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レビュー

遺骨にも、「供養期限」があってもいいじゃないか!『地球上の全人類と全アリンコの重さは同じらしい。』

「オールフリーの話を自由に書かせてもらうと話はどこへ飛んでいってしまうかわからなくなるのが常なのだ」と椎名誠自身が書いているように、この本は、「やわらか頭のくねくね思考」で、森羅万象にわたって自由奔放、融通無碍(ゆうずうむげ)につづられたエッセイである。
 椎名さんの文章を読んでいると、書くことは旅することに似ていると思う。
 書いている本人が最初から行き先がわかっている場合もあるし、書いているうちに辿り着く場所がわかってくる場合もある。
 もちろん本人の性格や資質によって旅の仕方は違うし、同じ書き手でもテーマや気分によって、その旅(=文章)の行方は変わってくるだろう。
 いろんなところに寄り道し、素敵な偶然に出会ったり予想外のものを発見したりして(セレンディピティ)、目的地が変更になることだってあるだろう。
 旅をすみかとする椎名さんの、まるで人生のようにくねくねとしたワインディングロード的なエッセイはじつに楽しい。リズミカルで含羞(がんしゅう)のある文体に身をゆだねて漂いながら、ふと気づくと、思わぬところに行き着いているのだ。
 きっと椎名さんは「あれこれ考えてるうちにひり出してしまった、頭の排泄物だよ」とはにかみながら言うかもしれない。
       *   *   *
 さて。この本でとくに注目したいのは、椎名さんの「水」と「死」に対する関心の強さだ。
 ぼくは永年、ウイスキーやビールを製造販売する「水商売」の会社に勤めていたので、「水」にとても興味がある。小説も「水」まわりのことを書いているので、余計そのあたりに反応するのかもしれない。
「水」は地球の生命を育んできたけれど、ひとの無意識のなかでは「死」の象徴にもなる。「水」にはそうした両義的な意味あいがあって、そこが大いなる魅力なのだ。
 椎名さんは「ほらホウキ星が氷を売りにきたよ。」のなかで、世界でまれにみるほど水資源に恵まれた日本を語りつつ、その日本の水が危機に(ひん)していることに警鐘を鳴らす。
 そして、東日本大震災による原発事故がおこって、最悪の飲料水・海洋汚染がはじまり、大きなショックを受けたという。
「海は広くもなく、大きくもない」と思い知らされたのだ。
 その後、話は子ども向けに書かれた『地球がもし100cmの球だったら』という本にうつっていき、椎名さんはこう書きつづる。

 地球が100cm、つまり直径一メートルだったらそれを覆う大気は一ミリしかないのだ。一番高い山エベレストは〇・七ミリ。一番深い海溝は〇・九ミリしかない。そして海の平均の深さは〇・三ミリしかない。青い水惑星の水は驚くほど貧弱なのだ。  この惑星の水の全体の量は六百六十CC。その殆どは海水で、淡水はわずか十七CC。そのうち十二CCは南極や氷河などで凍っており、循環している淡水は五CCしかない。スプーン一杯の量である。 (中略)福島の原発が海に流した放射能汚染された水のことについて考えよう。当事者や政府は「海は広くて大きいから……」と言っているが、微視的にみるとけっしてそんなことはない。いままで述べてきた直径一メートルの地球では平均〇・三ミリの深度しかないのだ。これが海岸沿いになればミクロン単位の深さでしかなくなる。

 このたとえには、後ろから頭をガーンと殴られたくらい驚いた。
 たったこれっぽちの地球の水が、放射能でメチャクチャにされてはかなわない。
「原発関係の科学者がみんなバカなのか幼稚な嘘つきなのかよくわからないが、今こそ彼らに児童むけのこの本を読ませるべきだろうと思った」という椎名さんの意見に、もろ手をあげて賛成する。
 そのあと椎名さんは「しかし、地球の水は定量で完結している」と続ける。
 超ミニ地球の淡水十七CCはずっとそのまま。ほんとうに限られた水なのだ。
 世界各地では加速度的に水が汚れ、その一方で人口が増えつづけ、国家的な水不足がおこっている。
 水の豊かな日本ではあちこちの山林が外国企業に買われ、良質な水が盗まれているという憂欝な事実を椎名さんは指摘する。
「何も足さない、何も引かない」地球の水の量。
 しかし、宇宙からはどんどん(ちり)宇宙塵(うちゅうじん))が降ってきているらしい、という話から、いよいよシーナ的発想が全開になる。
 ――雨以外に水は天から降ってこないのかな?
 というシンプルな疑問から、その奇想天外なアイディアはきっとスタートしていると思うのだが、この話のゆくえは、ご一読のお楽しみということで――。

