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レビュー

壊れやすく愛おしいもの 『壊れやすいもの』

 旧友・金原かねはら瑞人みずひとが文庫版本書の解説を書けという。いつも世話になっているので断れない。でもふさわしい書き手は他に多いだろうに、何故また私などに──そう思いつつ目次をひとめ見て、「あっ」と声が出た。並びのなかほどにある「スーザンの問題」、これはもしや、と慌てて読んでみるとやはりそう。「こういう作品を書いた作家がいるよ、今度送るよ」としばらく前に言っていたのはこれだったのかと、ようやく腑に落ちた次第なのだが、いきさつについては後述することにする。二〇〇九年の単行本発刊の折にはご縁がなかったのだった。
 さて本書『壊れやすいもの』のこと。
 旧友が私に〈推し〉てきた作家は、『白い果実』や『言葉人形』等で知られるジェフリー・フォードに次いで、これがふたり目ということになる。共通点があるとすれば、幻想小説その他多くの部門で数々の賞を受賞しまくっていることだろうか。ニール・ゲイマンはSF・ファンタジー系の作家である由、日本では今のところファンタジー児童小説の邦訳紹介が先行しているようだが(先に送ってもらった文庫版『墓場の少年』もたいへん面白く読んだ)、本書を読めばきわめて活きのよい現代作家のひとりであることがよくわかる。ファンタジーにホラーにSF、怪奇幻想、特にジャンル性のない現代小説まで取り混ぜて、奔放といえるほどバラエティーに富んだ本作品集について、ゲイマン本人の自作解説によればさいしょは連作集として計画していたという。共通のテーマは語り手の〈それぞれの人生〉。しかし連作の計画は早々に頓挫し、個々の話にもっともふさわしい形式を求めるうちこのように傾向のばらけた短篇の数々となった由だが、なるほどこの作家は形式にこだわりがあるのだな、ストーリーテリング重視の作品群からほぼ散文詩か寓話に近い掌編作品まで(はっきり改行した詩作品も複数ある)、実に芸風のひろい作家だなという印象がつよい。ストーリーテラーに徹したジェフリー・フォードとはそのあたりが大きな違いなのだろう。
 といったようなことは実のところどうでもよくて、本書の読者は気に入った作品を幾つも見つけ出す楽しみにふければよいことである。まずは何といっても華やかな「翠色エメラルドの習作」──緑の血液を撒き散らした惨殺死体や、〈ヴィクトリアもしくはグローリアーナと呼ばれる闇のなかの巨大な女王〉のゴスなゴージャスさがとても好きだ。ホームズ+クトゥルーという設定は、いま検索してみるとけっこう例があるようで、あるいは本作あたりが走りであったのかもしれない。ともあれヴィクトリアンとクトゥルーとの〈出会いもの〉の意外な親和性といっては、何しろ触手や軟体や魚の顔やらがコルセットとパニエで凹凸をつけた上にフリルやレースで盛り盛り装飾されるのであるから、好きな者にとってはこれはたまらない。「翠色エメラルドの習作」の女王などはその筋の代表格の存在であるようにも思われるのだが、ただ本作の語り手が「じぶんは作家ではないので、見たものを綿密に描写することはできない」と何度も断っている点が(設定上しかたないにしても)、ちょっと残念に思われるところだ。
 ロマンティックな「十月の集まり」、端正な怪奇小説「閉店時間」、奇妙な味の「形見と宝」、少年の生き生きとした描写が好もしい「よい子にはごほうびを」「パーティで女の子に話しかけるには」などなど、読者それぞれの好みで気に入るものはばらけるだろうけれど──やはりファンタジー・SF系で読み応えのあるものが多い──私などは好みがひねくれているので、「他人」「ヴァンパイア・タロットの十五枚の絵入りカード」「最後に」のような掌編作品の切れ味のよさにもついつい惹かれてしまう。ファンタジー児童小説なども多く手がけている作家とはとても思えないようなシャープなスタイリッシュさがこれらにはあって、そして何が言いたいかというと、「他人」の自作解説部分がちょっと面白いことになっている件について──やはりこのことに触れずにはいられないのである。
 トポロジー構造がコルタサルっぽいとも言える「他人」に関して、これを書いたゲイマン自身が他作家に類似作がありそうだと気にして、いろいろ問い合わせをしたというくだり。そのあと、「他人」と似たような環境で書いたという「地図を作る人」という作が(わざわざ全文)掲載されているのだが──これは作品として発表せず、おまけのカードにのみ用いた旨の詳しい説明がついている──そして〈帝国の実物大の地図〉というイメージであれば、ボルヘス読者ならば「学問の厳密さについて」と題された(その筋では有名な)短文でもってよく知っている。一部分のみ引用しようかと思ったが、何しろ非常に短いので、いっそのこと全文を。

