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レビュー

無私を貫き今日を全力で生きよ──高杉良のラストメッセージ──『雨にも負けず ITベンチャー奮闘記』解説:加藤正文 

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:とう まさふみ / 神戸新聞文化部長兼論説委員)

「企業小説はさすがにこれで最後」。文庫への増補作業を終えた際の高杉良(八一)の言葉が頭から離れない。作家生活四五年で生み出した小説は八〇作以上。この希望に満ち、覇気にあふれたベンチャー企業経営者の物語は、経済小説の分野に新たな地平を切り開いた作家人生のとうを飾るにふさわしい。
 あらためて本作品を読むと、魅力的な人物造形や臨場感あふれる会話劇、小気味よい場面展開など高杉作品のエッセンスが高い純度で凝縮されていることに気付く。あちこちの場面でかつての名作のはらむ熱気が思い出される。
「ITベンチャー小説」「Googleに勝った男」といった宣伝文句が単行本時の帯にあったが、本作は最先端のカリスマ経営者が格好良く動き回るサクセスストーリーではない。「無私」を自らに言い聞かせながらきょう一日を全力で生きてきた一人の青年の成長物語に仕上がっている。


書影

雨にも負けず ITベンチャー奮闘記


 面目躍如の行動力

 二〇一七年四月、高杉は東京・浜田山の自宅で新聞を広げていた。「リーダーの素顔」というインタビュー記事が紹介する人物は、ITベンチャー、イーパーセル(東京)の社長、北野譲治だ。見出しは「データ〝宅配〟/世界標準技術/大企業にPR」。
 記事で北野はこう話す。

「イーパーセルとは『電子的な小包』という意味です。「インターネットという不安定なインフラ上で電子ファイルを安全・確実に配送するという、ネット上の国際物流ともいえる事業です。電子メールでは一定以上の大容量のデータは送れないし、確実に届くか何の保証もない。製造業であれば、新製品のデザインや設計図など極めて機密性の高いデータをネット環境が劣悪な海外拠点などにも配送することができます」(産経新聞二〇一七年四月一六日付朝刊)

 原稿は手書きでふだんパソコンを触らない高杉にとってITはそもそも得意なテーマではない。体調も気にかかる。しかし記事を読むにつれ「いける」と直感し、すぐに自分で会社に電話をかけ、数日後に本人に会う。三度の飯より取材が好きという作家の面目躍如の行動力だ。

「北野さんに会って話を聞いていたら、『これは書かざるを得ない』『本当にこれが最後だ』と思うようになりました。幼いころから恐怖心より好奇心が勝っていましたが、今回も同じです」
「これほど魅力を感じた人はいません。これまで記者や作家として多くの人に取材してきましたが、その中でも五指に入る人物ではないかと思います」(週刊ダイヤモンド二〇一九年三月二三日号)

 夢とロマンを追って

 北野は岡山県に生まれ、両親の愛情に包まれて育つ。早大理工学部で建築を学んだ後、サラリーマンとして就職せず、起業をめざして損保の契約社員になる。その損保に起業家を目指す学生を支援するアントレプレナー制度があったのだ。目覚ましい活躍で資金を貯め、一九九一年、二八歳で保険商品を仲介する会社を設立。成功を収めた後、二〇〇〇年、三七歳のとき米国でデータ宅配を手掛けるイーパーセル社の創業者と知り合う。そこで「巨大な電子物流市場を一緒に創出しよう」と強力にスカウトされる。
 北野は思い悩む。信頼する先輩や友人に相談した末に受諾を決める。契約社員、保険ディーラーという助走期間にピリオドを打つ瞬間だ。

 前進が伴わなければ、転機、転職の意味はない。僕の人生に停滞、後退などあってはならないのだ。電子物流市場を〝データ・宅配〟ではないかとおぼろげながら考えていた。
 取引先、マーケットは限りなく拡大していく可能性を蔵している。イーパーセルを日本に根付かせることには夢があり、ロマンもあると考えたからこそ、ノーをイエースに変えたのだ。

 三顧の礼で経営のパートナーとして迎え入れられるはずが、予想外の扱いをされる。強烈な個性をもつ独裁的な創業者とのあつれきが生じ、経営の方向性がおかしくなる。しかし「雨にも負けず」の北野はくじけない。コツコツと営業に打ち込み、社長に就いて再建に取り組む。
 はくは二〇一一年、グーグルやヤフーといった巨大IT企業など一三社を相手に米国で特許侵害訴訟を起こした場面だ。北野の言葉が力強い。

「イーパーセルの技術は、世界経済を牽引する名だたるトップ企業が採用している世界標準技術だと証明できるでしょう。そうすれば、独自技術よりも世界標準技術を持って来いと、僕らに厳しい注文ばかり突きつける日本の大企業が採用し始めると思うんです。訴訟相手から受け取るライセンスフィーを目的とするのではなく、特許技術をライセンスしたという実績を勝ち取ることを目指そうと思います」

