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試し読み

【池井戸潤「民王」待望の続編】9/28発売の新作試し読み! マドンナ大臣の乱心はウイルスの仕業か?『民王 シベリアの陰謀』#3

あの「民王」が帰ってきた!
新作『民王 シベリアの陰謀』がいよいよ9月28日に発売予定。第二次内閣を発足させたばかりの武藤泰山を絶体絶命のピンチが襲う! 冒頭部分を5回に分けて特別掲載します。

『民王 シベリアの陰謀』#3

「ウイルス?」
 その一報を受けたとき、泰山は思わず聞き返していた。「いま六月だぞ、貝原。インフルにかかる季節にしてはおかしくねえか」
「新種のウイルスだそうです」
 秘書の貝原へいのひと言に、むむ、と泰山はまゆを動かした。貝原は続ける。「なんでも、いままで発見されたことのない未知のものだそうでして。東京感染研究所でも首を傾げているそうです」
 東京感染研究所は、細菌やウイルス研究に関する国内最高機関である。
「未知のウイルス……。治るのか」
「わからないそうです。なにしろ──未知ですから」
 じろりと泰山は貝原をにらんだ。
「いまどんな状況なんだ」
「集中治療室に隔離されているそうです」
 貝原はメモを読んだ。「意識はもうろう。鎮静剤で入眠中。目覚めると暴れる可能性があるのでベッドに固定されている、と」
 貝原の口調が淡々としているだけに、かえって生々しく高西の容態が伝わってくる。
「話もできないのか」
「発作が起きていないときには話はできなくもないそうですが、その──」
「その、なんだ」
 回りくどい貝原の説明に、泰山はいらった。
「この数週間の記憶がないそうです」
「記憶が──ない」
 少なからず衝撃を受け、泰山は繰り返した。「担当のドクターはなんていってるんだ」
「脳神経に何らかの働きかけをするウイルスではないか、と。実際にそういうのが存在するそうですが、現段階では推測に過ぎません。東京感染研究所と連携して治療薬をどうするか検討しているそうです。もちろん、いつ快復するのか、そもそも快復するのかも──」
 また泰山に睨まれ、その後の言葉を貝原は飲み込んだ。
「しかし、どこでそんなウイルス拾ってきたんだ、マドンナは……」
 そうひとりごちる。容態も心配だが、問題は他にもあった。
 高西麗子の環境大臣起用は、第二次内閣の目玉人事である。かねて環境問題の論客として鳴らしていたものの、議員歴の浅い高西のばつてきは与党・民政党内からも驚きをもって受け止められたはずだ。その高西に万が一のことがあれば、環境問題を重要政策課題のひとつとして掲げる泰山の政権運営に支障を来すことになる。野党からも様々な追及があるだろう。
「実は、そこが問題でして」
 貝原がいい、泰山は秘書を見た。
「人事が、か」
「いえ。そうではなく、どこでウイルスを拾ってきたか、です」
「そっちか」
 聞き流そうとした泰山に、「高西大臣と濃厚接触した方は全員、検査を受けてほしいと保健所から言われております。感染の疑いがあるとのことで」
 思いがけないことを告げる。
「オレもか?」
「三日前に環境省内で面談されています」
 その指摘に、そうだったな、と思い出した。「そのとき、すでに高西大臣は微熱があったとのことです。会議室で数メートル離れていましたから、大丈夫かとは思いますが」
「あのとき、お前もいたな。カリヤンもだ」
「はい。面談は十分程度で切り上げたはずですが、それでも感染の可能性はゼロではないと」
「もし感染してたら、ヤバいな。『感染内閣』だ」
 秘書の目にひそかなべつの色が浮かんだが、それは泰山が気づかないよう、「『感染解散』なんてのもあるかもしれません」、という言葉で誤魔化された。
「お前もしろやまのオヤジみたいになってきたな」
 まだ第二次武藤内閣ができて間がないというのに、派閥のりようしゆうである城山かずひこは、泰山の顔を見るたびに解散を迫る困った老人であった。国民にはまだバレていないが半分ボケて、冗談なのか本気なのかわからないのも始末に悪い。
「これ以上、閣僚に感染が広がっては一大事です、先生」
 貝原は周到に話を元に戻した。「まずは感染の有無を確認することが肝要かと存じます」
「どうもお前にいわれると、ひと言反論したくなるのはなんでかな、貝原」
 意地悪くいった泰山に、
「もしやすでに感染しているかも知れません、先生」
 貝原は真顔で返した。いつもながら冗談なのか、本気なのかわからない。現実をヤカンに入れて煮出したような男である。
「検査はいつだ」
「いますぐにお願いします」
 手振りで泰山を促して、貝原はいった。「東京感染研究所で検査態勢を整え、先生の到着を待っております」
 なにやらきな臭い雰囲気になってきたと思いつつも、泰山は悠然たる足取りで官邸執務室を後にした。

