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試し読み

【試し読み】あなたの家は大丈夫?――夢見里龍『奇妙な家についての注意喚起』第一の家・第二の家を全文公開(1/2)

第一の家
カクヨムに投稿された主婦の体験談



 あれ、どうして、こんな変なところにあるんだろう――
 それに気づいたのは新居への引っ越しを終えて、ひと息つき、これから荷解きを始めようかという時でした。
 子どもができたら家を持とうね、というのが結婚した当初からの夫婦の約束事でした。
 夢の実現のため、結婚式も披露宴はせず質素に抑えました。でも結婚から一年経った頃に子どもを授かり、私が退職。妊娠後も倹約を続け、約三年。ついに念願の一軒家を購入することとなったのです。
 残念ながら、夢の持ち家は理想としていた新築ではありませんでした。
 二十五坪の中古物件です。
 それでも子どもが二歳のうちに持ち家を手に入れられたことは幸運でした。三歳から幼稚園が始まるので、生活の基盤を作るのに丁度良い時期だからです。
 新居となる家は築十五年。一階建て。間取りは3LDKでした。玄関から二畳ほどの廊下を挟んで右側に十六畳のリビングダイニングキッチン、リビングとつながった六畳の個室がひとつ、廊下の左側には六畳と七畳の個室がふたつとバストイレという構造です。
 記号の「Ωオメガ」に似た形のアーチ型玄関ポーチを始めとして細かなこだわりがあり、何より私は暖かみを感じさせる木の壁にかれました。腰壁というのでしょうか。節のある木の板が床から壁の中程まで張りめぐらされているのです。通常腰壁は人の腰あたり、一メートルほどの高さなのですが、この家の腰壁はゆうに二メートルはありました。一階建てだからか天井が高めの造りになっていて、上部の壁紙は白のアカンサス模様です。リビングの天井はドーム型になっていました。
 夫は、というと、ウッドデッキが特に気に入ったようでした。
 南側に広がるデッキからは地元で愛される山を眺望できます。夫は独身のころからツーリングを趣味としていて、特に曲がりくねった峠の道をバイクで走り抜けるのが好きでした。峠の駐車場に停車し、山を眺めているとさいなことはどうでもよくなるのだとか。インドア派の私からすると、あまり理解できない趣味です。実のところ、バイクは危険だからやめてほしいとさえ思っていたのですが、相手の趣味を否定することはできません。
 それに、惹かれたところは違っても、同じ家を気に入ったことのほうが大切です。
 夫と相談して、リビングと繋がった個室が夫の寝室、廊下を挟んだ七畳の個室が私と子どもであるあおの寝室、余った部屋は物置と客室をかねておいて碧依が成長した折には子ども部屋にしようという話でまとまりました。
 引っ越しという非日常に疲れたのか、早々に眠ってしまった碧依にピンクの花柄のブランケットを掛けてあげ、私は寝室の片づけに取りかかっていました。ブラウンのラグを敷こうと思った時、私の視線はあるものに吸い寄せられました。
 寝室の端に、床にぽっかりと開いた排水口があったのです。
 キッチンや洗濯機を設置する脱衣室ならばともかく、どうしてこんなところに排水口が? 私は注意深く排水口を確認しました。直径八センチほど。手をかざすとかすかに風が吹き込んでいました。
 内覧時は前の住人の家財が残っていたため、気づきませんでした。確か、趣味の良くない黄緑のカーペットが敷かれていたはずです。相手は「敷物を残していきたい」とのことで、夫も「よかったじゃん、節約になるよ」と喜んでいたのですが、私はどうしてもイヤで処分しました。だって念願の持ち家ですよ。好みの物で統一したいではありませんか。キライな物がひとつあるだけで全部が台無しになるようで、私は耐えられませんでした。
「ね、たくさん、ちょっときて」
「なんだよ、こっちも忙しいんだけど」
 面倒そうに夫がリビングから顔をのぞかせました。
