先の見えない時代に自分を信じて歩む、売れない作家と編集者。2人の人生が優しく迫る、再生の物語。
『食っちゃ寝て書いて』小野寺史宜
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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『食っちゃ寝て書いて』文庫巻末解説
解説 「書く人」と「読む人」
書く人と、読む人。商品を売る人と、買う人。地下鉄の駅員さんと、乗客。
生活や仕事をする場面、場面で、相手とちがう、「対立項」のような立場になることは多々ある。小説の本=文芸書を作る現場では、書く人と読む人が共に仕事をしている。本書に登場する編集者の
本書は、作家の「おれ」
あくる四月。カジカワの若手編集者で三十歳になる「僕」井草菜種は、横尾成吾と初めて会う。赤峰が異動し、横尾の新たな担当者になったからだ。ボツ直後の引き継ぎという重い初顔合わせだったが、穏やかな横尾にほっとして、新たな書き下ろしをあらためて依頼する。横尾がボツを食らった三月から、菜種が担当編集者になり、この月に新作小説を刊行しようと定めた翌年の二月まで。本書は先の見えない時代に、作家と編集者それぞれが自分らしい生き方を
「書く人」のほう、作家の横尾成吾は、本書の著者、
一方の「読む人」、編集者の井草菜種については、どのように造形されているのか、私には分からない。というのも、一口に編集者といっても、その実は十人十色だからだ。作家の横尾は小野寺さんを彷彿させるが、編集者の菜種のほうは、この物語が形づくられるなかで立ち上がってきた「想像上の人物」と言えるだろう。普段から接している職業の人だからこそ深く描かれ、作中作のような仕掛けや、終盤には意外な展開がある。できるだけリアルに引きつけた私小説的な横尾と、想像上の人物である菜種が、共に一人称視点の主となり、奇数月は横尾、偶数月は菜種と作家と編集者のどちらにも偏らず、分量も対等にして物語が成立している。この構成の妙は、さりげなくもこの小説の「すごさ」だと思う。〈人と人の関係は、いつだって一対一。それ以外はないとおれは思ってる〉横尾が、編集者の菜種と「対」になる。二人が共有した一年間を、対等に分け合って生まれた物語なのである。
五十歳の横尾と三十歳の菜種は、年齢も経歴も立場もまったくちがうが、実は「共通項」がある。それは、「もがく人」である点だ。〈ああ。横尾さんは停滞気味だから、ここらで花を咲かせてくれよ。横尾さんに花を咲かせて、ついでに菜種自身も咲いちゃってくれよ〉と、上司の
作家や編集者には、ライセンスなんてない。プロになってからのボツに落ち込む横尾は、もがく。横尾が書いてきたのは〈日常的なエンタメ〉で、カジカワなど各社から新作の依頼はあるが、無の状態から書き上げていく作家の仕事はいつも暗中模索だ。横尾と菜種の周りにいる人たちもまた、それぞれに生きているから、仕事上でも私生活でも変化が起こる。「打算的な人」との対決もある。〈利用できるものはとことん利用して、いらなくなったら捨てる〉ような向いている方向がちがう人とは、一緒に歩きづらいとお互いに感じて、遠のく。逆に、大切な人だと思いなおす出来事もある。本書で描かれている、人が人として、それぞれに
近刊の『タクジョ!』シリーズ(実業之日本社)では新人女性タクシー運転手、『君に光射す』(双葉社)では警備員と小学校教師など、小野寺さんの小説は、ある職業に就いている人を書くと「仕事小説」、家族を書くと「家族小説」と言われている。しかし本質的には、本書で菜種が横尾について言うように、〈人を書く作家〉だ。人を書くからこそのディテールや会話の連なりは、小野寺さんの小説の読みどころだと思う。本書であれば、最安の電子レンジを運んで筋肉痛になるとか、ゲリラ豪雨で敷ブトンがずぶ
人の日常は、小さなディテールの連なりだ。
〈作家は、たぶん、二種類に大別される。ほかの何にでもなれたのに作家になるのを選んだ者たちと、作家になるしかなかった者たちだ。/おれはまちがいなく後者。時間はかかったが、それでも運がよかった。作家になるしかなかったのに作家になれなかった人たちはたくさんいるわけだから。/おれは何故小説が好きなのか。/答は簡単。すぐに出る。/文字だけで世界を築けるから。一人でそれができるから〉
横尾と菜種が「今」できるのは、「書く人」、「読む人」であること。立場のちがう二人が一緒に仕事をして作る「小説」とは何だろうか? それは、読者が「読む」ひと時を過ごせる場所。生きていれば、何かしらもがかざるを得ない人たちが、社会から一人で“小脱走”できる場所なのだ。できるだけ多くの人が、自分だけのひと時を過ごせる本になるように、立場も考えもちがう二人がやり取りをする。もがいて、怒りだしたいときもあるだろうけれど、作家は書きだす。出会った編集者と意見を寄せ合い、落としどころを探る。融和で生まれる物語がある。
作家と若手編集者が書くこと、読むことに向き合った一年間を描いたこの小説を、ぜひ読んでみてもらいたい。今いる場所から確実に、
作品紹介・あらすじ
食っちゃ寝て書いて
著 者:小野寺史宜
発売日:2023年12月22日
「食う」「寝る」と、もうひとつ大切なこと。
年齢的にも仕事的にも後がない作家の横尾成吾。書くことを何よりも優先して生きてきたが、友人・弓子の思わぬ告白から、今後の自分の身の振り方を考えるようになる。一方、横尾の担当編集・井草菜種は、これまでヒット作を出したことがなく、焦燥感が募るばかり。やがて菜種は、自身同様に停滞中の横尾と本気で向き合い始める。先の見えない時代に自分を信じて歩む、売れない作家と編集者。2人の人生が優しく迫る、再生の物語。
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