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試し読み

【試し読み】あなたの家は大丈夫?――夢見里龍『奇妙な家についての注意喚起』第一の家・第二の家を全文公開(2/2)

2019年8月20日
 また、変な事があった。
 午前一時、掃除機の音に安眠を破られた。
 久し振りの休日だったから、日頃の睡眠不足を解消するべく十一時には就寝していたのだが、これにはさすがに眠っていられるはずもなく起きだす。妻はベッドにいない。
 こんな時間帯に掃除機って。コップでも割ったとか? マンションだったら騒音注意の張り紙されちゃうなあと思いながら一階に降りた。リビングを覗いて「なにしてんの」と声を掛ける。ドアを開けた途端、掃除機の音が止んだ。
「あ、ごめん、うるさかった? 静かにしてたつもりなんだけど」
「いや、静かにっていうか、掃除機……」
 妻はダイニングテーブルでパソコンにむかっていた。
 うちはサイクロン式のやつを使っているのだが、掃除機はきちんと壁にある充電器に繋いである。ドアを開けるまで使ってたのに?
「ごめん、締切があって」
「いいけど……ちゃんと寝なよ?」
 掃除機かけてた? って聞けなくて、ちょっと誤魔化した。妻はよほど集中しているらしく「うん、後ちょっとだけ進めたら」と視線を上げずに答えた。
 
2019年9月5日
 ようやく夏のシーズンが終わった。予約がまばらになって紅葉の時期まではいつたん息をつける。
 朝から妻に躊躇ためらいがちに尋ねられた。
「ね、昨日の晩、電子レンジとか使った?」
 トイレには行ったが、電子レンジは使っていない。首を横に振ると、妻は「そっか」と煮え切らない様子を見せた。

2019年10月22日
 白馬岳、うしろたてやま連峰。初冠雪。
 妻がマンガを投稿しているSNSアカウントのフォロワー数が五万人を突破した。と報告された。書籍化が確約されたらしい。画面を見せてもらったが、こういうのはよく分からない。取り敢えず褒めておいた。

2019年10月28日
 変な事が続いている。
 記録のため、書いておこうと思う。似たような体験をした人がいたら、是非ともコメントなどで教えてほしい。
 時間は午前四時過ぎ。早朝だというのに、リビングでバタバタと音が聞こえて、いっきに眠りから覚めた。食事の支度でもしているような音。トントン。という包丁とまな板の音に時々だが、冷蔵庫を開閉する音が混ざる。こんな朝から料理しなくても、と思って、隣をみる。
 妻が寝ていた。慌てて妻に声を掛ける。
 起きた妻は音を聞いて「泥棒?」と怖がった。「まさか」泥棒が他人の家で料理をするはずがない。それに不審な音が聞こえたのは今晩に限らない。度々だ。戸締まりはちゃんとしているから、他人が家のかぎを持ってて勝手に上がり込んでるとか?
「確かめてくるよ。君は危ないから待ってて」
「やだ、私も一緒がいい」一人になりたくないのか、妻がすがりついてきた。「分かった」と妻を連れて階段を降り、音の正体を確かめにいく。
 暗いせいもあってか、廊下のモルタル壁にはめ込まれたリビングのドアは不穏さを漂わせていた。どこに繋がっているんだろう……一瞬だけ、そんな事を考えかけて、馬鹿らしいと頭を振る。
 ぱたぱたっ
 こうしているあいだもドアの向こうでは誰かがご飯の支度をしている。不法侵入のくせして、大胆不敵に鳴るスリッパ。遠慮なく、パタン、パタンと物色される棚の音。私の方が息をつめ、足音を立てないように靴下まで穿いていて、よっぽど侵入者みたいじゃないか。こっちが家主だってのに。むかつく。
 妻を後ろにかばいながら、スマホのライトをかざしてドアを開ける。ドアノブを下げかけたところで、妻がくいっと私の服のすそをつかんできた。
「逆っ」
 緊張していたせいで、私は蝶番側についている飾り物のドアノブを握り締めていた。
 妻に声を掛けられなかったら気づかなかった。
 慌てて左側のノブをつかみなおして、押しひらく。
 リビングは真っ暗で静まりかえっていた。すぐに照明をつける。誰かが隠れているような様子はない。ついでにキッチンを荒らされたようなこんせきもなかった。
「……もしかしてお化けとか?」
 青ざめた妻を笑った。
「そんな馬鹿な。マンガの読み過ぎだよ」
 だが、どう考えても馬鹿げているのはこの現実だ。頭を抱えたくなる。
 一つ、妻には言えなかった事がある。さっき誤って飾り物のドアノブをつかんでしまったのだが、ノブが下がったのだ。
 後は押すだけだった。
 あっち側を開けていたら、どうなっていたのだろうか。

