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連載

こざわたまこ「夢のいる場所」 vol.16

【連載小説】演劇祭を前にして、「アキ兎」は空中分解寸前だった。そんな中で夢は……。こざわたまこ「夢のいる場所」#5-3

こざわたまこ「夢のいる場所」

※本記事は連載小説です。

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「……じゃあ、次が最後の曲になります」
 男性はそう言って、足元に広げていた手書きの楽譜ノートをめくった。男性の目の前には投げ銭用のギターケースが置かれている。中には幾ばくかの小銭と、レシートをまるめたゴミのようなものが入っているだけだ。聴衆は私の他に、片手で数えられる程度しかいない。
 その日は朝から、中途半端な天気の空が広がっていた。今も、妙に明るくて真っ白な曇り空が辺りを覆っている。このところ何日かは晴れマークが続いていたものの、それも今週で終わりらしい。乗り換えの駅に辿たどり着き、一旦改札を出ると、梅雨特有のなまぬるい空気が体にまとわりつくのがわかった。
 萌々ちゃんはあれから、アキ兎の劇団員と座組のメンバーに対して、今回の公演を正式に降板することを発表した。薄々わかってはいたものの、今回の座組から正式に主役が抜けてしまったことになる。
 決起会のその後について、あまり進展はなかった。本当なら訴えられてもおかしくないレベルのことをしでかしてしまったのに、そういう話は聞こえてこない。演劇祭に関わっている大人達は、このこと自体をなかったことにしたいのかもしれない、と思った。もちろん、莉花も含めて。
 翔太はあれからずっと沈黙している。正直言って、このまま何もなかったかのように本番を迎えるのは、ほぼ不可能な状況にあった。様々な問題が積み上がっている中で、ただ時間だけが無為に過ぎていく。
 改札を出て駅前を少し歩くと、昼下がりにしては広場が随分にぎわっていた。駅舎から吐き出される人の群れとは別に、週ごとに店が替わる露天商や、ロータリー前のスペースを利用してダンスの練習をする若者、階段前で寄付を募っている団体なんかが点在している。
 いつもなら素通りするはずのそのエリアを横切ったのは、ただの気まぐれだった。そこは路上ミュージシャンが集まることで有名なスポットで、その日もギターやキーボードを抱えた若者が自分の城を構えて、各々の歌を行き交う人々に向かって披露している。
 その中で、どうしてかいちばん聴衆の少なかった彼の姿が目に入った。Tシャツとジーンズのラフな格好で地面に直接あぐらをかき、投げ銭用にギターケースを開けている。明るめの茶髪以外に、目立つところはない。年齢は、二十代半ばといったところだろうか。
 目の前を通りかかった時、演奏されていた曲がちょうど耳に入った。思わず、足を止めてしまった。取り立てて歌がかったわけでも、演奏に心を打たれたわけでもないのに。その曲を聴いて、何年も思い出すこともなかった人のことを、思い出したから。それから一曲、二曲と聞き続けるうちに、あっという間に最後の曲目となった。
 最後に演奏されたのは、彼のオリジナルソングだった。彼はギターのチューニングを終えると、今までの演奏とは打って変わって、激しいプレイでギターをかき鳴らし始めた。それこそ、弦が切れるんじゃないかと思うくらい。
 ラップのようなポエトリーリーディングのような、独特なリズムと歌い方。先の見えないバイト生活がどうとか今日も年下のバイトリーダーになめられたとか、アパートのガスが止められてしまったとか。そういう内容の歌詞だ。
 演奏が終わり、周りに人がいなくなったのを確認してから、思い切って片づけを始めた彼の元へと駆け寄った。
「あの」
 いぶかしげな顔をしている彼の前で、ポケットの中に用意していた千円札を手に取り、ギターケースに入れる。
「えっ」
 彼はしばらくの間、私の顔を見つめていた。途中ではっとしたように立ち上がり、直立不動の姿勢からぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございました!」
 広場どころか、駅の構内にまで聞こえるんじゃないかと思うくらい、大きな声だった。顔を上げた彼の目には、驚きを通り越して、うっすらと涙がにじんでいた。ああ、と思った。心からの、ありがとう、だ。そこには打算もなければ、何の作為もなかった。私が最後にこんな「ありがとう」を口にしたのは、いつだろう。
「……頑張ってください。これからも」
 それだけ伝えて、逃げるようにその場を後にする。いたたまれなくなったからだ。どうしてか、投げ銭をする前よりも、した後の方が後ろめたかった。彼に対して、すごく申し訳ないことをしてしまったような。人ごみをかき分け、広場を抜けて横断歩道を渡ろうとした、その時だった。
「夢!」
 唐突に名前を呼ばれて、足が止まった。まさか、と思いながらも、恐る恐る振り返る。いくつかの人の群れが、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。複数の人影に紛れて、そこに立っていたのは──。
「……翔太」
「よお」
 自ら声を掛けて来たくせに、翔太はまるで、自分の方が誰かから見つけられてしまったかのようなばつの悪そうな顔で、私を見つめていた。どれだけの時間そうしていただろう。いつまで経っても何も言えずにいる私に、翔太がぽりぽりと首の辺りを指できながら、久しぶり、と呟いた。

