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レビュー

映画化やアニメ化もされシリーズ中特に有名な本作が、大人向けに原作どおりの完訳で登場『ドリトル先生航海記』

文庫巻末に収録されている「訳者あとがき」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(訳者:河合 祥一郎)

 本書は、『ドリトル先生アフリカへ行く』に続く、シリーズの第二巻である。

 この『航海記』はシリーズのなかでも特に有名で、いろいろな少年少女文学全集などにもこの巻だけが入っていたりするが、必ずしも全訳でないものが多い。本書は、〝原作〟どおりの完訳である。

〝原作〟と引用符をつけた理由は、一九二二年に執筆された〝原作〟に人種差別の表現が含まれることが問題になり、問題とされた箇所を削った改訂版が、作者没後の一九八八年にアメリカの出版社から出たからである。たとえば〝原作〟ではバンポ王子がはでなリボンのついた麦わらぼうしをかぶり、赤色のネクタイにおしゃれなフロックコートを着て、緑色の傘をさして裸足はだしという劇的な登場をしていたのが差別的とされ、一九八八年版ではその描写がばっさり削除され、「おしゃれな服を着て」のみに変えられている。これによってバンポの面白さも同時に消えてしまっており、作品のよさが損なわれていると判断し、本書は変えられる前の〝原作〟どおりの訳とした。そうした表現をただ言葉狩りのように削除するだけで、果たして問題の解決になるのかという疑念もある。本シリーズに含まれる黒人に対する人種差別問題については角川文庫『ドリトル先生アフリカへ行く』の「訳者あとがき」を、〝インディアン〟〝ホッテントット〟については本書の「編集部より読者のみなさまへ」を参照されたい。

 訳すに当たっては、原文をどこもゆるがせにせずに丁寧に訳した。例として、旧訳との違いをいくつか挙げておこう。

 ぶせます訳では、ベン・ブッチャーという男がやってきて自己紹介する場面で、「じぶんは、『じょうぶなたらい』と人から呼ばれ、そのとおり新聞にも、りっぱな水夫だと書かれたと」言ったとなっているが、ここは「男は『しょーしょ』なるものを出して」とした。原語のstiffikitとはcertificateのロンドンなまりであり、paperは新聞ではなく書類の意味である。

 ポリネシアの「ベン・ブッチャーは、密航者で悪人です。いいですか、第一、あの男のひじのきずが、気持が悪い」(井伏訳)という台詞せりふの後半は、「あいつは見るからに、どうも気に食わない」とした。cut of one's jibとは「身なり、外見」の意味だ。

 また、キケロの格言「類は友を呼ぶ」(pares cum paribus facillimē congregantur)のラテン語を踏まえたジョークをバンポが言うのが訳されてこなかったが(As Cicero said, parrots cum parishioners facilime congregation)、日本語のジョークとして訳出した。

 そのほか、トミー・スタビンズが初めて先生の家に入るとき、井伏訳では「さあ、おはいり。靴なんか、ぬがなくてもよろしい」となっていたが、これは原文どおり「お入り! 靴のどろを足ふきマットで落としたりしなくていいから。どろんこのまま入っちゃいなさい」とした。この井伏訳は、ドナルド・キーンがざいおさむの『斜陽』に出てくる「白足袋」を「白手袋」と訳した例に見られる「同化」(domestication)の手法だが、靴のまま家の中に入る西洋文化は今やよく知られている。

 靴をぬがない代わりに、戸口の外に置いてある足ふきマットで丁寧に靴の裏をこするのが礼儀であることはあまり知られていないかもしれない。慣れていない日本人は足ふきマットの上をただ歩いて通りすぎてしまいがちだが、それはマナー違反だ。ドリトル先生がスタビンズ家を訪れたとき、「大きなブーツを、それはそれはていねいに足ふきマットでごしごしとこすって」いたのは、先生がとても礼儀正しいことを示している。

 アヒルのダブダブがロウソクを持ってきてくれて、家のなかが明るくなったあと、井伏訳では、「子ブタが……ぞうきんで足をふいている」とあったが、これも足ふきマットのことだ。イギリス人(イギリスブタ?)は戸口でぞうきんなどを使ったりしないのだ。

