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レビュー

究極のノスタルジーの住処としての「火星」をめぐる、少年と少女の物語『今夜、きみは火星に戻る』

 子どもの頃、こんなふうに思ったことがある人は少なくないのではないだろうか。自分はミュータントだ、と。他のクラスメイトにはできることが、自分にはできない。自分にとって当たり前だと思っていることが、他の子にとっては違う。自分ひとりがまるで違う思考や行動様式を持っている、人間の姿をしたウチュージンなのではないか、と。
 そこから始まるのは、ひとりぼっちの恐怖と絶望だ。でも、クラスメイト達とコミュニケーションを重ね、相手を観察し腹を割って話すことで。あるいは、読書などを通して見える世界を広げていくことで、「自分だけ」が「自分だけじゃない」ことに気付き、疑いが薄まってやがてパチンと消える。そして喉元過ぎればなんとやらで、子どもの頃のそうした一連の心の動きをたいてい、人は忘れる。
 それを忘れない人がたぶん、作家になるのだ。小嶋陽太郎(こじまようたろう)の作品を読んでいるといつも、そんなことを思う。彼が書く小説の登場人物達はみな、とびきりチャーミングだ。友達になりたい、と素直に思える魅力の持ち主ばかり。でも、彼らの心の内側には、かつて誰もがどこかで感じていた、けれどどこかのタイミングでスルーできるようになった感情がぎっしり閉じ込められている。その感情が解き放たれていった時、物語は大きくときめきに振れていく。それとは正反対に、せつなさに振り切れる場合もある。例えば、本作『今夜、きみは火星にもどる』のように。
 確認しておこう。二三歳の現役大学生作家としてデビューした小嶋陽太郎のデビュー作は、万城目学(まきめまなぶ)らを輩出したことで知られる「ボイルドエッグズ新人賞」第一六回受賞作の『気障(きざ)でけっこうです』だ。女子高生のきよ子が公園で出会ったのは、地面に開いた穴に首までぴたりと収まったサラリーマン風の男。助けてあげようと思ったのに、助けられなかった。それどころか、自分が死なせてしまった!? 男はとある願いを叶えるため、きよ子の前に幽霊となって現れる。そして……と展開していく、あえて一言で表現するならば、友情の物語だった。
 現実感が一発で揺らぐような設定を冒頭で叩き付け、その設定の背後にあるドラマを丁寧に(コミカルに、切実に)、その設定から続く展開を意外なほどロジカルに(あり得ないでしょと読者を萎えさせることなく)、次々と出現させる手つきは、デビュー作の段階で既に一級のエンターテイナーだった。続く第二作『今夜、きみは火星にもどる』(文庫化に際し『火星の話』から改題)でも、その手つきは健在だ。「きみ」の口癖は、「私、火星人なの」。周囲の目を気にせず平熱で、「火星人はいつまでも地球にはいられないから、十八歳の誕生日には火星に帰らなきゃ」と語るクラスメイトの佐伯さんのことが、「僕」は気になって仕方ない。そんな、ボーイ・ミーツ・(エキセントリック)ガールの青春ストーリー。
 佐伯さんは小学校高学年の頃に転校し、中二の終わりに再びこの町へ戻ってきた。「火星から帰ってきました」「また地球に帰ってこられて嬉しいです」。小学校の頃に披露していた「物語」を、今なお語り続ける佐伯さん。最初は周囲も「チョーオモシロイ」と笑っていたが、すぐに「イタい」と冷ややかな目線を送り無視し始める。
「僕」こと国吉(くによし)くんは、友達は少なめで平凡な帰宅部の高校一年生だ。一学期の期末試験の数学で、0点という自分史上最低の点数を取り、〈僕の成績は恐ろしく平凡だが、こと数学に限っては恐ろしく非凡である〉。その結果、夏休みに数学の補習授業を受けることを余儀なくされる。そこにいた唯一の女生徒が、佐伯さんだった。
 これまで言葉を交わすことすらなかった二人の人生が、初めてここで、近付く。最初の会話が生まれるのはその後、ショッピングセンターのゲームコーナーにて。音ゲーの代名詞である「太鼓の達人」を、佐伯さんが夢中になってプレイしていた。「ヒャクエン」。そう言われて、慌てて「僕」は百円玉をゲーム機の硬貨投入口に入れる。一枚だけでなく、二枚。なぜか二人で、同時プレイをすることになる。終わって一言、「今日の交信、終わり」。……交信って、何!?
 数々の疑問を抱いたものの、その出来事を翌朝、「僕」はこんなふうに思い出す。〈彼女は笑うと目が細くなって、猫のような顔になるのだということを、そのとき初めて知った。その顔を思い出して、早朝ひとりの居間を、何度も行ったり来たりした。じっとしていると、うううわ、と謎の唸り声が体のどこかから出そうになるのが不思議である〉。決定的だったのはこの一文に続くシーンだったのだろう、とは思う。でも、この一文に至るまでの四〇数ページを読み進めてきた人ならばきっと、気付いてしまうはずだ。「僕」は、佐伯さんに恋をしている。
