『火喰鳥を、喰う』で第40回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈大賞〉を受賞した原浩さんの新作『蜘蛛の牢より落つるもの』が9/26に刊行されました。
ダムに沈んだ伝説の村でかつて起こった猟奇事件。その真相を調べるフリーライターのまわりで新たな死の連鎖が――。曰わく付きの村、比丘尼と蜘蛛の伝説など、ジャパニーズホラー好きなら見逃せない要素が満載。
読み終えた書店員さんからも
「ダムに沈んだ村、村に伝わる伝承などオカルト好きにはたまらない」――オックスフォード福江店 中野さん
「恐怖感と爽快感の両方味わえる作品」――明林堂書店南宮崎店 河野邦広さん
応援の声がゾクゾク届いています!
刊行を記念して、作品の冒頭を特別公開。恐怖と衝撃の原浩ワールドをお楽しみください。
原浩『蜘蛛の牢より落つるもの』試し読み#01
まるで鍋の底に立っているみたいだ。頭上を覆う星空は、それを取り囲む高い山並みの影にぐるりと切り取られている。あの空が雲の鍋蓋で覆われたら、ここは掛け値なしの真っ暗闇になるだろう。
なにしろここは人家のない山中だ。ましてや今俺が立っているのは水涸れのダム湖の底。周囲に光源などあるはずもない。だが、星明かりが意外と明るいというのは思わぬ発見だった。カメラのライトを点けなくても、うっすらと足元が見える。白い地面はすっかり乾ききっていて、まるで干ばつに見舞われたアフリカの大地みたいにひび割れている。ここが普段は水の底だなんて今は想像もできない。しかしここ数ヶ月まともに雨が降っておらず、ダムの水位は過去最低レベルになったらしい。その結果こういう気味の悪い景観が出現したってわけだ。
ここに来て正解だった。こんな景色はなかなかお目にかかれない。昼間撮影した写真を背景にして、うまい煽り文句で飾ったら、視聴者を惹きつける不気味なサムネイルができるだろう。あとで恐怖に怯える表情も自撮りしておかなけりゃならない。大げさでなく、ごく自然に緊張と不安に引きつった顔がいい。トリミングしてサムネイルに重ねよう。先月、髪色を明るいミントグリーンに染めたのも我ながらファインプレーだった。緑の髪色は思った以上にサムネイル映えがする。小さな画像が並ぶ検索一覧の中でも、俺の顔は一際目立つようになったと思う。きっと再生数の増加に効果があるはずだ。ただ、パパは俺の髪色を見て就職がどうとか苦言めいたことを言っていた。相手にするのが本当に面倒だ。年寄りはクリエイティブな仕事に理解がないから苦労させられる。
煽り文句が悩みどころだ。いつもの血が垂れたみたいな赤いフォントは確定として、文言が難しい。説明的でも駄目だし、かといって短すぎても伝わらない。『呪われたキャンプ場に凸ってみた』的なのがそれっぽくて無難だが、さすがに今さら感があるし、何よりスタイリッシュさに欠ける。……ま、追々考えりゃいいか。
俺は首のストラップからカメラを外した。電源を立ち上げ録画ボタンを押し、カメラライトを点けた。ぱっと周囲が明るくなる。先月買ったばかりのアクションカメラは最新式だ。ナイトモードにすればこの光量でもある程度鮮明に撮影できる。スタビライザーも買い替えたばかりだ。少し値が張ったが、これがあれば手ブレもほとんどしない。良い投資だ。その投資もすぐに回収してやる。
さて、始めるか。俺は手にしたカメラを周囲の暗闇に向け、小声で口を開いた。
「さあ、やってきました。ぶっこみ怪奇チャンネルのセイジです。現場に到着しました。今はですね、ええと……、午前一時を少しまわったところです。今回やって来たのは長野県の六河原湖というところです。ご存じの方も多いかと思いますが、この湖はダムによってせきとめられて出来た人造湖なんです。で、今私が立っているのは、六河原湖の底になります」
カメラを周囲にぐるりと向けた。
「……視聴者のみなさん、わかりますかね? これ、水がすっかり引いちゃっているんです。ヤバイですよね。いつもは、ここ、水の底なんです。でも今は……、見えますかね、地面は干上がっていて、ここが湖の底だなんてとても思えません。ニュースでもやってますけど、最近雨が全く降らないせいで、こんなことになっちゃってるわけですねえ。いや、不気味。……それではええと、目的の場所にですね、これから向かっていきたいと思います。ここから下っていくと、下にはまだ水が残ってます。それでは行ってみたいと思います」
暗闇の中、ダムのさらに底へと慎重に足を運ぶ。不思議なことにライトを点けた方が暗く感じる。光線が照らす箇所だけが眩しいくらいに明るいが、その他は塗りつぶされたように黒い。
俺はカメラを向けたまま、干上がった湖を下っていった。冷たい風がしゅるしゅると吹き抜ける音の他に物音はなく、虫の声すら聞こえない。静かだ。六月とはいえ、この場所、この時間はやっぱり冷える。ウインドブレーカーを羽織ってきたのは正解だった。
前方に水面が見えてきた。だいぶ水量は減っているが、それでもまだダムの底には大量の水が残っている。カメラライトに照らされた水面が白く反射した。岸から少し離れた先の水面上に三角の突起が突き出しているのが見えた。