 たく。結婚して約四年経ちますが、未だに恋人だった時の拓さんという呼びかたが抜けません。拓海は眼も細く鼻も細く、冬眠明けのトカゲのような顔をしています。私はそんな彼の温度の低い顔が好きでした。
「これ、排水口だよね」と私が指を差すと、拓海はちらりと覗いて「前に住んでた人が使ってたんじゃない?」とてきとうに答え、そそくさと戻っていってしまいました。
「使ってたって、何によ」
 元からこの部屋は寝室として使われていたはず。寝室に洗濯機なり乾燥機なり排水が必要な家電を設置するでしょうか。
 新たに購入したラグは二畳ほどのもので、壁から二十センチほどのところにある排水口を隠すには小さすぎました。さすがに二歳児が落ちるなんてことは考えられませんが、物を落としたりつまずいたりする危険はあります。ひとまずガムテープを貼っておきました。
「これでよしと」
 排水口をふさぎ終えたところで、今度は夫から「みず」と声を掛けられました。
「ね、リビングにも排水口があったよ。しかもふたつも」
「ええっ、うそ」
「ちょっと笑った。どんだけだよ」
 夫は愉快そうにしていましたが、私は異様なところにある排水口たちがどうにも底気味悪く、落ちつかない気持ちになってきました。
「……でも、なんか、変じゃない?」
「水希は神経質なんだよ。気になるんだったら蓋でも取りつけたら? 別に排水口なんて害があるもんじゃないんだからさ」
 結婚した時から彼にはこういうところがありました。面倒なものは「どうでもいい」という箱に振り分けてしまう。ずぼらとかあきらめやすいとかじゃなくてもっと冷淡な癖。
 でも、確かに今のは私が神経質すぎたかもしれません。せっかくの新しい家なのですから。ケチをつけるようなことはやめようと考えなおしました。
 片づけが落ちついてから、私は彼に「お疲れ様」と珈琲コーヒーれました。彼は「ありがとう」も言わずにカップに口をつけます。
「おおかた終わったね。朝になったら諸々もろもろ手続きの更新とかしておくから」
「うん、……ねえ」
 家のなかを眺めてから、私はかみ締めるようにその言葉を口にしました。
「良い家にしようね」
『良い家』。漠然とした言葉。それでも、私にとってはひとつの理想がありました。家族が笑ってリビングに集い、穏やかに食卓を囲んでいる風景です。
 実をいうと、私の実家は両親が不仲でした。父親は大変怒りっぽく感情がすぐに顔に出るひとで息を吐くように文句ばかりを垂れながし、私たちを殴ることこそありませんでしたが、しょっちゅう物にあたりました。ちやわんやマグカップは何度買い替えたか分かりません。物心ついた時はじめて自分で選んだキャラ物の茶碗も一ヵ月持たなかったと思います。晩ご飯は家族でそろってというのが我が家のおきてだったのですが、茶碗やらはしやらが飛びかい、まき散らされた料理がぐちゃぐちゃに混ざりあっていく食卓は幼心にも地獄というほかありませんでした。泣きたいほどにイヤなのに、頭の端はやけに冷静で「ああ、肉野菜いため、まだほとんど食べてなかったな」とか「大根煮はキライだからダメになってくれてよかった」とか考えながら、残っているおかずをせっせと口に詰めこむのが日課でした。
 姉は私が十二歳の時に家を出ていき、私も高校に進学すると塾に通ったりバイトをしたりして家に寄りつかなくなりました。
 両親は結局、私が就職すると同時に離婚しました。
 家が、キライでした。
 だからこそ、私が家庭をつくるのならば『良い家』にしようと思っていました。家族がどんな時でもまっすぐに帰りたくなるような家。茶碗やマグカップが変わらない家。それが私にとっての『良い家』でした。
 拓海は私の言葉をどう受け取ったのか、珈琲を飲みほしてため息をつくように言いました。
「家のことは水希に任せてるから」
「え?」
「ほら細かいインテリアとか、水希のほうがこだわるだろ。カーペットもそうだったし」
「それはそうだけど……」
 そもそも拓海はカーテンひとつ選ばないし、どっちがいいかなと尋ねても「水希が好きなほうでいいよ」というだけでした。彼の「いいよ」は「どうでもいいよ」なのです。

