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レビュー

「珈琲店タレーラン」シリーズ著者、原点の1冊!『季節はうつる、メリーゴーランドのように』

 言葉はいつも不完全なものだから、思いがすべて目の前のあの人に届くわけではない。
 その一言を口にしなくても、時間は安穏と過ぎていく。
 二人の間に流れる空気を和やかにできるなら、沈黙がすべてに勝ることだってある。
 そんな便利な道具が「キセツ」だった。
〈僕〉こと夏樹(なつき)冬子(ふゆこ)の二人が共有する、とてもとても便利な道具だ。
「キセツ」とは「奇説」、つまり、日常の中にひょっこりと顔を出した奇妙な出来事に、説明をつけることなのである。最初の「キセツ」は彼らの入学式当日に行われた。冬子はその日の朝、厄介事に巻き込まれていた。制服のスカートが急に短くなっていたのである。きちんと採寸してあつらえたはずなのに、校則違反と言われかねない丈になってしまっている。困り果てた彼女が偶然相談した相手が夏樹だった。ほんの気まぐれで彼はある一言を口にする。
「奇妙な出来事には、説明をつけてやらないとな」
 それが彼らにとって、幾つもの季節を巡る長い長い旅の始まりになるとも知らずに。
 岡崎琢磨(おかざきたくま)『季節はうつる、メリーゴーランドのように』は、電子雑誌「小説屋sari-sari」二〇一四年四、六、八月号、および二〇一五年二、四月号で配信され、加筆修正の上二〇一五年七月三十一日にKADOKAWAより単行本が刊行された。デビュー以来ずっと文庫形式で作品を発表してきた作者にとって、初の四六判の著書である。
 本書はプロローグとエピローグで挾まれた全五話から成っている。冬の物語から始まって、冬に終わる。四季の移り変わりが物語に織り込まれているのである。
 時間の要素ではもう一つ工夫があり、夏樹と冬子が初めて出会ってから八年後、つまり大学を出て社会人として新たな一歩を踏み出しつつある時期から、過去を振り返るような形で話は進んでいく。福岡の高校を卒業した二人は別々の大学に進み、以降は再会することもなかった。それが八年目の冬、すでに就職し社会人一年生として過ごしていた夏樹と、留学のために卒業が遅れた冬子の間に小さな縁が生まれ、二人は再び連絡を取り合って会うようになるのだ。そこで旧交を温めるのに便利なのが「キセツ」だった。高校時代の彼らは「キセツ」によって特別なつながりを持っていたのだ。
 高校時代に行った「キセツ」を回想しつつ、現在進行形の今、見聞きした奇妙な出来事にやはり説明をつける、という形で五つの話は進んでいく。大小二つの謎がくっついた、ひょうたんのような形なのである。それを串刺しにしているのは、過去の記憶だ。彼らの交際が絶えた原因は高校時代に起きたある出来事であるということが第一話でそれとなく示される。そこで何があったかということが読者の心を捉える牽引(けんいん)装置として働くのだ。その構造が、連作形式にたまらない緊張感を与えている。
 舞台装置で効力を発揮しているのは時間の要素だけではない。地元福岡の事業所に配属された夏樹と、神戸の大学を出て大阪で新入社員として暮らし始めた冬子の間には無視できない距離がある。ごくたまに顔を合わせる以外、やりとりは電話やメールといった手段に頼ることになるのだ。二人の間に成立しているのが単なる友人関係ではないとすれば、これは遠距離恋愛をモチーフの一つとする連作ということになるだろう。
 現在と過去の交錯、登場人物と一緒に事態を見守る読者にとって気になって仕方ない過去の呼び声、そして厳然と二人の間に存在する距離と、絶妙な構成と設定を用いた作品だ。さらに、岡崎のファンにとってはもう一つ重要な事実がある。本書は、すべての岡崎作品の基準点といっていい一作なのである。
 岡崎琢磨は一九八六年、福岡県に生まれた。高校卒業後は京都大学法学部に進んでいる。京都大学には綾辻行人(あやつじゆきと)をはじめ、多くのミステリー作家を輩出した推理小説研究会があるが、在学中の岡崎は小説執筆には関心がなく、バンド活動に打ち込んでいた。プロを目指していたのである。しかし就職活動時期にバンドは休止状態に追い込まれてしまう。一般企業に就職するつもりがまったくなかった岡崎は卒業後、福岡で家業を手伝って暮らすようになる。父方の実家はお寺だったのである。先輩作家では水上勉(みずかみつとむ)が十代の頃に臨済宗の寺院で僧侶の食事を司る典座(てんぞ)の下働きを務めており、連城三紀彦(れんじょうみきひこ)も実家が浄土真宗の寺であった。つまり寺と縁の深い者は他にもいるのだが、モラトリアムの延長として寺男になった例というのは、ミステリー作家では岡崎が初めてなのではないだろうか。