2019年11月29日
 例の物音は相変わらず続いている。毎日じゃない。週に一度くらい。寝静まるころになると聞こえる。奇妙な事にどれだけ熟睡していても音が聞こえだすと、神経が立って眠れなくなってしまう。
 料理に掃除、洗い物の音。騒音というよりは生活音だ。
 この家には私たち夫婦しか住んでいないのに?
 
2019年12月14日
 例の物音について、妻はこの家が事故物件だったんじゃないかと疑ってたらしい。
 でも、不動産屋に問いあわせても、やっぱりここを建てた人は別荘として使う事もなく売却してしまったそうで、死亡者どころか、前の居住者がそもそもいないというのが現実だった。
 正直に言って私もこれらの不可解な音は、心霊現象じゃないかと考え始めてはいた。
 断っておくが、私は霊なんかいないと思っている。『ほんとにあった怖い話』などの番組を観ては「まるっきり作りもんじゃん。こんなのあり得ないよな、企画としては面白いけど」なんて鼻で笑っていた。でもここまできたら、むしろ心霊現象だった方が良かったのにとまで思っている。それだったらまだ、理解のはんちゆうだ。
 何もいわくがない。変な事なんて起きようがない。なのに、現実に起きている。変な事が。
 
2019年12月20日
 妻と話しあった。
 異音? 怪音? について、とにかく今後は気にしないでおこうという結論になった。
 家の中の事だ。全く意識せずに過ごすのは無理だろう。安眠を妨げられているのも事実。
 でも、神経をとがらせるほどの事ではない。
 夫婦ともに「こんなに良い家はないだろう」と思っている。ここを引き払って他に物件を探すなんてとんでもない。
 問題は音だけだ。実害はない。ただうるさいだけ。
 ならば、マンションに暮らしているつもりにでもなればいいのだ。下階の住居者は基本留守だが、時々帰ってきて音を立てる。迷惑だが、週に一度くらいだし、別に苦情を訴えるほどではない。そう説得すれば、妻も心細げながら「うん、分かった」と頷いた。

2019年12月23日
 新婚はじめてのクリスマス! と言いたいところだが、ホテル経営なんかしているとこの時期は慌ただしくてお祝いどころじゃない。残念。
 それでも先がけて「イブイブ」にささやかなお祝いをした。
 妻は久し振りに張り切って料理をつくってくれた。ポテトサラダはスーパーのやつだけど、ローストチキンはお手製。腹にはたっぷりとガーリックライスがつまっていた。しい。
 
2020年1月1日
 あけましておめでとうございます。
(繁忙期につき、ブログの更新はしばらく休みます)

2020年1月31日
 コロナっていう感染症が拡大する危険があるとニュースで報道されていた。正直、ああいう報道をされると観光に影響があるから困る。まあ、今のところ日本の感染者は海外から帰国した患者が殆どみたいだから、それほど騒動になる事はないだろう。

