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葉室麟が遺した幻の作品が蘇る――『不疑 葉室麟短編傑作選』葉室 麟 文庫巻末解説【解説:村木 嵐】

魂を揺さぶる珠玉の短編集
『不疑 葉室麟短編傑作選』葉室 麟

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。



『不疑 葉室麟短編傑作選』文庫巻末解説

圧倒的なリアル

解説
むら らん

 歴史時代小説に欠かせないものの一つは読み手に事実だと信じさせるリアリティだろう。それがあれば秀吉だけが翼を持っていてもかまわないし、馬が突如しゃべり出せばむしろ名作になる。
 小説は荒唐無稽だと思われた瞬間に読者を失うが、作中人物がリアルに動いてさえいれば歴史年表は勢いよくめくれていく。歴史小説の書き手にとってこれは何にも代え難い楽しみだが、葉室さんほどそのだいを味わい尽くされた作家もだったのではないか。
 単行本だけで七十冊を超し、今も新刊の出ている葉室さんが、実は作家生活わずか十二年だったことはそれほど知られていないかもしれない。ざっと逆算すればふたつきに一冊は著書が出ていた勘定になるが、そこに短編も加えると、生涯に書かれた作品はどれくらいにのぼったのだろう。
 しかも昨年は葉室さんの七回忌の直前に、未発表の中編「不疑」が見つかった。「不疑」は原稿用紙百枚ほどのボリュームがあり、「小説 野性時代」二〇二三年冬号で初めて公にされた。本書はその作品とともに、これまで葉室さんが文芸各誌のアンソロジー企画に寄せられていた短編をまとめたものである。
 文芸誌のアンソロジー企画は、忠臣蔵、幕末といったテーマにあわせて作家が筆を競う人気のシリーズで、葉室さんはほぼ毎回、どんな時代設定のときも縦横無尽に作品を発表されてきた。人気、実力ともに高かったから可能だったのだが、ならばその秘密はどこにあったのか。
 かねて葉室さんは、小説の中には必ず作者の仮託する人物がいるとおつしやっていた。だとすれば作中最もリアルな登場人物がその人であるはずで、葉室さんの書かれるものには少なくとも必ず一人、義にあつく、透徹した眼差しでものを見極め、己を貫く人がいる。
 器用に生きる道を選ばず、ときには敗者であり弱者だと決めつけられるその人こそが、突き詰めれば葉室さんご自身だったのではないだろうか。

 鬼火──
 新撰組の薄幸の美剣士、沖田総司と芹沢鴨の邂逅を描く。同じ幕末の新撰組に所属しながら、芹沢は隊士の粛清に遭って命を落とし、沖田は志半ばで病に倒れる。沖田は少年時代のさる経験から笑うことができなくなったのだが、その張りつめた頑なな心を、豪快だが粗野な人物との印象が強かった芹沢がほどいていく。しょせんは人斬りだと捨て鉢になりかけていた沖田を芹沢が救う、従来の人物像を二人ともに覆した斬新な一編。

 鬼の影──
 赤穂浪士の吉良邸討ち入り前夜たん。大石内蔵助とその弱腰を疑う血気盛んな堀部安兵衛らが一夜、京で語り合う。それぞれの浪士がそれぞれに格別の事情を抱え、何度も立ち止まりながら運命の日へと突き進んでいく。地唄から儒教まで、大石たちを支えぬいた思想背景が明らかにされることで、鬼気迫る真の忠臣蔵群像が浮かび上がる。

 ダミアン長政──
 秀吉の朝鮮出兵で石田三成のざんげんに苦しめられた黒田長政が、禅の言葉に導かれて関ヶ原合戦で意外な役割を果たす。キリシタンだった長政は「豊臣家に神の罰を下してくれる」と言い放つ一方で、斬首される三成に、見事にはなむけとなるイエスの言葉を贈る。「義を重んじる心」を生涯忘れず、父如水もうなるほどのきようを見せた長政は、家康よりもはるかに度量が大きかった。