 しばらくは寺を手伝いながら諦めきれない夢を追い続けていた岡崎だったが、やがて壁にぶつかる。当たり前のことだが、寺では音楽演奏が歓迎されないのである。それが小説執筆を始める一因となった。静寂を保ちつつ、一人でできる創作活動だからだ。たとえば岡崎の実家が町工場のようなところであったならば、運命は変わっていたのかもしれない。
 二〇〇九年三月に大学を卒業した岡崎は、その年の暮れにはすでに執筆を開始していた。普通の会社員になるつもりはないが、音楽で食っていくという選択肢も消えた。そんな岡崎にとってはプロの小説家になることだけが、唯一の生きる道だったのだ。二〇一〇年に複数の賞に応募、長篇はまったく駄目だったが短篇賞では一次、二次と予選を通過できた。そこで得た手応えを元に二ヶ月半という短期間で書き上げ、第三十一回横溝正史(よこみぞせいし)ミステリ大賞に応募したのが本書の原型作品だったのである。残念ながら受賞は逃したが、初めて最終候補に残った。ちなみにこのときの受賞作はその後も青春ミステリーの分野で活躍することになる長沢樹(ながさわいつき)の『消失グラデーション』(現・角川文庫)である。
 岡崎のプロデビュー作は、翌二〇一一年の第十回「このミステリーがすごい!」大賞の最終候補作となった「また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を」である。これも賞は逸したが(受賞は法坂一広(ほうさかいっこう)『弁護士探偵物語 天使の分け前』と友井羊(ともいひつじ)『僕はお父さんを訴えます』)、〈隠し玉〉として他の数作と共に文庫オリジナルで刊行されることになる。これが編集部の思惑を超えたヒットとなり、同作に始まる『珈琲店タレーランの事件簿』連作は二〇一七年までに五冊を数える人気シリーズに成長した(以上、すべて宝島社文庫)。その影響か、同賞では受賞作以外に〈隠し玉〉作品が刊行されることが慣例となり、現在に至っている。『タレーラン』の成功は、文庫オリジナルの連作短篇集という鉱脈の存在を出版社に気づかせることになり、現在は各レーベルで同様の試みが行われている。つまり、二〇一〇年代のミステリー界において一つの流れを作り上げた影響力の強い作品なのだ。岡崎自身も『タレーラン』連作と並行して二〇一六年に『道然寺さんの双子探偵』(朝日文庫)、『新米ベルガールの事件録 チェックインは謎のにおい』(幻冬舎文庫)と、二冊の文庫オリジナル作品を発表している。前者は岡崎と同じ寺暮らしを送る双子の中学生、後者は新規開業したリゾートホテルに配属されたそそっかしい職員を探偵役に配した連作集である。実は、そうした活躍の根底にあるのが『季節はうつる、メリーゴーランドのように』というデビュー前に書かれた作品だった。
 岡崎は本書を、横溝正史ミステリ大賞応募原稿から連載用に仕立て直した際、大きな改変を行っている。原型作品を書いたとき、岡崎はまだ何事を()したわけでもない、大学生とそう変わりない存在だった。だからこそ年齢の近い夏樹と冬子の心情に寄り添いやすかったのである。しかし、プロ作家として経験を積んだ後ではそうした気安さ、同世代で盛り上がっているような内輪感が浮き上がったものに見えたのだろう。その時点での言葉で全体を改稿し、さらに応募時には何気なく入れていたようなコミカルなやりとり、小説を軽く見せるための浮きのようなものをほとんど取り去った。結果として、現在と過去との対比がより明確に示されることになり、一つの主題が厳然として読者に突き付けられることになったのである。すなわち、過ぎ去った時間は決して戻らないということだ。
 この不可逆性、および物語内に読者を滞在させて、疑似的に人生を体験させることへの志向が岡崎作品には潜在している。人生は一度きりのものであり、だからこそ過去を振り向けば悔恨の感情が湧いてくることがあるのだ。すでに取り返しのつかなくなった過去を、いかに重く、胸を刺すものとして叙述するか。未読の方のために詳述は避けるが、本書の各話を貫くものとして試みられているある趣向は、そうした語りの形式への挑戦として行われている。物語を読み終えた者に、自分の人生でそれが起きたら、と思わせてしまうような衝撃を与える。あるいはどんな人も実人生では決して体験しえないような驚きを味わわせる。そうした、小説だからできることを実現するために、この作者は研鑽(けんさん)を重ねているのである。
『タレーラン』という代表作もあるためか、岡崎はいわゆる〈日常の謎〉の作家と見なされることが多い。〈日常の謎〉というと安穏とした世界観を連想される方もあると思うが、視点を変えてみれば、どんな日常にも謎が、それこそ「キセツ」を必要とするような特異点が忍び寄る可能性があるということでもある。そうした〈日常〉がいかに不安定で、言葉にして記憶に定着させなければどんどん風化していってしまうということをこの作品は読者に語り掛けてくる。決して止めることのできない時の流れの残酷さと共に。


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