こゑ断つて虻が牡丹にもぐり入る 深裂けの柘榴一粒だにこぼれず 氷塊の深部の傷が日を反す 雪の日の浴身一指一趾愛し
抜き出せばもうきりがなかった。多佳子は俳句の息遣いを知り抜いている。短く、激しく、荒々しく、そして典雅に。息をつめ、言葉を矯め、一気に吐く。避雷針さながらの神経を駆使し、激流に落ちる椿のような句を作った。