「あっ。見えてきました。あれです」俺は話しながらカメラを水面に向けた。「……情報にあった通りです。水面に突き出ているのは小さな屋根のようです。……ああ、やっぱり間違いないですね。あれはいわゆる火の見櫓というやつです。火の見櫓の屋根の部分だけが水面から突き出してます。水底に沈んでいた村が、この渇水によってその全貌を現そうとしています」
俺は水際に立ち止まり、水面に顔を出した火の見櫓の屋根にクローズアップした。鉄製の火の見櫓は当時の姿のまま水中に残っていたようだ。できるだけ怯えたような声色をつくり、レポートを続ける。
「……そしてあの火の見櫓が立っている場所が、例の六河原キャンプ場のすぐ隣になります。つまりここが……、そうです、あの事件のあった呪われたキャンプ場の付近ということになります。心なしか、どこか……、そうですね、何て言うんだろう、この場所は何か不気味な寒気を感じます。辺りに人の気配がするような……やはりここは普通ではない。そんな気がします」
水面は波も立たずに静まっている。ぬらりと凪いだ深夜のダム湖はかなり気味が悪い。この映像に少しばかり不気味なBGMとサウンドエフェクトを加えれば、それがより強調されるはずだ。編集の腕のみせどころだ。
「えっ!」俺は大袈裟な声を上げると後ろを振り返り、カメラを向ける。乾いた白い土が映るばかりで何もない。「……い、今、何かの声がしたような……え、え、噓だろ、おい」
俺は本気で怯え、動揺したかのような声を出した。悪くない演技だと思う。もちろん、何の音もしていない。だが後から加工した音声でも重ねておけばいい感じになるだろう。
こうした演出がなくては視聴者が期待する映像など撮れやしないのだ。今まで心霊スポットを数多く巡ってきたが、心霊現象らしい何かが起きた試しなどなかった。馬鹿正直にレポートしたところで面白い動画など作れないのはわかり切っている。今までの投資を回収し、一発当てるためにはそれなりの工夫は不可欠だ。
俺は再び湖水にカメラを戻しレポートを続けた。黒い水面に火の見櫓が白く浮かぶ。
「やはりですね、ここは何かヤバイです。生きながらに埋められた被害者の怨念が彷徨っているのかもしれません。危険を感じたら撤収しようと思います……ですが、ぶっこみ怪奇チャンネルとしては……あっ」
急に辺りが真っ暗になった。
「あ、あれ? ヤバイ、どうして……ラ、ライトが消えました。バッテリーは確認したのに……で、電源がつかない! なんで、え? 故障? ヤバイヤバイ……」
俺は慌てた体でカメラを振った。もちろんバッテリーは切れていないし、故障したわけでもない。自分でライトを切ったのだ。心霊スポットで照明やカメラに異常が生じるというのはベタな展開だが、ベタな展開こそ視聴者は期待しているはずだ。押さえるべきところは押さえないと、登録者数の増加は見込めない。今回は結構うまくいってるんじゃないだろうか。きっと臨場感があるはずだ。
ざり、と音がした。
反射的に振り返る。カメラライトの電源を入れた。強い光に照らされ、ひび割れて乾いた地面が見えるばかりで誰もいない。狸でもいるのかと思ったが、生き物の影は見えなかった。下って来た斜面を見上げるが、はるか先でダム湖を囲む木々が立ち並んでいるほかに何も見えない。確かに音が聴こえた気がしたが、気のせいだったのかもしれない。
思わず舌打ちした。普通にライトを点けちまった。長回しするつもりだったのに。まあ、謎のカメラトラブルが起きたことにして、途中を切ればいいか。俺は再びライトをオフにした。
カメラを水面に向けた。星明かりだけの光量にもかかわらず、ざらざらとしたノイズの向こうにグリーンのフィルターのかかった火の見櫓らしき影がなんとか映っている。さすがに最新のナイトモードの性能は頼もしい。投資の甲斐があった。
ざり、と音がした。
(つづく)
作品紹介
蜘蛛の牢より落つるもの
著者 原 浩
発売日:2023年09月26日
取り憑くものは、怨霊か悪意か。 『火喰鳥を、喰う』の衝撃ふたたび!
フリーライターの指谷は、オカルト系情報誌『月刊ダミアン』の依頼で21年前に起こった事件の調査記事を書くことに。
六河原村キャンプ場集団生き埋め死事件――キャンプ場に掘られた穴から複数の人間の死体が見つかったもので、集団自殺とされているが不可解な点が多い。
事件の数年後にダムが建設され、現場の村が今では水底に沈んでいるという状況や、村に伝わる「比丘尼」の逸話、そして事件の生き残りである少年の「知らない女性が穴を掘るよう指示した」という証言から、オカルト好きの間では「比丘尼の怨霊」によるものと囁かれ、伝説的な事件となっている。
事件関係者に話を聞くことになった指谷は、現地調査も兼ねて六河原ダム湖の近くでキャンプをすることに。テントの中で取材準備を進める指谷だが、夜が更けるにつれて湖のまわりには異様な気配が――
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