2020年2月3日
 まだ冷や汗がとまらない。ここに書いて、ちょっとでも落ちつきたい。
 いつもどおりに眠っていたら下階で音がした。物音には慣れてきた。でも、その晩聞こえてきたのはこれまでのような生活音じゃなかった。
 がちゃ
 ドアノブが下がる音だと理解した途端、全身に鳥肌が立って眠気が吹き飛んだ。
 時刻は二時五十分。「なあ、いまの聞こえた?」「起きて」と小声で妻に呼びかけ、揺さぶったが、彼女は起きない。熟睡しているようだ。
 あきらめる。ただ、眠り直すなんてとてもじゃないが無理だった。
 ドアを、確かめないと。
 階段の明かりをつけて一階に降りる。
 どうかリビングのドアが開いてませんように。ひらいたら、きっと、とても良くない事になる。根拠はない。ただ、強烈な焦燥感があった。
 廊下に差し掛かった私はりつぜんとした。やはりというべきか、リビングのドアが全開になっていた。
 それも開かないはずのの方からだ。
 リビングからは異様に寒々しい風が吹いてきている。廊下から覗いたかぎりだと人の姿はなかった。特に物音もしない。だが、明かりはついている。眠る時には必ず落とすはずの照明が――どうなっているんだろうか。
 警戒しながら、リビングの中に進んでいく。
 この時、私は「ここは私の家なんだ、自分の家の中を歩きまわるだけなのに、怖がってたまるか」という反発心に燃えていた。「今度こそ、不法侵入者の正体を確かめてやる」という意地もあった。
 リビングの様子は特に変わらない。ペニンシュラキッチンのついた二十五畳のリビングダイニング。ウッディなダイニングテーブルには妻が編み上げたレースのテーブル掛けが敷かれていて、椅子は二つ。私の椅子には青いチェアクッション、彼女はピンク。
 入って、見回して、変だと思った。
 いつも過ごしているリビングのはずなのに、落ちつかない。
 壁掛けのテレビもある。緑のカーテンがつけられた窓もある。食器棚も変わらない。なのに、肌の裏側を虫がいまわるような違和感がぬぐえなかった。
 何が、何が。探し続けて、壁掛けの時計に視線を留め、はっとする。
 数字の並びが変だ。いびつな12から右まわりに11、10、9となっていて、秒針は左に逆廻りしていた。
 慌てて廊下まで引き返して確認する。
 私の椅子は右側、妻の椅子は左側であるはずなのに、逆になっている。妻の椅子はキッチン側と記憶していたが、キッチンまで左右反転していたので、すぐには分からなかった。東側にあるはずの窓も西側になっている。
 鏡に映したかのように全てが逆さまになっていた。
「どうなってるんだ?」
 夢でも見ているのだろうか。
 リビングに戻る。
 強烈な眩暈めまいがした。視界がゆがんで異様な吐き気を催す。がんの裏側に通る視神経がぐにゃとねじれていくような。
 椅子につかまりかけたその時だ。
 ゴトンと物音がした。キッチンの方だ。
 うちはペニンシュラキッチンの奥にクローゼットルームがある。たぶん、元の用途は食材の備蓄倉庫だが、今は妻の私物が収納されていた。
 続けて、慌ただしいスリッパの音がこちらに向かってくる。
 キッチンにもクローゼットにも明かりはついていなかった。だから、音だけ。
 なのに私は本能的な恐怖を感じて、逃げだした。左右逆になっているせいか。それとも眩暈でふらついているせいか。テーブルの真横に置かれているゴミ箱を倒してしまった。転ばなかったのは不幸中の幸いだ。
 散らばったゴミを振りかえる暇もなく、リビングから飛びだし階段をかけあがる。
 後からスリッパの音がついてきた。走って追い掛けてくるというのではなく、時々立ち止まって様子を確めながら私を捜しているというかんじだ。
 息き切って寝室に逃げ込んだ。寝室に鍵はない。
 ドアを押さえておくか、眠った振りをするか。この部屋には妻もいる。侵入されたら終わりだ。
 ドアに体重をかけて押さえる。
 アレが階段を上がれない事を願いながら、ドアノブを強くつかむ。耳をそばだてていると階段の真下でスリッパの音がした。
 まさか、上がってくるのか?
 スリッパの音が、ぱたっ、と一段上がった。
 上がれるのか。絶望で視界が暗くなる。
 ぱた、ぱた、ぱたっ。
 足音は無情にも階段を上がってきた。二階にはこの寝室の他に三畳ほどの空き部屋と小さなクローゼットがあるだけだ。空き部屋は素通りして一直線に寝室へと向かってくる。ぱた。ドアのすぐ後ろで静かになった。
 呼吸が聞こえるわけでもない。声を掛けられたわけでもなかった。だが異様な圧を、肌で感じた。
 この板を隔てた外側にのだ。
 ドアノブを握り締める手から、どっと汗が噴きだす。しがみつくようにドアノブを握り続けながら耳に神経を集中する。自身の鼓動がやかましかった。
 どれだけ経っても相手に動きはなかった。ノブをつかんで、がちゃがちゃと動かすでも、ドアをたたいてくるでもない。あるいはこちらが警戒を解くのを待っているのか。
 だとしてもかれこれ十五分は経つ。わずかも動かず、ドアに張りついているなんて異常だ。まだドアを叩かれるほうがよほどマシだ。真綿で首を締められているような恐怖が延々と続いた。
 緩みそうになる神経を、懸命に張りつめる。
 二階の廊下には明かりがついているが、対する寝室は暗い。れてくる明かりをにらんで息を詰める。
 枕もとの時計に視線を投げる。三時四十五分。アレに追いかけられて寝室に立てこもってから、三十分は経っていた。
 そろそろ、何処かに行ったか……?
 いや、まだだ。だってあれからスリッパの音はしていない。
 いつ終わるとも知れない緊張と恐怖感で、ノブを握り締める手が震えてきた。叫びだしたい衝動にかられる。
 恐怖って、重いんだな。知らなかった。
 おもりのような恐怖が頭に乗っかって、段々と視線を上げていることも難しくなる。腹の中まで重くなって、底のない穴に落ちていく錯覚に捕らわれる。逃げだしたくてたまらなかった。でも動けない、動いたらだめだ。
 四時十五分。
 パタ、ときびすを返して、それは諦めたように階段を降りていった。明かりが消えて廊下が真っ暗になる。
 がちゃ。
 最後にリビングのドアを閉める音がした。
 たぶん、もう大丈夫だ。でも怖くてドアを離れられない。
 だから私は今、ドアにもたれてこのブログを更新している。まもなく四時半だ。またいつ、リビングのドアがひらくか。アレが階段を上がってくるか。考えているだけで頭が変になりそうだ。
 怖い。怖い。怖い。
 助けて。
 
