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レビュー

山――反文明としての異界 『山の霊異記 霧中の幻影』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説者:かつみね とみ / 編集者)

 古来、山では怪異な出来事が起きやすい。
『遠野物語』を引き合いに出すまでもなく、日本の民俗伝承から文芸作品に至るまで、山での不可思議な体験が語り継がれ、記録されている。それは科学的な思考を得る時代以前の人々の前近代的な強迫観念に起因する過去の妄想・迷信だと片付けられるものではない。
 わたしが以前編集担当させていただいた『さんかい 山人が語る不思議な話』(田中康弘 山と溪谷社)は、「現代版遠野物語」というキャッチと相まって、10万部を超えるベストセラーになった。その後、続編も二巻刊行されて累計20万部に近いヒットシリーズとなっている。
『山怪』は、登山者でなく、山に暮らす現代の人々が経験した「山での不思議な体験」をフィールドワークしてまとめたものではあるが、そこで語られているのは『遠野物語』の昔ではなく、近現代の「山」での出来事なのである。それが、老若男女多くの読者に共感を得て読まれたということは、いまも日本人の心の内に、「山」は「怪異の起きる場所」として認識されているということの証左である。

 なぜ、日本の山では、怪異が起きやすいのか。
 多くの怪談が紡がれた江戸の昔、怪異は人が密集する長屋の角よりは、大川のほとりや街外れの辻や橋など周縁部で起きやすかった。山は、さらに中心から離れた場所である。郊外といえども夜中まで光が満ちあふれた現在、怪異は光が及ばない周縁部としての山で孤塁を守っている。
 怪異の多くは、夜起きる傾向にある。なぜだろうか。
 それはあたりがよく見えない状況を意味する。山はそもそも起伏が複雑で、昼日中といえども深い森や藪に分け入れば、数メートル先に何があるのかもわからない。ましてホワイトアウト(吹雪や濃霧につつまれた状態)の雪山などは方向感覚がおかしくなるほどである。山という場の属性である、この「遮蔽性」が、怪異の出現と関係しているのではないか。
 人間の最も有効な知覚である視覚を遮られることが、山で怪異が起きるひとつの要因ではないかと考えている。遊園地の薄暗いお化け屋敷で物陰からお化けが出てくる恐怖に近い。ものが見えにくい条件では、視覚で対象や状況を科学的に観測し、分析することが困難だ。
 また、現代では山村や高山帯でも携帯電話の電波が通じていることが多く、GPS機能の付いたスマートフォンで現在地が特定できることもめずらしくない。しかしいまだに、標高の低い山のハイキングコースですら、ちょっとした谷間に入れば、電波が入らない場所は多い。空間的に遮蔽されて視覚を遮られるだけでなく、文明の利器も頼れない。そんな前近代的な条件では、日ごろは眠っている人間の怪異を感じるセンスが敏感になる。
 山とは、科学的認識や文明の利器が有効に働かない場なのである。
 通常の生活圏では、科学的認識に立脚する現代の文明というバリアが人々の日常を保護しているが、山とはそれらが充分に機能しない場であり、それが現代における山という場の特殊性である。
 いっぽう、海には海の怪異があるが、穏やかな海上や海辺での怪異の出現の機会は山よりは少ないのではないだろうか。いだ海は視界が開けていることからくる安心感があり、大海原といえども現代ではGPSで現在位置は正確に確認できる。海の怪異は、夜や嵐、漂流中などの報告が多い。
 もちろんいまだ深海は未知の領域で、そこには人類として自然への畏怖の感情が遺されているように感じるが、なにぶん深海域は、直接的な体験が得られないので、怪談も生まれにくい。しかし、山には入るのは簡単だ。
 日本の山は、ヨーロッパアルプスやヒマラヤの山岳のように人を寄せ付けないけんな山岳は限られているのが特徴である。日本アルプスでさえも、万年雪に覆われる場所はわずかである。山に人間が入りやすい環境だといえる。一部の高山帯を除いて、深い森林や樹木に覆われており、湿潤な気候は濃い霧を発生しやすく、日本海側の山地では、冬季には降雪積雪につつまれるものの、人間の活動を拒絶するほどの苛烈な自然環境ではない。
 事実、昔から山には多くの人が入ってきた。いやむしろ、登山者を除けば、昔のほうが山に入る人の数は多かった。冬は豪雪に覆われる地域でも、雪解けとともに、山の民は山に分け入って、生活のかてを得ていた。積雪期ですら、マタギは山に入って狩りを行ってきたし、残雪を利用して無雪期には入りにくい藪で覆われた山奥まで縦横に駆け巡って活動の域を広げた。
 日本は高峻な山岳は限られるものの、ほぼ全土が山地に覆われている。猟師ならずとも、ひとつ隣の集落を訪ねるのでさえ、やまを辿って峠を越えていかなければならなかった。山の生活者だけでなく、近代的な交通インフラのなかったころは、ひじりなど諸国を遊行する宗教民や芸能民、広域を移動する商人なども、徒歩で深い山路に入る必要性があった。
 一部の都市生活者を除き、日本人の多くは日常的に山に入り、山の怪異を感受して暮らしてきた。こういった山と人との関係性や親和性の強さから、数多くの山の怪異が報告されることとなり、それらをそくぶんした文学者たちや無名の伝承者たちは、芸術の域に達する、深い精神性を帯びた怪談文芸を醸成してきた。
 なお、日本とは異なり、自然と分断された城郭都市に住んだヨーロッパの人々が、城壁の外の森には、ユニコーンや魔女が棲んでいると発想することは、対文明の場として自然を捉えている点では同質だ。
 さらに、山での移動は激しく体力を消耗させられる。そして、疲れたからといって、タクシーを呼ぶこともできず、自分の足で歩かなければ下界に戻れないのである。これもまた、文明から遠い環境である。まして、嵐に見まわれたり、極度に疲労したりした状況、究極、遭難している状況では、入眠幻覚のようなものを見る可能性が高い。半分意識がありながら、半分眠っているような状態では、非日常的なイメージや体験を得やすい。
 筆者も、山で極度に疲労した際、半分眠ったような状態で、細い山道を辿ったり、歩幅程度の橋を渡ったりしながら数時間ほど山を下りた経験がある。歩くことに必要な機能以外が停止したような感覚で、下山したときには、夢から覚めたような気分であった。
 また、厳冬期の南アルプス・北岳バットレス(岩壁の名称)でとうはん中、豪雪に見舞われて閉じ込められ、遭難一歩手前の事態に陥ったときに、冬の岩壁にあるはずのない山小屋の灯りを見た記憶もある。雪崩の恐怖におびえつつも、体力は限界に近く、意識は混迷し、合理的に考えればあるはずのないものを見た。
 山とは反文明的な場なのである。そこで、人が文明の庇護を得られなくなったと感じたときに、怪異は現れる。つまり怪異は、山という反文明的な場所と人の心とのあわいに、立ち現れるのである。
 いまや生命科学や認知科学の進歩はめざましく、人類はその恩恵に浴している。いっぽうで、人間の認識能力も、電気信号やタンパク質の合成に還元されつつある。愛情や怒り、悲しみといった人間的な感情の領域も物質に還元され、科学的に説明されてしまう。これは怪談以上に寒々とした世界だ。怪談ブームの背景には、文明の進展に対する「ヒト」としての逡巡があるのではないだろうか。

