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レビュー

京極夏彦史上最長!現代ニッポンのモヤモヤを愉快な妖怪たちが明るく吹き飛ばす『虚実妖怪百物語 序』

 かつて東京を壊滅寸前まで追いやった魔人・加藤かとう保憲やすのりが、二一世紀に復活。この国を荒廃させるため、暗躍を開始する。加藤の計略によって人びとの心から余裕が失われ、妖怪とそれを愛してやまない「妖怪馬鹿」たちに未曽有の危機が訪れる<2014>。

虚実うそまこと妖怪百物語』は「百鬼夜行」シリーズや巷説こうせつ百物語」シリーズで高い人気を誇る現代の戯作者・京極夏彦さんが二〇一六年に発表したエンターテインメント小説だ。
 原稿用紙に換算して約一九〇〇枚。京極史上最長を誇るというこの巨編は、妖怪専門誌『かい』に二〇一一年から足かけ六年にわたって連載され、若干の加筆修正を経て、『序』『破』『急』全三巻からなる単行本として刊行された。本書はその文庫版の第一巻である。
 もしあなたが作品本編を読み終えたばかりなら、都内の出版社で発生したショッキングな事件を目の当たりにし、先が気になっているところだろう。だとしたらこの解説など遠慮なくスルーしてもらって構わない(僕が読者でもそうすると思う)。ここからの数ページは『破』の前に一息入れたいという方に向けての、ちょっとした休憩時間のようなものだ。

 角川書店の『怪』編集部でアルバイトとして働く榎木津えのきづ平太郎へいたろうは、同誌編集長の郡司ぐんじさとしとともに調布ちょうふにある水木プロに向かった。彼ら妖怪愛好家が尊敬してやまない水木しげるから、緊急の呼び出しがかかったのだ。
 憧れの水木プロに足を踏み入れてひそかに舞い上がる平太郎だったが、水木の用件は決して明るいものではなかった。「妖怪の危機」が目前に迫っているというのである。水木の鋭敏な感覚によって長年捉えられてきた、目に見えないものたち。それが日本から急速に失われつつあるという。「このままではあんた、ニッポンはおかしくなりますよ」と水木は叫ぶ。
 というのが、この長い物語の導入部分である。
 一読して明らかなとおり、本作は実在する人物が本人役として登場する「実名小説」だ。水木しげるはいうまでもなく、「邪悪な五月人形」のような郡司聡も、『怪』の寄稿者として平太郎が名をあげている村上むらかみ健司けんじ多田ただ克己かつみも現実に存在する人物。他にも『怪』の関係者を中心に、数え切れないほど多くの作家・編集者・研究者などが実名で登場し、物語を彩っている。
 ついでにいうなら、具体的な社名とともに描かれる出版業界のディテールも極めてリアル。たとえば角川書店で働き始めた平太郎が、『怪』を編集する部署がないことを知って驚くくだりがあるが、あれも事実を忠実に写している。
 では、本書は現実をあるがままに描いたノンフィクション・ノベルなのか。もちろんそうではない。黒幕として不気味な動きを見せる加藤保憲は、もともと一九八〇年代にベストセラーとなった荒俣宏『帝都物語』に登場するキャラクターだし、日本各地で妖怪パニックが発生し、妖怪愛好家たちが巻きこまれるというストーリー自体、虚構性が高いものだ。
 本書のユニークさは、著者の周囲に存在する「現実」を作品の主要パーツとして用いながら、壮大なスケールの「虚構」を紡ぎ上げてしまった、その虚実の接続具合にあるのだと思う。映画に喩えるなら、プロの役者をほとんど使わず、あえて身のまわりの人と風景で超大作を撮ったようなものだ。普通なら目も当てられない結果になるところだが、そこは妖怪関係者たちの際立った個性と、京極さんの圧倒的な情報処理能力によって、見事に斬新なエンターテインメント小説として成立している。
 さて、水木しげるの不吉な言葉を裏づけるように、おかしな事件が『怪』関係者に起こり始めていた。ライターの村上健司とレオ☆若葉は、取材のために訪れた信州で、現れては消える尋常ならざる少女に遭遇する。一方、小説家の黒史郎は知人女性から、ミクロネシアのマイナーな妖怪につきまとわれているという相談を受け、困惑していた。妖怪研究家の多田克己は史跡巡りをしていた浅草で、江戸時代の奇談随筆そのままの特徴をもった妖怪を目撃し、興奮する。
 本来、目に見えるはずのないものが、突如姿を現し始めた日本。妖怪騒ぎは全国に広がり、マスコミでも大々的に取りあげられるようになってゆく。
 これまで京極作品に親しんできた読者ほど、こうした展開には驚かされることだろう。『姑獲鳥うぶめの夏』のデビュー以来、京極さんは好んで妖怪を扱い、その作品はしばしば「妖怪小説」とも呼ばれてきた。しかしそれはあくまで「妖怪についての小説」であり、妖怪そのものを正面から描いてはいない。たとえ妖怪の仕業にしか思えないような出来事が描かれたとしても、やがて合理的に解体されてゆく。
 ところが、本作でははっきり目に見える形で、呼ぶ子やしょうけら、一つ目小僧といった妖怪たちが現れてくる。手に触れられるし、カメラで撮影すらできる。名だたる妖怪愛好家たちが、次々と妖怪に遭遇してゆく本作の展開は、「この世には不思議なことなど何もない」という有名なフレーズに象徴される京極作品のルールを、大きく逸脱しているようにも見える。この異色の試みにこめられた著者の意図とは? それは『破』『急』と物語が進むにつれて、少しずつ明らかになってゆくことだろう。