 イギリス人が靴をぬぐのは、ベッドに入るときや、おふろに入るときだ。モンテヴェルデの町でベッド屋さんのベッドに寝たとき、先生はブーツだけをぬいでいる。つまり、いつも着ている黒い礼服の上着さえぬがないで寝たというわけである。

 イギリス紳士は、昔は、昼間はモーニング、夜はえんふくを着ていた。どちらの礼服も、上着のうしろがツバメのしっぽのように長くなっている。これが先生のお決まりの服だ。物語の始めで、びしょびしょになったトミーが先生の家で服を借りたとき、トミーがしっぽのような長いところをふんでばかりいたのもそうした事情による。

『航海記』は、夕方のお茶(ティー)の時間に王さま橋に明かりがともるところから始まって、ちょうどお茶の時間に間にあってイギリスに帰ってくる話だ。「お茶(ティー)」を「おやつ」と訳すと、三時のおやつをイメージしてしまうが、ティー(アフタヌーン・ティー)とは、午後四時か五時ぐらいにとる軽食を指す。紅茶を飲みながら、クリームやジャムをこってりぬったスコーンなどの焼き菓子や、キュウリやハムや卵などのサンドイッチを食べるのであり、日本のおやつとは違う。

 チーチーがへんてこな女の人のかっこうをして先生の家に帰ってくるのも、午後のお茶が終わった夕方だ。お茶のあとダブダブとトミー・スタビンズがゆっくり話をしていたわけだから、たぶん六時近かったのだろう。だから、そのあと、わりとすぐに「おやすみなさい」になる。

 また、ルークの裁判のあと、先生は昼食をとっていなかったと思い出して、「お昼とおやつティーをいっしょにした食事にしよう──クレソンとハムのサンドイッチってのも、たまにはいいじゃないか」と言う。井伏訳ではこの文はすっかり省略されていたが、クレソンは、ウォータークレスとかミズガラシとも呼ばれる春野菜で、日本でもすぐ手に入るが、ちょっとからくて大人向きの味だ。二時から始まった裁判のあと、町はずれにある家まで帰ってくると、ちょうど「お茶の時間」というわけだ。

 四時頃にとる軽食としてのお茶ティーのイメージが明確になっていないと、本書の最後の「四時だ! さあ、おいで。ちょうどお茶の時間に間に合うよ」にめられた思いがわかりづらくなってしまうだろう。



 伝統的なイギリス料理にはいろいろなものがある。裁判長が夕食に食べたベイクト・ポテトもそのひとつだ。今では日本でもなじみの料理だが、自分で作るなら以下の手順でどうぞ──大きめのジャガイモを皮ごと洗って、表面にフォークで数か所穴をあけ、ラップにくるんで電子レンジで七分ほどチンしてから、ホイルに包んで二五〇℃のオーブンで一〇分焼けばできあがり。バターをたっぷりつけて食す。

 また、先生の好物(98ページ)のなかでも、糖みつパイ(トリークル・タルト)は、ハリー・ポッターも大好きなイギリスのお菓子だ。レシピを紹介しておこう。

  1. パイ生地(ショート・クラスト・ペイストリー)を作る。薄力粉一〇〇グラムと塩少々に、小さな角切りにしたバター五〇グラムを加えてサラサラになるよう指先で手早く混ぜ、そこへ水三〇㏄と溶き卵を少しずつ混ぜ、練らずに固めの生地にしてラップで包んで冷蔵庫に一時間以上ねかせる。
  2. ゴールデン・シロップまたははちみつ一〇〇グラムをなべで温め、そこへブラウンシュガー三分の二カップ、レモン半個のしぼり汁と、けずったレモンの皮を混ぜ、泡立てた卵を混ぜ、さらに生パン粉六〇グラムを加えて混ぜる。
  3. バターをぬったパイ皿にうすくのばした①のパイ生地を敷き、そこへ②を入れる。
  4. 余ったパイ生地で細い帯を作り、③の上に格子状に並べ、溶いた卵黄をぬる。
  5. 一九〇℃のオーブンで三〇分ほど焼いて、できあがり。ホイップクリームやカスタードクリームまたはアイスクリームをのせて召し上がれ。

 これを食べれば、あなたもドリトル先生やハリー・ポッターの気分になれるかも?

二〇二〇年二月
河合祥一郎

ヒュー・ロフティング『新訳 ドリトル先生航海記』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321906000918/


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