 残念ながら、山で多くの方々が遭難されている。それが現代の登山者の間で語られる多くの「山の怪談」の淵源になっている。
 わたし自身は、もしそういった遭難者の念が残るとしても、ほかの登山者を引きずり込もうとはしないように思っている。むしろ、遭難しかけている登山者がいれば、助けてくれるのではないだろうか。また、遭難者に由来しない不可思議な超越者もまた、登山者に何かしら有益なメッセージを送ってくれていることが多いように感じている。
 その意味で、本書の一篇「命の影」で語られる不思議な影は、非常時に現れるという不思議な救援者であるサードマンを連想させる。「推定古道」で現れる不気味な人物も、遭難の危険を喚起してくれているようにも読める。本書のタイトルにもなっている「霧中の幻影」は、映画のワンシーンのようなクライマックスの描写が印象的だが、動物へのいたわりの気持ちを諭してくれてもいる。
「山を這う蟻」では、無理を押して登ろうとする主人公が、山から怒号を浴びせられて下山している。わたしもまた、同質の体験をしたことがある。大学生のころ、九州のさんからかたむきやまへの縦走中に、突然、激しい雷雨に遭った。エスケープルートのある分岐で下山することを考えたが、若気の至りでそのまま縦走路を先に進んだ。分岐からは登り道だったがやがて下りとなり、見覚えのある場所に出た。まさに先程の分岐だったのだ。雷雨のなかとはいえ、夏の一般縦走路でリングワンダリング(環状彷徨)することは考えにくい。山の神が下りろと諭してくれたような気がした。
 安曇氏の作品は、デビューのころは本人が体験した実話であることが強調されていたように記憶している。だが、今回の作品集では、少しニュアンスが異なってきている。巻末に収められた夢枕獏氏との対談で、左記のように発言されている。

夢枕 (中略)本に書かれていることはすべて実話なんですか?
安曇 基本的には、という感じですけどね。他の場所で起こった怪談を「こんな怪談はあの山の景色が似合いそうだな」と組み合わせて一篇にすることもあります。

 実話怪談がもてはやされる現状だが、山の怪談に限らず、それが事実そのままなのかどうかはさして重要でない。なぜならば、科学的に解明しきれないものが怪異であるならば、そもそもその現象が事実かどうかは解析できない。反対に、創作であっても人の心にしみる名作は多く、深いリアリティを感じさせる。事実かどうかは、怪談の質には関係がない。
「秘湯の夜」の末尾にはこうある。
「正体不明は、最後まで正体不明。それでいいじゃないですか」
 本作品集は、山の恐ろしい怪異を語るというよりは、山に由来する奇異な世界観を表現されているように感じた。山でなくなった遭難者を予測させる定番の幽霊話や因縁話が少なくはないが、いくつかの作品は、いわゆる山の怪談とは趣を異にしている。
「ぼくちゃん」や「冬虫夏草」はサイコホラー風の作品であり、「鎌倉奇談」は異人との関わりを描いたものだが、読後、あたたかい気持ちにさせられる。「河童淵」では、淡々とした紀行の末尾に、微かに異界の住人との交歓を感じさせる。定番的でないこれらの作品のほうに、安曇氏の今後の表現活動の可能性が広がっているように感じる。
 作者は、最近、厳しい山登りよりは釣りやゆるい山登りに出向くことが多くなったという。まとめた山の怪談も百話に至るとのことで、今後の展開が気になるところだ。怪異は山に限るわけではない。鋭敏な感性を発揮して、日常に潜む怪異が文明に向けて発するメッセージの翻訳家として、新たな作品を発表しつづけていかれることを期待する。

ご購入&試し読みはこちら▶安曇潤平『山の霊異記 霧中の幻影』| KADOKAWA

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 ▷山は不思議な霊域だ。「山そのものの恐ろしさ」も伝える山の怪談集。 『黒い遭難碑 山の霊異記』


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