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レビュー

〝幻の十一代将軍〟徳川家基の急死――鍵を握るのは、突如出奔した側近の書院番だった『葵の月』

 本書は二〇一六年に刊行された『葵の月』の待望の文庫化である。再読にかかわらず一気に読めた。考え抜かれた絶妙な構成と、スリリングな展開に思わず引き込まれてしまったからである。改めて作者の底力を感じた次第である。
 作者は二〇一五年に『ヨイ豊』を発表、歴史時代作家クラブ賞作品賞に輝やくと共に、直木賞候補作にも選ばれた。その後の活躍が目覚しい。単発ものが『北斎まんだら』、『墨の香』、『赤い風』、最新作『お茶壺道中』と続く。加えて、シリーズものの「御薬園同心 水上草介」の第三巻『花しぐれ』、「摺師安次郎人情暦」の第二巻『父子ゆえ』、「みとや・お瑛仕入帖」の第二巻『五弁の秋花』、第三巻『はしからはしまで』を刊行している。先に紹介した単発ものは、いずれの作品も高い完成度を示した力作であるし、シリーズものも着眼の鋭さと、密度の濃い人生ドラマを切り取った優れた市井人情ものが並んでいる。目をみはるような旺盛な筆力を示したもので、最も旬の作家の一人と言えよう。
 本書は歴史に記された事実の底にある真実を、独特の論理で再現した話題作――『一朝の夢』、『みちのく忠臣蔵』、『ふくろう』、『連鶴』――の中でも、際立った特徴をもつ手法を採っている。その点から解説していく。
 安永八年(一七七九)二月二十一日。将軍の嗣子である家基は品川の新井宿へ鷹狩りに出た。ところが家基は、茶を喫した直後、にわかに不調を訴え、手を尽くしたが、容態はみるみる悪化し、二十四日、息を引き取った。次期将軍が、急死したのである。これが物語の発端である。当然、将軍継嗣問題が浮上してくる。
 将軍継嗣問題には、八代将軍や十四代将軍の座をめぐる熾烈な争いを見ればわかるとおり、究極の欲望渦巻く政治ドラマが現出する。作家にとっては恰好の題材である。要するに継嗣問題をどう扱うかに、作家の歴史観が現れる。
 作者のスタンスは明確である。「本の旅人」(二〇一六年五月号)の刊行記念インタビュー「謎多き〝幻の十一代将軍〟徳川家基の謎」の中で、次のように話している。

「家」の字を継ぎながら将軍になれなかった唯一の人物で、その死にも謎がありますから、家基という人が以前から気になっていたんです。期待されていた人が、暗殺なのか、病死なのか分からないまま亡くなったのは、物悲しくもあります。それで家基を題材にして書くことにしたのですが、その死の謎を解くというより、その死にかかわった人たちの悲哀を描くことを中心に据えました。

事件そのものより、事件で迷惑を被った人や、被害を受けた人に興味があります。だから巻き込まれキャラが多くて、今回の志津乃や平八もそうですね。事件に巻き込まれた主人公が、何かを得たり、考えたりする物語を作るのが好きなんです。

 この発言でわかるように、作者の関心は事件を克明に描くことにあるわけではなく、巻き込まれざるえなかった無名の人々を配役することで、人と社会がどう変化していくかにある。つまり、無名の人を事件に参画させることで、作者自身も歴史に参画するという意図がある。ここに時代小説だからこそ書ける現代的意義があり、作者の時代小説に込めるメッセージを読み取ることができる。
 第二の特徴は、冒頭で「考え抜かれた絶妙な構成」と評したように、ミステリー仕立てにした構成にある。次期将軍の家基の謎の死が発端だけに、この死の謎をめぐる物語となれば、読者を引き込みやすいミステリー仕立てにするというのは容易に想像できる。ところがここから先が一筋繩ではいかない作者のこと、工夫を凝らした構成をとっている。
 そのひとつが死の謎に迫っていくプロセスを、事件に関った人間の特徴あるエピソードを描くことで、つないでいくという手法である。つまり、七つの章を設定し、登場人物七人の関わり方や、この事件によって生じた喜怒哀楽を描く短編連作的な構成である。各章がジグソーパズルのワンピースとなっており、それをひとつひとつはめていくことで謎が徐々に明らかになっていくという趣向である。これがスリリングな展開の原動力となっている。加えて、この手法により奥行の深い展開を満喫できるメリットも生み出された。
 これが物語に誘う主動線とすれば、もうひとつ動線を設けている。その鍵を握っているのが、家基の死を切っ掛けに突如失踪した坂木蒼馬のかつての許嫁いいなずけである立原志津乃の存在である。志津乃の心の内は突如失踪した蒼馬に対する想いと哀しみで満ちている。この志津乃が失踪の真相を知るため、蒼馬を捜す決意をする。作者はこのくだりを次のように記している。