 ……この帝国では地図の作製技術が完成の極に達し、そのため一州の地図は一市全域をおおい、帝国全土の地図は一州全体をおおうほどに大きなものになった。しばらくするとこの厖大な地図でもまだ不完全だと考えられ、地図学院は帝国と同じ大きさで、一点一点が正確に照応しあう帝国地図を作りあげた。その後、人々はしだいに地図学の研究に関心をもたなくなり、この巨大な地図は厄介ものあつかいをされるようになる。不敬にも、地図は野ざらしにされ、太陽と雨の餌食となった。  西部の砂漠では、ぼろぼろになって獣や乞食の仮のねぐらと化した地図の断片がいまでも見つかることがある。このほかにかつての地図学のありようを偲ばせるものは、国じゅうに一つとしてない。 スアレス・ミランダ『賢者の旅』(レリダ、一六五八年)四巻十四章

ボルヘス『汚辱の世界史』中村健二訳より引用

 ゲイマン作品は中国の皇帝の話なので、カルヴィーノかミルハウザーを思わせる魅力的な掌編になっているのだが──、ともあれどうやらそういうことらしく、気の毒ながらついつい頰が緩んでしまう。ボルヘスの件に自ら言及していないのは〈芸〉というもので、これほど出来のよい作のアイデアかぶりはさぞ無念だったのでは。と私は思ったのだが、違うだろうか? この種の経験は作家にはままあることで、かくいう私なども身に覚えがあり(しかも相手は同じくボルヘスだった)同情とともに親近感を持ってしまった。

 そして何より「スーザンの問題」について。
 これは何しろC・S・ルイスの高名な『ナルニア国物語』シリーズ完結篇『さいごの戦い』の壮大なネタばれ作品であるので、さらに言及を重ねるのはどうも気が引ける。が、これからナルニアを読もうという年少読者が本書を手に取ることはまずないだろう。ということで遠慮は捨てることにするが(そうは言っても、ネタばれが厭なかたはここから先は読まないほうがいいと思う)そう、気の毒なスーザンのひどい扱いについて。
 この件に引っかかりを覚えるナルニア読者は昔から多く、「あのひとは口紅やパーティのことばかり」で「もはやナルニアの友ではない」というひどい言い草は、作者C・S・ルイスの女性嫌悪の表れではないかと嫌疑がかかっているほどだ。子ども心にもこれはどうかと思ったものだが、大人になってひさびさに再読すると、気の毒なスーザンのその後の人生が気にかかる。〈衝撃の結末〉がトラウマとなった本でもあるのだが、結果として無残にひとり取り残されたスーザンの(しかも作者も登場人物たちも彼女の存在などすっかり忘れてしまっている)この先の人生を考えると、メンタル・物質両面でハードなものになるだろうことは容易に予想されるので、まるで実在の人物であるかのように気がかりになってしまうのだ。私ごとながらしばらく以前、光文社古典新訳文庫『最後の戦い』(こちらはさいごが漢字表記)の解説を頼まれ、勇んで引き受けたもののまったく力が足らず、あとで金原瑞人を相手に愚痴を聞いてもらったことがあった。スーザンの件にも解説中で触れているのだが、「そういう作品を書いた作家がいるよ──」という金原発言はこの折のことなのである。
 そしてそのときには言わなかったのだが、スーザンの件は確かに短編小説になる、ふさわしい書き手は欧米の女の作家あたりかな、と漠然と考えていたので、男のゲイマンが書いたことはちょっと意外だった。が、それはともかく何というか、気の毒なスーザンのことを気にかけてくれてありがとう、と言いたくなる。ゲイマン、いいひとでは。
 凄惨な列車事故により一家親族全滅したあとのスーザン、ナルニアの夢を見ては冷たいベッドで目覚める年老いたスーザン。辛辣な書きぶりも、根のところに原作への愛あればこそ。ゲイマンは経歴的にも適任だった訳で、それぞれの人生、壊れやすく愛おしいものを扱う本作品集のなかでもこれは特に印象的な一篇になっていると思う。


ご購入&試し読みはこちら▷ニール・ゲイマン 訳:金原 瑞人 / 野沢 佳織『壊れやすいもの』


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