 単行本刊行時のインタビューによれば、この小説はもともと二〇〇五年公開の映画『妖怪大戦争』のために作られた原案がベースになっているという。
『妖怪大戦争』は三池崇史監督、神木隆之介主演で製作された妖怪アクション映画で、京極さんも水木しげる、荒俣宏、宮部みゆきと結成した「プロデュースチーム『怪』」の一員として、プロデューサーに名を連ね、原案などにも携わった。

何人もの関係者がアイデアを出し合って、僕がまとめたりしたんですが、荒俣さんと加藤保憲が戦うとか、日本中に妖怪が湧いてエライことになるとか、『怪』をはじめとする妖怪関係者が大挙して登場するとかいう冗談みたいなところは、たぶん僕が考えた案ですね。色々あって映画はずいぶん違うものに変えちゃったんですが、馬鹿馬鹿しい小ネタは今でも結構面白かったりするんで、じゃあ小説に使ってみようと、小説用に骨子を組み直したのが今回の作品です

『ダ・ヴィンチ』二〇一六年一二月号

 こうした経緯で「馬鹿馬鹿しい小ネタ」は、そのまま本作に流用されることとなった。加藤保憲がゲスト的に登場するのも、こうした事情によるものだ(映画『妖怪大戦争』にも加藤は登場する)。
 もっともそんな成立背景を知らなくとも、この小説は十二分に愉しめるはずである。一癖あるキャラたちが延々おしゃべりを続け、ページ狭しと駆けまわる本作には、一種独特の熱気があり、読者を引きこまずにはおかない。こうした祝祭性は『破』においてますます高まり、『急』では思わず唖然、とするようなレベルにまで達してゆく。
 本作で描かれているのは、人びとが心の余裕を失ってしまった時代だ。互いに監視し合い、気に入らないものにはバッシングを加えるいやな時代。著者にその意図はなかったにせよ、こうした描写は現実の世相とあちこちで響き合い、読者を暗い予感に誘う。
 それでもこの小説が愉しさと軽妙さを失わないのは、キャラクターの言動によるところが大きい。レオ☆若葉をはじめとして、本作のキャラクターはほぼ全員が「馬鹿」である。ここで言う馬鹿とは罵倒語ではなく、世の中で無駄とされていること、くだらないことに関心を抱かずにはいられない人たちの意だ。作中の荒俣宏の台詞を借りるなら「無駄とどう付き合っているか」の問題であり、彼らが愛する妖怪はそうした無駄の最たるものだ。
 作中、どんなに危機的な状況が訪れようとも、馬鹿たちは馬鹿であることをやめない。そして馬鹿なりに工夫を凝らし、暗い世相になんとか一矢報いようとする。同じく馬鹿の一人である僕などは(解説のご指名を受けたのも、きっと「馬鹿枠」ということなのだろう)、こうした馬鹿たちの奮闘ぶりにいたく感動してしまった。
 本作にも重要なキャラクターとして登場する水木しげるは、「怠け者になりなさい」「けんかはよせ腹がへるぞ」などの箴言しんげんで知られる、幸福学の探求者でもあった。水木は二〇一五年、本作の完結を待つことなく世を去ったが、その幸福学のともしびは京極さんにしっかり受け継がれているように思う。見えるものと見えないもの、うそまことについて語った『虚実妖怪百物語』では、ぎすぎすした世の中をより愉快に生きるためのヒントが、馬鹿たちの呆れるような駄洒落や笑い声やオタクな小ネタに混じって、温かい光を放っている。

 というあたりで、休憩時間はそろそろ終了である。
 第二巻にあたる『破』ではいよいよ京極さん本人が登場。一連の事象について考察をめぐらせる一方で、日本中の妖怪愛好家たちに命の危険が迫る。波瀾万丈、胸躍る妖怪エンターテインメントの決定版。どうぞ引き続き、お楽しみください。

>>『虚実妖怪百物語 序』書誌情報へ
>>『序/破/急』合巻版はこちら


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