「いいえ、わたくし自身のためです」  昼間も月は空にある。隠れているわけではない。ただ、探そうとしないから、眼に入らないだけだ。 「志津乃さま」  平八が掏摸を押さえつけながら、志津乃を見上げる。 「せっかくの雛の市ですもの。男雛を捜しに」  志津乃は、そういって微笑んだ。

「昼月――立原志津乃」

〝昼月〟の比喩で志津乃の心の内を照射し、〝男雛〟で探索行の始まりを示唆する見事な描写である。死の謎を追うプロセスに、志津乃と蒼馬の恋愛ドラマを注入することで、二つの動線が補完しあう構成を考案したのである。幕開けに「昼月――立原志津乃」を置き、終幕に「葵の月――坂木蒼馬」を置いたのも物語に厚みを加える狙いである。奥行の深さに加え間口も広くなり、読者は物語に没頭することになる。
 第三の特徴は、〝月〟をモチーフとしていることである。この理由について前掲のインタビューで次のように答えている。

そうです。最初に浮かんだのが、本のタイトルにもなった「葵の月」です。葵は徳川家の家紋として有名ですが、六月を表すものなんですね。そこから派生させて、「月」が関係する言葉を選んでいきました。主人公が抱えている苦悩を「月」で表現するのは楽しい作業でしたし、「月」が付く言葉を探していて、人物像を作ったこともありました。月には「陰」のイメージもあるので、主人公たちの影の部分が次第に明らかになる物語には、向いていました。

〝月〟は、古代から人間の生と死の営みを見つめてきた身近な存在であった。太陽に対する位置関係によって新月・上弦・満月・下弦・月蝕等の位相現象が生じるわけだが、それらは人の生と死の営みの比喩や象徴として活用されてきた。和歌で好んで使われる「花鳥風月」「雪月花」は代表的な例と言える。
 作者は「葵の月」に触発され〝月〟に着目し、想を練った。その結果、出来上ったのが事件に関った登場人物の現在を、月の現象で包み込む手法である。この狙いは多大な効果を発揮した。
 例えば、次の二編は〝月〟のモチーフが、巧みに活かされ圧巻の出来である。「月日星――水沢孝安」は、謎を追う孝安の思考と行動を丁寧に描くことで、良質のミステリーに仕立てている。特に、月日星の意味に気付く条りは、物語が佳境に入りつつあることを告げる仕掛けとなっている。「月隠り――池原雲伯」は、本書の中で最も緊迫感の溢れた優れた章である。毒に魅せられた権勢欲の強い雲伯の異常な生きざまを〝月〟が持っている〝陰〟のイメージを月こもりとして、それをモチーフに人物造形するという手法が生々しい印象を引き出す結果につながっている。雲伯は実在の人物だけにリアルさが際立っている。
 では、作者は本書で何を伝えたかったのであろうか。それを考えてみよう。本書が三つの手法を駆使することにより、時代を想像力のレベルに移し替え、埋もれていたかもしれない真実を再現したものであることは確かである。
 真実とは何か。作者はいくつかの問題を仕込んでいる。一つ目は、継嗣問題の陰で蠢く権力争いの構図である。その構図の末端には上役の命令で謀略に加担する人間がいる。さらにその謀略の犠牲となる社会的弱者がいる。二つ目は、権力者がいくら隠そうとしても〝秘密〟は露顕する。人の口を媒介して秘密は拡散する。いずれも現代と変わらぬ人間の習性である。
 要するに、作者が描きたかったのは、勝者によって書かれた歴史に対し、無名の人々を歴史(事件)に参画させることで、小説が描き出す世界がより真実に近いかもしれないという可能性である。この可能性を説得力のあるエピソードで綴ることが時代小説の持つ現代性と言っていい。
 本書を含めた一連の作品で、作者はその可能性を広げてきたのである。作者登場の意味はそこにあると考えている。本書によって作者の独特の小説作法はさらに円熟味を増しつつあることが証明されたのである。


ご購入&試し読みはこちら>>梶 よう子『葵の月』


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