 追記
 あれから物音はせず、無事に朝を迎える事ができた。日中に一階から奇妙な音がする事はない。カーテンの隙間から朝日が差してきたのを確認して、張りつめていた緊張がいっきに解けた。
 妻が起きるなり、昨晩の事を話した。
「……夢じゃないよね?」
 話を聞き終えた妻はひどい顔色をして、現実を受けいれたくないとばかりに尋ねてくる。
 私だって夢だと思いたかった。でも、リビングのゴミ箱は現に倒れていたし、ブログもきちんと四時二十八分に投稿されていた。リビングの物音に我慢すればいいだけと思っていたのに、いきなり音の主がリビングから出てきて、あまつさえ追いかけてくるだなんて。
 あまりにショックが大きすぎた。身の危険を感じる。
「リビングのドアさ、蝶番側からひらいてたって言ったじゃない? 私たちは廊下から見て右側のドアノブを開けられない。って事は相手だってリビングから見て左側のノブは下げられないんじゃない?」
 どうだろうか。確実にそうだとは言い切れなかった。昨晩はドアが開いていたし、私も蝶番側のノブを下げられた事があったからだ。
 でも、右と左についているドアノブが変で、そこからこの異変が端を発しているのは確かだ。それに昨晩だって、最後まで寝室のドアは開けられなかった。
「分かった、蝶番側にあるノブを外そう」
 我ながら良案だと思った。妻もそれに賛同してくれた。
 ドライバーを持ってきて、異変のもとになっているドアノブを取り外す。
 リビングの内側から外せば外側のノブもガチャンと落ちた。ドアの内部にある金属の筒だけが残る。これは取りはずせないので、諦めた。
 最悪、業者に依頼してドアを取り換えてもらおう。
 後から調べたらこの金属の筒はラッチという部品で、ノブがなければ動かないので、錠の役割を果たすらしい。不格好にはなったが、これであちら側からひらく事もできないはず。
 そう信じたかった。


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