「あれっ。こんなとこでなにやってんだ」
 待合用に確保された研究所の一室に行くと、驚いたことにあやがいた。
「なにやってんだはないでしょう、あなた」
 泰山の妻はコーヒーカップをソーサーに戻し、「あなたがヘンなウイルスに感染したかも知れないから、念のため私も来てくれってさっき連絡があったのよ。私、お芝居見にいくつもりだったんですけど」
 と不満の表情である。
「そりゃ悪かったな」
 さして悪いと思っているふうもなく泰山はいうと、「ところでどんな検査だった」、ときいた。
「痛かったわよ。いままでこんな痛い検査は初めてね」
 よくきいてくれたといわんばかりに、綾は大げさにいった。「太い注射針をお腹に刺されて、牛乳パック一個ぐらいの血を抜くのよ。なんでも未知のウイルスだからって。死んだ方がマシなくらいよ」
「ギエッ」
 というが鳴くような声を上げたのは、狩屋孝司であった。ムンクの「叫び」を思わせる表情である。
「冗談に決まってます、官房長官」
 貝原に小声で諭されても、狩屋は震えが止まらないようであった。大の医者嫌いなのである。そんな官房長官にあわれみのまなしを向け、
「で、検査結果はどうだったんだ」
 泰山がきくと、
「陰性よ」
 当然のように綾はこたえた。
「やっぱり、神経が図太いやつは感染しないと見える」
「ならあなたも陰性だと思うわよ。カリヤンは知らないけどね」
 綾は狩屋をからかった。
 そのときノックの音とともに防疫服を着込んだ看護師が顔を出した。
「総理、お迎えに参りました」
「ぶっとい注射針だからね、あなた」
「黙れ」
 そういいながら部屋を出た泰山だが、ものの五分もしないうちに検査を終えて戻ってきた。
 ひどく深刻そうな表情に、
「た、泰さん、どんな検査でした」
 すがるように狩屋がきいた。
あきらめろ、カリヤン。太い注射器だ。イテテテッ」
 腹のあたりを押さえて泰山がうずくまると、狩屋の顔面から音がするほどの勢いで血の気が引いていく。
 ノックがあった。
「官房長官、お願いします」
「い、いやだ」
 狩屋が取り乱してかたわらの貝原にしがみつくと、やはり防疫服姿の屈強な男たちが三人で引きがし、検査室へと連行していった。
「カリヤンって、おもしろい人よねえ」
 狩屋の姿がドアの向こうに消えると、綾がカラカラと笑い声を上げた。
「オレの女房は、そんな底意地の悪い女だったかな」
「意地の悪さではあなたには負けますよ」
 綾が言い返した。「行ってカリヤンの手でも握ってあげたら」
「たかが綿棒を鼻に突っ込むだけじゃねえか」
 そのとき、
「鼻に──突っ込む?」
 貝原の顔つきが変わった。「鼻に突っ込むんですか、先生」
「どうした、貝原」
「私、極度の鼻の穴恐怖症なんです。小学生の頃、授業中に居眠りしてエンピツが鼻に刺さりまして。考えただけでも心臓が止まりそうになるんです」
「そら気の毒だったな、貝原。今回は綿棒が刺さるだけだ。気にするな。心臓止まるかもしれんけどな」
 貝原ががくぜんと立ち尽くしたとき、ノックとともにしようすいしきった様子の狩屋が戻ってきた。
「泰さん、ひどいじゃないですか。鼻の穴に綿棒ぶっ刺すだけでしたよ」
「次、貝原さん、どうぞ」
 もはや貝原は硬直し、歩きだそうとしているらしいが脚が上がらず、び付いたブリキ人間になってしまったかのようだった。
「どうしたの、貝原くん」
 事情を知らない狩屋はポカンとしている。「心配しなくても大丈夫だって、綿棒がこう、ぐぐっと鼻に入るだけだから──」
 短い奇声が放たれたかと思うと、突如、貝原の体がぐらりと揺れた。気絶したらしい。倒れる前に手際よくその体を受け止めた看護師たちが、丸めたじゆうたんでも担ぐ要領でさっさと貝原を連れ去っていく。それを見て、
「貝原くんも意外におくびようなんだから、ねえ、泰さん」
 自分のことは棚にあげ、狩屋は余裕の表情を浮かべるのであった。

 つづく

作品紹介『民王 シベリアの陰謀』



民王 シベリアの陰謀
著者 池井戸 潤
定価: 1,760円(本体1,600円+税)
発売日:2021年09月28日

謎のウイルスをぶっ飛ばせ!!
「マドンナ・ウイルス? なんじゃそりゃ」第二次内閣を発足させたばかりの武藤泰山を絶体絶命のピンチが襲う。目玉として指名したマドンナこと高西麗子・環境大臣が、発症すると凶暴化する謎のウイルスに冒され、急速に感染が拡がっているのだ。緊急事態宣言を発令し、終息を図る泰山に、世論の逆風が吹き荒れる。一方、泰山のバカ息子・翔は、仕事で訪れた大学の研究室で「狼男化」した教授に襲われる。マドンナと教授には共通点が……!? 泰山は、翔と秘書の貝原らとともに、ウイルスの謎に迫る!!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322104000661/
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