「わかる、男ってそうだよね。話ができないの。最後まで聞かず好きにしたらいいよって。こっちは相談したくてしやべってるのにね」
 引っ越しのバタバタが落ちついたのはそれから三日後でした。
 ひとりだったら一時間もあればできる整理せいとんも二歳児がいると片づけた側から散らかされるので、三時間は掛かります。育児と片づけと手続きですっかり疲れきった私は愚痴を聞いてもらうため、六歳年上の姉に電話をかけていました。
「姉さんのトコもそうなんだ。だんさん、優しそうなのに」
「ぜんぜん。週末、私が風邪で倒れててもずっと無視してて、喋ったと思ったら、飯は? だよ。ほんと、イヤになっちゃう」
 姉は結婚して七年を過ぎました。夫婦は七年目に破局する確率が高いとよく聞きます。姉夫婦もけんたい期に突入しているらしく、喋ると互いにパートナーに対する不満がつきません。それを聞いているとうちだけじゃないんだという安心感があり、姉とは頻繁に連絡を取っていました。
「あ、それ、うちも。タオルとか洗剤の詰めかえとか、いちいち、どこにあるかいてくるんだよね。自分の家なのに、何をどこに片づけてるかも知らないの」
「あんたの家でしょうが、ってね」
「そうそう」
 姉と喋っていて、拓海が「家のことは任せてるから」と私にまる投げした時、なんであんなに寂しい気持ちになったのかが分かりました。
 だって、私たち家族の、家なんじゃないの――?
「先週おしゆうとめさんと会ったんだけどね、孫はまだかって、またせっつかれちゃった。旦那は終始、聞いてない振りよ」
「ええっ、ひどい」
「産婦人科にもつき添ってくれたこともないし。不妊治療っていうのは奥様だけじゃなくてご夫婦で取り組んでいくものなんですよ、ってお医者さんから念を押されてるんだけどなあ」
 姉は一昨年から不妊治療を続けていました。通院する負担に加えて妊活でサプリを飲んだりヨガに通ったりと費用がかさんでいるので大変なのだとか。
 うちなんかはまだそのつもりがないうちから、すんなりと妊娠したのに。姉がびんでなりません。
「そろそろ妊娠適齢期を過ぎるから人工授精だけで妊娠を試みるのは諦めたほうがいいんじゃないかって、他の方法を勧められているの」
「そっか……」
「こんなことなら、もうちょっと早く妊活しとけばよかったな。自然にできると思ってたし、こう、なかなか心の準備っていうの? できなくてさ」
 姉は弱々しく笑いました。
 姉の話を聞きながら、私は遊んでいる碧依に視線をむけます。
 碧依はつぎからつぎに箱から玩具おもちやを取りだしていました。クレヨン、まほうのステッキやおままごとセットを投げだして、クマとウサギのぬいぐるみで遊びだします。
「そうなると、つぎは体外受精になるの?」
「そうそう、体外受精って一度につき四十万は掛かるんだよね。リスクもあるし」
 物憂げにほおづえをつく姉の姿が浮かんできました。苛立ちを紛らわせるようにメモをボールペンでグリグリとぬりつぶしているのが微かなノイズからうかがえます。
「ほんとうはね、これだけ続けても妊娠できないってことで旦那側の検査を勧められてるの。でも旦那は絶対にそんなはずはないって言い張ってて」
 碧依がタタッとかけ寄って「まま」と抱っこをせがんできました。こぼれんばかりの大きな眼。伸ばした髪にアクアブルーのリボンを結んでいるとよく「お姫様みたい」と声を掛けられます。私の自慢です。可愛い碧依をひざに乗せてから相づちを打ちます。
「うわぁ、やだ。それだけ自信があるんだったら、検査してくれたらいいのにねえ」
「そう、そうなのよ。でも男のプライド? みたいなのが許さないらしくてさ。こっちなんて女の意地とか、ぜんぶ、もうボロボロなのにね」
 またため息。膝で「きゃっきゃっ」とはしゃいでいる碧依の声は、姉にも聞こえていることでしょう。姉が気まずそうに話を変えました。
「でも、ほんとに変わった家だね。落ちついた頃に連絡してくれたらお祝いにいくから、ついでにその排水口みせてよ」
「いいけど、ほんとにただの排水口だよ? あ、ちなみに他の部屋にもあった」
「え、マジで全室排水口完備ってこと?」
 しばらくは笑っていたのですが、姉は最後に念を押すようにつけ加えました。
「排水口から侵入してくる害虫って割と多いから気をつけたほうがいいよ。新居でゴキブリ騒動とかイヤでしょ? ムカデとかだったら碧依ちゃんがまれたりするかも」
 碧依のぷにぷにとした張りのある足にムカデがいあがる様を想像して、ぞっとしました。私のたからもの。まもってあげないと。ぬいぐるみを振りまわす碧依を抱き締めながら「うん、そうする」と答えました。姉はうんうんと電話越しにうなずきます。
「何があがってくるか、わからないからね」


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