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レビュー

因果関係を掻き立てながら因果関係を解き放つ想像力へ

 ある場所で蝶が羽ばたくと地球の反対側で竜巻が起こる——カオス理論の象徴「バタフライ・エフェクト」は、日本の諺で言い換えると「風が吹けば桶屋が儲かる」。風は必ず、どこかから吹いてくるものだ。どこかからやって来てどこかへ去っていく風のイメージは、因果関係の想像力を掻き立てるものとして尊重されてきた。そうした風のイメージに、もはや作家性と称すべき水のマチエール(例えば、前著『満月の泥枕』は昨今話題のかいぼり=池の水ぜんぶ抜く小説!)を重ね合わせた『風神の手』は、道尾秀介の豊かな感性と技芸が一挙集結した連作中篇集だ。
 一話完結型の全三章+エピローグで構成されている。物語の舞台は、漁師が舟に乗り松明(たいまつ)の火で(あゆ)を驚かせて網に追い込む、火振り漁で知られる下上(しもあげ)町。「第一章 心中花(しんちゅうか)」は、遺影専門の写真館・鏡影館(きょうえいかん)へ、撮影のために訪れた若い母と娘の物語だ。サンプルとして並べられていた一枚の写真をきっかけに、母は秘めていた二十七年前の記憶を蘇らせる。道尾らしいたおやかな文章を堪能する、文芸作品としての妙味が存分に発揮された、全編中もっとも美しくもっとも切ない恋物語。だが、二十七年後の空気に触れた途端、記憶は意外な変質を遂げる。「第二章 口笛鳥(くちぶえどり)」は、少年達が活躍する冒険小説として抜群の完成度を誇る。小学五年生のまめ、転入生のでっかち。ニックネームの時点でベストフレンドになることが運命付けられた二人の、共にいる幸せを噛み締め合う日々の描写がときめいてたまらない。そんなある日、二人の関係性を揺さぶる事件が起こる。「第三章 無常風(つねなきかぜ)」は、前二章を読んでいるならば必ずグッとくるキャラクターの登場・再登場と、老女が若き日に犯した罪の告白とが、同時並行で語られていく。複数の時間軸を横断しながら積み上げられていくのは、人間ドラマの質と量。
 各章はみな、誰かがついた「嘘」をフックに、穏やかな物語からミステリーへと変貌を遂げる。前の章で描かれた真実が、次の章で新たな真実へと塗り替えられ、すべての謎が「エピローグ 待宵月(まつよいのつき)」で明かされる。連作ミステリーとしての快感は、極上だ。そのうえで、いささか乱暴な言葉を使えば本作は、当代随一のミステリー作家が初めて書いた、アンチ・ミステリーなのではないか。
 ミステリーは、因果関係をテーマとして描くのにもってこいの物語ジャンルだ。動機があり犯行がある、罪があり罰がある、過去のああいう経験があったからこそ今の自分の状況がある。ミステリーは、因果関係を焼き付けるために機能する。本作も同様だ。もしあの時ああしていれば、もしあの時あの人と出会わなければという「もし」の想像力が分厚く書き込まれ、後悔や負の感情を掻き立てる。しかし、その一方で本作が試みているのは、因果関係を解き放つ想像力なのだ。実のところ、その想像力もかたちを変えた因果関係なのだが……その辺り、第一章から丁寧に読み進めて確かめてほしい。全編に流れる、風の匂いを感じながら。
 もう一点、コメディの要素が入っていることも付け加えておきたい。道尾秀介の新たな代表作だ。

『嘘を愛する女』
岡部えつ
(徳間文庫)
5年間同棲していた恋人が倒れ意識不明に。入院の手続きをするうち、彼の職業や名前はすべてでたらめだったことが判明する。彼は何者か? 最大の謎は、なぜ彼は嘘をついたのか?ということ。同名映画を、この小説家ならではのクールな筆致と小説という表現ジャンルならではの演出で再構築。


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