 二〇一九年刊の単行本版とこの文庫版を比べると、北野の尊敬する人物がより丁寧に描かれていることに気付く。歴代首相の指南役と呼ばれた四元義隆(「雨ニモマケズ」は四元がこよなく愛した詩)、元首相の村山富市、元内閣官房副長官石原信雄、元日本経済団体連合会会長奥田碩だ。北野の意をんだ高杉の配慮にほかならないが、それぞれの言葉が重要な場面で生きている。
 私心をすべて捨て去り、人々と正直、誠実に向き合い、筋を通す。あり得ないことを考え続けてイノベーション(技術革新)を起こせ──。絶えずこれを反芻し、人生と経営に生かしていくひたむきな姿は全編に流れる主題にほかならない。
 二〇年、新型コロナウイルスが世界を覆った。北野は親友の京大医学部教授小川誠司らが取り組むコロナ制圧タスクフォースに協力する。謎の多いウイルスを遺伝子レベルで解析するプロジェクトだ。北野は先の石原の縁で広げてきた官僚人脈を駆使して小川たちのプロジェクトが政府のバックアップを得られるように尽力するのだ。
 単行本のまま終わらせず、同時代の動きまで盛り込もうとしたところに、アルチザン(職人)作家としての執念を感じる。

 ベンチャーへの共感

 経済小説の巨匠とされる高杉の作品群は多彩だ。業種も銀行、証券、化学、機械、電機、百貨店、アパレル、食品、商社、メディア……と実に幅広い。大別すると以下の三つになる。まずは「実名小説」の系譜だ。取材対象と自身が交流しているだけに作品には肉声とともに独特の熱気があふれる。日本触媒の創業者の八谷泰造が主人公の『炎の経営者』、東洋水産創業者の森和夫の『燃ゆるとき』、JTBで新商品を次々開発した大東敏治の『組織に埋もれず』など数々の名作がそろう。本作もこの系譜に連なる。
 第二は「モデル小説」だ。特定の人物や企業を連想させる設定でその時代の出来事が絡む。自動車労組のトップの実像に迫った『破滅への疾走』、経済誌主幹の暗部をえぐった『首魁の宴』、消費者金融の世界に切り込んだ『欲望産業』……。現実にあったあの出来事、あの人物のリアリティーが浮かぶ。第三は「同時代小説」といえる分野だ。バブル崩壊後の日本社会の変容と行き過ぎた市場原理主義に対する危機感がくっきりと表れる。シリーズ『金融腐蝕列島』はその代表格だ。
 とりわけ高杉が心を寄せるのがベンチャー企業の経営者だ。前述の『炎の経営者』の八谷も『燃ゆるとき』の森もいまでこそ大企業だが、当初は高い志を抱くベンチャー企業だった。またIHI(石川島播磨重工業)から八〇人ものシステムエンジニアが一斉退社し、ベンチャー企業「コスモ・エイティ」を立ち上げる物語『起業闘争』も独特の熱気があった。
 実名小説の主人公になった経営者たちについて高杉は「皆、人に勇気を湧かせる熱いドラマをその人生に秘めていた人ばかりです。それが、私の小説執筆の原動力でもありました」と述懐している(『男のかお』)。本作もこれに当てはまる。北野の生き方は人生の応援歌として私たちに勇気を与えてくれるだろう。

 勁さと優しさ

 高杉は近年見舞われた肝臓がんや前立腺肥大に加え、加齢黄斑変性で視力が落ち、妻の献身的なサポートで日々の生活や執筆が続く。
「経済小説の成否の鍵は取材力に基づくリアリティーだと公言してきた。僕の場合、取材が七で執筆が三。つまり取材が終わった段階で七割方できているわけですよ。しかし加齢とともにそれができなくなったのです」
 これまでの超人的な仕事ぶりを見てきた立場からはまた次の作品もあるだろうと考えてしまう。少年時代に児童養護施設で過ごした日々を描いた『めぐみ園の夏』(二〇一七年)や業界紙記者時代の活躍を二〇年五月まで小説新潮で連載した「破天荒」のように、非凡な記憶力を生かした自伝的作品は今後も出てくるだろう。
 しかし、高杉ワールドの真骨頂である旺盛でチャレンジングな取材を基に、虚と実の皮膜を自在に行き来する作品(『金融腐蝕列島』『欲望産業』『濁流』『労働貴族』……)はもう出てこない。これは一時代の終焉といってよい。
 それだけに「最後」と銘打たれた本作には格別の味わいがある。高杉がリーダーの資質として挙げる「つよさと優しさ」を併せ持ち、時代を切り開こうとする気概のある経営者をモデルに得た。コロナの感染拡大で先行き不透明な中、文庫として刊行される『雨にも負けず』は人と経済を見据えた作家のラストメッセージといえるだろう。
(敬称略)

 参考・引用文献
 高杉良『男の貌 私の出会った経営者たち』(二〇一三年、新潮新書)
 山陽新聞、産経新聞、読売新聞、神戸新聞、週刊現代、週刊ダイヤモンド

高杉良『雨にも負けず ITベンチャー奮闘記』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322002001027/


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