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試し読み

「この世に存在していないはずの本を捜して欲しい?」 最新作『ビブリア古書堂の事件手帖II ~扉子と空白の時~』を特別試し読み!#6

実在の本を手がかりに、古書と人との謎を紐解く“人が死なないミステリ”の決定版!

7月18日発売の最新作は、まるごと一冊横溝正史が題材!
日本を代表する推理作家にして、名探偵・金田一耕助の生みの親でもある横溝の“幻の一作”の謎に迫ります。
栞子と扉子が挑む、書籍としてこの世に存在していないはずの本にまつわる奇妙な謎。その冒頭部分をぜひご覧ください。

 ◆ ◆ ◆

>>前話を読む

「横溝正史と江戸川乱歩は終生の盟友であり、ライバルでもありました。一九〇二年にこうで生まれた横溝正史は、探偵小説を愛好する友人を通じて乱歩と親しくなり、招かれるまま二十四歳で上京し、娯楽雑誌『しんせいねん』の編集部で働き始めるんです」
「上京する前はなにをやってたんですか?」
「神戸の生家が経営していた薬局で働いていました。もし乱歩の勧誘がなければ、探偵小説マニアの薬剤師として一生を終えていただろう、とエッセイに書いています。乱歩が横溝の人生を変えたわけです。二人を結びつけていたのは探偵小説でしたから、それが彼らの人生を変えた、と言うべきかもしれませんが」
 その二人が有名な名探偵、明智小五郎と金田一耕助を生んだ。江戸川乱歩が横溝正史を上京させなかったら、金田一の方はこの世にいなかったかもしれないのだ。
「横溝はいつごろから金田一ものを書き始めたんです?」
「初めて金田一耕助が登場した『ほんじん殺人事件』の連載開始が一九四六年ですから、上京してから二十年後です。横溝は四十代半ばでした」
 思ったよりも年齢を重ねている。ふと、俺は疑問を抱いた。
「でも、その前から作家として活動してますよね」
 どう見ても戦前に出版された著書を市場で見かけたことがある。
「もちろんです。東京で編集者として働きながら探偵小説も発表し続けていましたが、本格推理ではなくたん的、幻想的な要素の強い『変格もの』の書き手として知られていました」
「変格……どういう作品を書いてたんですか」
「代表作の一つとされている『おに』は、血のつながった二人の画家の確執を描いた中編ですね。耽美的な描写が問題視されて、当局に一部削除を命じられてしまいました。〝顔のない死体〟のトリックに挑んだ『しんじゆろう』、そして乱歩の『いんじゆう』をパロディ化した『呪いの塔』など……他にも横溝は依頼に応じて様々なジャンルの小説を手がけていたんです」
「探偵小説以外も書いてたってことですか?」
「はい。有名なのは『にんぎようしち』シリーズをはじめとするとりものちようでしょう。探偵小説を発表する場を失った戦時中、主に捕物帳や時代小説で生計を立てていました。それに児童向けの小説も多く手がけています。どうしても金田一ものの印象が強いですけれど、それは横溝という作家の一面でしかありません。万能型のストーリーテラーで、状況に応じて多彩な作品を書きこなす高い技術と適応性を持っていたんです」
 俺はうなずきながら聞き入っていた。本格推理だけの作家ではないということだ。
 いつのまにか、栞子さんは手元のメモに目を落としている──横溝正史『雪割草』。そういえば本題はこの本のことだった。
「それで、『雪割草』はどういう内容なんですか?」
 そう尋ねた途端、彼女の表情が曇った。いきいきと楽しそうに語っていたこれまでとは様子が違う。
「……分かりません」
「どういうことですか?」
 有名な作家の本について、彼女が「分からない」と答えるのは初めてだ。読んだことのないこう本でも、内容についてはなにか知っているのに。
「『雪割草』は幻の作品なんです」
「幻の作品?」
 俺はそのまま聞き返した。
「『雪割草』という題名の作品を横溝は書いていますし、数枚の草稿も見つかっています。けれどもどこで発表されたのか、あるいは未発表作品だったのかも分かりません。長編なのか短編なのかもはっきりとは……」
「ジャンルは推理ものなんですか?」
「それも謎です。現存している草稿は男女の会話する場面だけで、全体のストーリーはよく分からないんです。とにかくわたしの知る限り、『雪割草』という作品は一度も単行本化されていません」
 沈黙が流れた。俺は頭の中で話を整理する。
「ええっと、つまり……この世に存在していないはずの本が盗まれた、それを捜して欲しいって依頼されてるんですか?」
 整理してもまったく意味が分からなかった。
「はい。そういうお話でした」
 困惑した顔で栞子さんが答える。
「なにかの勘違いじゃなくて?」
 普通に考えればそうなる。例えば別の本を盗まれたか、あるいはそもそも本など盗まれていないか。
「かもしれません。でも……」
 栞子さんが続きを口にしかけた時、ガラス戸の開く音が響いた。時計を確かめると、午後一時半を少し回ったところだった。
 グレーのビジネススーツを着たショートボブの女性が店に入ってきた。ブラウンがかった髪の色は白髪染めのせいだろう。俺の母親も似たようなものを使っている。おそらく年齢は五十歳になるかならないか。人のさそうな丸顔だが、見開かれたような大きな目には不安げな色がある。
 通路にまで積まれた古書を慎重に避けて、カウンターに近づいてくる。栞子さんが杖を支えに立ち上がった。
「いらっしゃいませ」
「わたし、昨日お電話した井浦と申します」
 丁寧に挨拶をした。依頼してきたのはこの人だ。振る舞いや口調に品がある。たぶん育ちがいいのだろう。
「わたしが、篠川です……その、お待ちしてました」
 栞子さんがたどたどしく答える。相変わらず接客は苦手な人だ。それでも、顔を上げて正面から相手と目を合わせる。
「お話を、伺います」

(このつづきは本書でお楽しみください)



三上延『ビブリア古書堂の事件手帖II ~扉子と空白の時~』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321911000211/


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