 魔王の星──
 織田信長の次女を描いた『冬姫』(集英社刊)の未収録続編。松永久秀、荒木村重らの謀反を踏み越え、天下布武に向かう信長の頭上にふしぎなすいせいが現れる。宣教師たちは信長が異端者になることをし、冬姫の夫・蒲生氏郷は彼らの説く「あもーる」に思いをせる。戦国ならでは、星のごとくの武将たちの中で、信長はひときわ異彩を放つ巨大な星だった。はたして信長は、ただの魔王だったのか。

 女人じゆげん──
 入眼とは官位を記した紙に名を書き入れて完成させることから、権力の掌握を意味している。鎌倉時代、北条政子が女の身でどのようにらつわんをふるい最高権力者に上り詰めていったかを、作者は哀感をこめて静かに見守っていく。悲しい今様を口ずさむ政子は、京の冷たさに娘まで奪われながらも最後までひたむきに走り続けた。政子の一途さがいつどこで生まれ、ついに報われるかどうかが読みどころの一つ。

 ──
 紀元前一世紀の中国、前漢の時代。総身を天子の黄色づくめにしたしゆの男が現れ、前帝の太子だと厳かに宣言する。朝廷はもちろん、国中が騒然とする中、事態の解決を命じられたのは「日本で言えば徳川幕府の江戸町奉行」にあたる不疑だった。歴史ミステリーともいえるスリリングな展開は、作者がせいひつな世界ばかりを描いてきたわけではなかったことを改めて実感させる。

 前漢時代の中国から幕末まで、葉室さんの描かれる舞台は実に幅広かった。作家生活の後半生は中国史の研究に余念がなかったといわれているから、「不疑」はこれから始まる新たな葉室さんの世界のさきがけとなる作品だったのかもしれない。
 葉室さんは作家になる前は長く新聞記者をされていた。作家と新聞記者とはいかにも葉室さんらしいが、そのゆえに葉室さんは二人分の人生を歩まれたともいえるのではないだろうか。
 葉室さんの作品がリアリティに満ちているのは、全編が卓越した知識に裏打ちされていたからだというのは今さら言うまでもない。だがそれだけでは、トラウマに苦しむ沖田総司や、人の目を痛く感じる北条政子の姿はリアルには映らない。
 新聞記者とは日々、“事実は小説より奇なり”を目の前で見続けることだともいえる。葉室さん自身の人生には、たとえば家族を憎悪するしかない地獄も、相手を殺さなければこちらの命が奪われる戦場もなかっただろう。だが新聞記者だった葉室さんは、まさにそんな闇の真っただなかにいる人たちと何度出会い、そのたびにどれほど共に泣いてこられたか。あの葉室さんなら、どれほど助けたいと考え抜いてこられたか。
 葉室さんの作品のリアルは、新聞記者の葉室さんが作家の葉室さんに与えたものだ。葉室さんの小説からは、登場人物たちのすぐ傍らに立ち尽くし、なんとか支えようと寄り添い続けた葉室さんの姿が見える。

作品紹介・あらすじ



不疑 葉室麟短編傑作選
著 者:葉室 麟
発売日:2024年01月23日

葉室麟が遺した幻の作品が蘇る――。魂を揺さぶる珠玉の短編集
中国の漢の時代、長安の知事と警察長官を兼ねる「京兆尹」という役職があった。謀反を未然に防いだ功によって抜擢された「不疑」は、厳格でありつつも慈悲を忘れず、辣腕と名高い。ある日、天子にしか許されない黄色の隊列を率いた謎の男が宮廷を訪れた。男が反乱によって殺されたはずの皇太子を名乗ったことで、宮廷は混乱の渦に巻き込まれる。書籍化初の中編「不疑」をはじめ、葉室麟が遺した渾身の作品、全6編を収録。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322303000876/
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