 例えば、のちに出てくるちょいギャルのクラスメイト・高見(たかみ)さんに対しては、「僕」はネガティブかつ、ドライでクールな観察者に徹している。でも、佐伯さんを見つめる時はまるで違う。恋をしているから、強く見つめる。解像度がグッと高まるし、いろいろな表情を見つけたいと願うし、彼女と一緒にいるとなんだか世界が輝いて見えてくる(〈佐伯さんの足元に軒先から雨粒が落ちた。ぽつり。雨粒が太陽の光を反射して輝いた。小指の先ほどの雨粒の中に、一瞬だけ太陽が丸ごと閉じ込められたみたいだと思った〉)。あぁ、初めて恋をした時の、沸騰する五感の感触ってこうだったなぁと思う。忘れてしまっていたけれど絶対、こんなふうだったなぁと。
 物語がギアをあげるのは、「僕」が佐伯さんから火星の歴史についてレクチャーをこんこんと受けた後。数学の補習授業中に、白昼夢を見始めるようになってからだ。舞台は火星の王国で、佐伯さんは本当に王女様で、「僕」は彼女の付き人という夢の物語が、まるで連続ドラマのように昼寝するたびに進んでいく。
 ところで。
 古今東西さまざまな作家がこれまで、火星を題材にした物語を書き継いできた。その事実からも明らかだが、夜空に輝く赤い星に、人々がこんなにも想像力を掻き立てられるのは何故なのだろう? 小惑星探査機・はやぶさにも関わった大阪大学大学院惑星物質学教授の佐々木(しょう)は、「懐かしいからだ」と言う。地球生命は実は火星で生まれ、その一部が隕石に乗って地球へとやって来た(=パンスペルミア説)。つまり火星は人類にとって「故郷」だからだ、と(長沼毅(ながぬまたけし)藤崎慎吾(ふじさきしんご)『辺境生物探訪記』収録の座談より)。長沼毅は別の著書で、その感情を「究極のノスタルジー」と表現している(『生物圏の形而上学―宇宙・ヒト・微生物―』)。
 その視点から見た時、『今夜、きみは火星にもどる』が描く「故国(故郷)」としての火星は、王国の描写自体はファンタジーであるものの(いや、でも可能性が「0」ではない!)、SF的な説得力を感じることができる。少なくともH・G・ウェルズが『宇宙戦争』で描いた「敵国(侵略者・未来人)」としての火星よりも、理にかなっている。地球人類の一員としての本能の記憶に、突き刺さる。
 そんな「究極のノスタルジー」に裏打ちされた火星の物語を、佐伯さんから「僕」は聞く。現実の佐伯さんと火星の佐伯さん、それぞれをじーっと見つめて長く耳を傾けたぶんだけ、分かる、と感じられるようになる。「僕」は(「僕」の五感にシンクロしながら読み進めてきた読者は)、彼女の言うことが信じられる、と感じられるようになる。
 この原稿の冒頭で、自分はウチュージンだ……という思春期ならではの病の存在をお伝えした。小嶋陽太郎はその病がもたらす恐怖と絶望を、今も忘れず覚えている。間違いなく。そのうえで、だ。作家は「もしも本当にウチュージンだったら?」という方向に想像力を進めた。つまり――佐伯さんは本当に、火星人なのではないか? 青春小説、ラブストーリー、そしてSFファンタジー。さまざまな表情を見せてきたこの物語は、ミステリーでもあった。
 物語の終盤、図地反転のサプライズが発動する。そこから始まるロングスパートが、この作品のキモだ。担任の山口先生が、水野くんが、水野の兄が、高見さんが、「僕」の妹が……。佐伯さんを見つめてばかりいた「僕」のすぐそばにいた、あらゆる存在がそれまでとはまるで違った顔を見せ、「僕」もまた自分自身の新たな顔を知る。
 実のところ、終盤に仕掛けられたサプライズは、古今東西のミステリーが採用してきた作法のひとつでもある。例えば……と作品名を挙げるだけでもネタバレになってしまうのでボカしながら書くと、某年の米国アカデミー賞主演女優賞を受賞したハリウッド映画(原作本はノンフィクション作品)、某警察署シリーズで著名な海外のミステリー作家が弁護士を主人公に据えたとある長編、あるいは最近の吉川英治(よしかわえいじ)文学新人賞受賞作などだ。思い切ってもう一歩だけ踏み込んで書いてしまうならば、今例に出した三作はいずれも「寃罪」をテーマにしている。
 しかし、本作は上述の三作とは、読後感が異なる。それが可能となったのは、本作がSFファンタジーとしての顔も持っているからだ。だからこそ、現実世界の着地点とはまた違ったゴールを幻視させることができた。そうして「僕」は、大人になるためのスタートラインにやっと立てた。青春小説と、ラブストーリーと、SFファンタジーと、ミステリーと……この物語があらゆるジャンルを内包している理由は、そこにある。
 小嶋陽太郎は本作の後、中学の女子なぎなた部を舞台にした『おとめの流儀。』(第三作)、初めて大人を主人公に据えて漫画編集の世界を描いた『こちら文学少女になります』(第四作)、男女三人組の正統派ジュブナイル『ぼくのとなりにきみ』(第五作)、その続編『ぼくらはその日まで』(第六作)などを発表している。
 デビュー作を読んだ時に、新しい才能が現れた、と思った。二作目を読んだ時に、確信した。この作家が、好きだ。大好きだ。
 読めば一生、忘れられない、忘れたくない思い出としてこの物語の経験が心に残る。同じ経験を味わってほしいと、素直にそう思う。『今夜、きみは火星にもどる』。一人でも多くの人に、この本が届くことを祈っています。


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