親族会議
広島に帰り府中中学に通う聖の心に一つの
「プロになりたい」
口には出せないが、聖の気持ちは日ごとに大きく傾いていく。
体調は悪くなかった。むやみに自分の体を動かしたり、無理をして疲れを
休息と決めたときには自分の近くに
広島将棋センターで聖は腕をめきめきと上げ、それに正比例するように体調もぐんぐんとよくなっていった。
そしてついに「奨励会にいきたい」と聖は伸一の前で口にするようになる。一度、言ってしまえばそれはもう禁断の箱を開けたようなものだった。
「大阪にいって、奨励会に入りそしてプロになる」
聖はうわ言のようにその言葉を繰りかえすようになった。
伸一は困った。別にプロになることや、名人を目指すことに反対しているわけではない。
聖の病気を宣告されたあの日から、伸一には一つの決心があった。それは「聖にはとにかく何でも好きにやらせてやろう、好きなように自由に生きさせてやろう」というものだった。
聖の病気を甘くみて、こんな不自由な生活を
ただ、伸一が
そんなことを伸一は遠回しに言って聞かせようとするのだが、まるで効果がなかった。
そこで、伸一は一計を案じた。
親族会議を開き、そこで聖の奨励会入りに反対してもらおうというものである。幸い、自分の兄弟は皆学校の教師をしている。聖の
親族会議は昭和57年9月10日、伸一の妹の家で行われた。義弟は中学校長、部屋には教師がずらりとそろっていた。その席でまず、伸一とトミコは奨励会入りに反対した。理由は体調管理のことであった。集まった親戚たちも、それに同調し伸一の読み筋通りに会議は終わるはずであった。
と、そのとき。
「いかせてくれ」と聖が皆の前で頭を下げた。
「頼みます。僕を大阪にいかせてください」
しかし、そう言ってもなあ、健康がいちばんだからなあ、というようなことを誰かが言った。
そのとき、聖はひるむことなく教師をしている大人たちの前でこう言い放った。
「いかせてくれ」
そしてつづけた。
「谷川を倒すには、いま、いまいくしかないんじゃ」
それは、
会議は水を打ったように静まりかえった。伸一もトミコもどぎまぎして何も言い出せなかった。
聖はあせっていた。目標は谷川浩司ただ一人である。将来の名人を倒すには13歳の聖には一刻の
いまからでも
学生服を着た聖は
「谷川を倒すにはいまいくしかないんです。お願いです、僕を大阪にいかせてください」
その純粋で
「
長い
「中学1年生が自分の意志で自分の将来の目標を決めるなんてなかなかできないことだ」
広島市内のマンモス中学の校長をしている義弟は、当時急速に全国の学校に広がりつつあった校内暴力に頭を悩ませていた。それと同時に学校内に
「うちの学校によんで、皆の前で聞かせてやりたいぐらいじゃ。うちの学校にもこんな生徒がほしい」と、聖の強い意志と明確な目的意識に裏づけられた言葉に感服してしまったのだった。
その義弟の言葉を境にすっかり親族会議の雰囲気が変わってしまった。一人、二人と聖がそこまで決心しているのなら親として最大の支援をするべきではないかと、逆に伸一が説教される
会議という名目で聖の進路について話し合うために集まってもらった以上は、伸一としてもそこで提示された結論を無視するわけにはいかない。説得するために集まった大人たちが中学1年生の聖に逆に説得されたような形になってしまったのである。
〈谷川を倒すにはいまいくしかない〉。その言葉と強い信念をもって、聖は自らの力で自分の進むべき道の
そうと決まれば伸一も動かざるを得なかった。翌日にはさっそく、篠崎に連絡しプロを目指したい
しかし予期せぬ言葉が篠崎の口からこぼれ落ちた。
「まだ早い」というのである。もうちょっと、地元広島で力をつけてからでも遅くはないというのが篠崎の意見であり結論であった。
当然、聖は伸一に食い下がった。伸一も腹は決まっている。篠崎が
本多は聖の奨励会入りに賛成してくれた。そして、本多が幹事を務める、広島将棋同好会支部の
本多から広島の有望な少年がプロ入りを希望しているとの連絡を受けた下平は、その旨を東京奨励会幹事の
「広島の村山という子なんだけど、どうだね森君、君も弟子の一人ぐらいとってみてもいいんじゃないの」と滝はざっくばらんに森にもちかけた。
「わかりました。とりあえず会ってみます」と森は答えた。森のその答えは滝、下平、本多と伝わったルートを逆流して伸一のもとへ届けられた。聖はトミコに連れられて大阪の森を訪ねる。
昭和57年の初秋のことである。
大阪の関西将棋会館道場で、聖と森ははじめて対面した。
ネフローゼで青白い顔はむくんでいた。手も足も
「あのなあ」と森はやさしい声で言った。
「
それが森と聖のはじめての会話だった。
ワイシャツの
「はあ」と聖は頭をかいた。
「この子は冬でもこうなんです。
聖の代わりにトミコが答えた。しかし、師匠になろうかという人とはじめて面接するときに裸足で現れるものだろうか。一緒についている親は何で注意しないんだろう。
そんな森の疑問を
「この子、一度いやじゃといったら、私の言うことなんか聞くもんじゃなくて」
そう
森は不思議な感覚にとらわれていた。
お母さんは
森は
将棋のテストは行わなかった。
この子を弟子にする。森は会っただけで瞬間的にそう決めていたのだった。
それは師と弟子の不思議な、そして運命的な出会いだった。
11月に大阪で聖は森門下として念願の奨励会試験に
この日、大阪では佐藤康光、東京では羽生善治、森内俊之、郷田真隆、丸山忠久ら後の将棋界を
奨励会試験を終えて広島に帰った聖は、以前にも増して
「名人になるんだ」と叫びながら毎日毎日、
明確な目標があり、そのための努力があった。そんな単純な図式が心地よく、聖の心は
しかし、突然聖の体を蝕んだネフローゼのように、思わぬ問題が湧き上がり聖のゆく手に立ちはだかろうとしていた。