文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説者:宇田川 拓也 / 書店員)
十代の頃には気がつかなかったが、大人になってみたらよくわかる。人生には、そうしたことがいくつもあるものだ。
たとえば、当時は大人たちがアイドルや若いタレントの顔と名前を憶えられないことが不思議で呆れることすらあったが、自分も三十路を迎えたあたりからみるみる憶えられなくなり、いまや顏を見ても誰なのかわからないことが多くなってしまった。
また「不惑」というからには、ひとは四十歳にもなれば迷いを乗り越え、ある程度社会での立ち回り方や堅実な生き方を心得られるものだと思いきや、いざ不惑を迎えてみれば惑うことだらけで、四十代でそのような境地に至る人間の方が稀であることを知った。
そしてなかでも、もっとも重要であるにもかかわらず気がついていなかったことといえば、人生というものは──とくに若いうちは、多少の間違いに躓いてしまったとしても、思いのほかやり直しや修復が可能だ、ということである。
水生大海『教室の灯りは謎の色』は、十代の目線と謎解きを通じてそれを教えてくれる、全五話からなる連作ミステリである。タイトルに〝教室〟というワードが含まれているため、いわゆる「学園青春もの」を想起させるが、本作がユニークなのは主要舞台が学習塾である点だ。
主人公の並木遥は、塾には通うものの、ある事情により不登校を続けている女子高生。彼女が籍を置く「優勇塾」は、一般的な学習塾としての機能だけでなく、通信制高校とあわせて受講する生徒や、高校に属さず高等学校卒業程度認定試験を目指す生徒たちのサポート校のような役割も担っている施設だ。
各話の内容に触れていくと、まず第1話「水中トーチライト」では、遥が近所のレンタルショップへと足を運ぶと、返却ボックスにジュースが流し込まれるという悪質な悪戯が行われたあとだった。すると、平日の昼間に学校にも行かず出歩いている点を不審に思われ、ひとりの刑事に目をつけられてしまう。
そのとき、窮地に陥った遥に助け船を出すのが、たまたま居合わせた「優勇塾」の英語講師──黒澤光彰だ。いつもダボついているのに袖が短い、サイズの合わない古びたテーラードジャケットを羽織っていて、さっぱり愛想もないが、長い前髪の下にはシャープな輪郭と通った鼻筋、薄い唇を備え、遥が「へえ、この人思ったよりイケメンだ」と驚くような顔立ちを秘めた、二十代にも三十代にも見える謎めいた人物だ。
物語はいずれも、遥の視点で語られる「優勇塾」で起こった事件や関係者が絡んだ謎を、黒澤が名推理で解き明かしていく形になっている。
いきなり序盤から悪戯の犯人として疑われてしまう遥だが、このあと物語は、遥の家庭の事情、レンタルショップの防犯カメラに映っていた遥の高校の制服を着ていた犯人の動機、塾での思わぬ人物との再会を経て、遥自身の深刻な問題へとフォーカスしていく。遥が大きな決断を下したのち、黒澤がシニカルな笑いを浮かべて発する台詞は、本作のテーマを深く印象づける名言だ。
第2話「消せない火」は、夜の二コマ目の授業が終わったあと、四階の廊下にあるエンカレッジ生専用掲示連絡スペースで発生した小火をめぐる一篇。犯人捜しに乗り出した遥は、ある人物に着目して調査を進めるが、遥の迷推理に対して黒澤はまったく異なる真相を真犯人の前で披露する。作中の言葉を引用すると〝贖罪を求める気持ち〟とは、場合によっては捩れが生じ、人間を再起から大きく遠ざけてしまう危うさがあることを痛感させられる。
続くふたつのエピソードは、収録作のなかでもとくにミステリとしての魅力にあふれ、終盤で黒澤の講師らしからぬ〝教え〟が若者に変革をもたらす好篇だ。
夏期講習中、黒澤の補助に入った生徒ウケのいい臨時講師とひとりの男子生徒との確執が描かれる第3話「彼の憂鬱、彼の選択」は、臨時講師の財布から一万円札が抜き取られる事件に、黒澤が推理だけではない意外な活躍を見せる。
生徒が夜の教室に閉じ込められた一件をめぐり、先週末に開かれた映画鑑賞会でのひとの出入りが事件解決のカギとなる第4話「罪のにおいは」は、生徒や講師たちの証言やアリバイ、物証を精査し、真相へと近づいていく過程が大きな読みどころだ。
そして第4話での、遥が〝予想もしなかった〟──と述懐するラストを受けて始まる最終話「この手に灯りを」は、遥との関係が深い女子生徒が巻き込まれた事件の顚末とあわせ、第1話の続編的な趣向を備えた読み応えのある内容になっている。
物語当初「息が苦しい」と感じていた状況を遥は、のちに〝水の中に閉じこめられて溺れそうになっていた〟と表現する。同じような苦しさや辛さを若い時分に経験したことのある、あるいはまさにいま感じているという向きも多いことだろう。
この息苦しさの正体とは、いったい何なのか。
それはきっと、間違わないように、躓かないように、道を外れないように──という、あたかもなにかひとつでも失敗すれば取り返しのつかないことになりそうな空気と意識から生み出されたものだろう。つまり、ひとには思っているよりも逃げ場があり、やり直しができることを見失っていたために感じていた、いってしまえば「いらぬ心配」である。そう思えることで、またそれを大人たちが示すことで、ラストの遥のような強い気持ちを胸に前を向くことができる若者たちはたくさんいるはずだ。
著者・水生大海は、非道で醜い人間の負の面を読み手に突き刺すダークな物語も、ライトなテイストに乗せて心が温まるような物語も自在に紡ぐ才能豊かな小説家だ。その手から生み出された数々の作品のなかでも本書は、まさに人生に寄り添い、進む先を照らす〝灯り〟となって、末永く愛される一冊となることを確信している。
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