       *   *   *
 それと、水関連の話でおもしろかったのは、「カリブー丼屋をはじめたら一キロの行列ができるのだ。たぶん。」の中で、川と排泄物のことを書いたくだりである。
 椎名さんはこう書く。

 ぼくが世界の食でときおり深く考えることのひとつは自分もはいりこむ食物連鎖である。たとえば、人間の排泄物で育っている養殖系の魚介類はけっこう沢山ある。アジアの川など旅すると、川ぞいにある高床式の食堂の便所はたいてい川にむかってタレ落としになっているが、飛び散った人間の糞便の残りに大きな川エビなどがとりついて食べているのなど当たり前に見る。その川エビがいましがたその食堂で食べたやたらに安いエビにそっくりだったりする。そのくらいの連鎖関係は当たり前、という対応はできるが、インドを旅していたとき、カレーの濃厚味にだんだん胃が疲れてきてしまったときがあった。  そのとき魚のフライものの衣をはがし、それに塩などかけて食べると胃にそこそこ優しいことに気がついた。

 しかしバラナシにやってきて、ガンガーに毎日沢山の葬儀死体が流れてきているのを見て、それが何千年も前から続いている民族の習慣であること。それらの遺体はやがてガンガーに沈んでいくが、ガンガーにはそれらを捕食している魚が長期にわたっていっぱいいること。ぼくが食べていた魚の殆どはガンガーで捕獲されたものであること、などに気がついたとき、自分が人間をも含んだ食物連鎖のなかにかなりの確率で濃厚に参加していたことを知った。

「ウンコ→エビ→人間→ウンコ」という狭い連鎖のみならず、椎名さんが「人間の遺体→エビ→人間→ウンコ→エビ→人間→人間の遺体」という連鎖に、はたと気づくくだりである。
 そのとき、食物連鎖のすがたを人間にさりげなくさしだす水のやさしさのようなものを、きっと椎名さんは感じていたのでないか。
 すべてのものが「つながっている」という感覚を、エラソーに言わないところが椎名さんらしい。
 話はちょっとそれるが、バラナシのシーンを読んでいて、ぼく自身がガート(川岸の沐浴や葬礼の場)に行ったときのことを思い出した。
 おどろおどろしい火葬場を想像していたのだが、いざその場に行ってみると、雲ひとつない青空の下、お祭のような騒々しさのなか、遺体を焼く煙とにおいは、まるで焼き鳥屋のようで、妙に食欲を刺激されたのだった。
 その後、焼き鳥屋で「焼き場」と言われると、どうしてもあのガンガーの川べりのにぎわいが頭に浮かんでくる。
       *   *   *
「なぜ賞味期限があるのに供養期限がないのか。」というエッセイは、人口過剰ならぬ「お(こつ)」過剰問題をかかえるこの国を考えるもので、「死」と「葬送」「供養」について、軽やかに深く書かれている。
 骨壺(こつつぼ)に詰め込まれ、お墓という閉所に入れられること自体、椎名さんは我慢がならない。「死んだあとは『解放』とか『ご褒美』とか『安息』などというものがもっと優しく待っていてくれていいじゃないか」と思うのだ。
 チベットの鳥葬、モンゴルの風葬、インドシナ半島やアフリカのジャングル葬などはすべて墓がないことを引き合いに出しながら、お骨を永代供養する日本の風習を考え直すべきではないかと訴え、食物に「賞味期限」があるように遺骨にも「供養期限」を作ってもいいのではないかと提言する。
 そうして、供養期限をすぎた骨をどうするかについても素晴らしい実例をあげている。
 そのあたり、ぜひ、熟読玩味(がんみ)していただければと思う。

 このエッセイ集を読むと、椎名さんの世界観や自然観がよくわかる。
 動物は植物になり、植物は動物になり、ひとと生きものの境はいつしかおぼろになっていく。水や岩や星もふくめ、すべてのものに「いのち」があると椎名さんは考えているんじゃないかと思う。それは、まさに、草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしつかいじょうぶつ)の感覚だ。
 椎名さんは世界各地を旅しながら、つねに「いのち」をめぐって考え続けている――本書を読んで、あらためてそのことに気づかされたのである。


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