『あたし、今のアパート出ることにした』
 今日子からその連絡を受けたのは、昨晩のことだった。翔太と別れるってこと、と聞いてみると、今日子は少しの間を置いて、どうだろう、とそれに答えた。
『まだ、わかんないけど。なんか一緒に暮らしてても傷つけ合っちゃうだけだし、今はお互い冷静になるために距離置こう、って。今のところは、そんな感じ』
 わからない、とは言っていたけど、その口調に迷いは一切感じられなかった。今日子の中では、もう結論が出ているのだろう。
『一応、夢には報告しとこうかなって。学生の時から色々お世話になってるし』
『……そう』
 ありがとう、と言ってしまっていいのかわからず、押し黙る。
『聞いてもいいかな』
『ん?』
『こうなったのってやっぱり、その』
 演劇のせいじゃないか。ずっと、思っていた。翔太が劇団の主宰なんてやっていなければ。もしくは、大学卒業と同時にすっぱり演劇を諦めていたら。翔太は今のようにはなっていなかったんじゃないか。二人は、もっとうまくいっていたんじゃないか。すると、私の言いたいことを先回りして、違う違う、と今日子が笑いながらそれを否定した。
『翔太が劇をやってようがやってまいが、最終的にはこうなってたと思う。翔太が人の話聞かないなんて、今更だし。劇団のことだって、お酒の飲み方だってそう。ぶっちゃけて言うと、似たようなこと何回もやってんの、あいつ。馬鹿でしょ。記憶なくなるくらい飲んで人に迷惑かけたり、お店のもの壊したり。その度反省してはまたやらかしての繰り返し』
 知らなかった、と呟くと、でしょ、と今日子がそれに答えた。
『誰にも言ってないもん』
 さばさばとした口調に、私はそれ以上何も言えなくなった。
『夢、前あたしに言ってたでしょ。今日子、もっと自分の意志とかないのって』
 今日子が言っているのはおそらく、決起会の会場でのことだ。
『悔しいけど、夢の言う通りだと思った。そうなんだよね。あたし、いつだって翔太のことばっかりだったなって。翔太のために、翔太のために、翔太のためにって、それだけ考えてればいつかは自分も幸せになれると思ってた。それが、自分のやりたいことなんだって。でも、ほんとにそうだったのかな』
 だから一度、ちゃんと考えてみたいって思ったの。自分のこと、これからのこと、将来のこと。今日子はみ締めるように、そう口にした。
『だからさ、翔太が変わったんじゃなくて、あたしが変わったんだと思う。お互いの、未来予想図の不一致ってやつ』
 よくある話でしょ? そう言って、開き直ったように笑う今日子の本心がどこにあるのか、その声から推し測ることはできなかった。あの時今日子が電話の向こうで、本当に笑っていたのか、それとも泣いていたのかも。

#5-4へつづく
◎第 5 回全文は「カドブンノベル」2020年10月号でお楽しみいただけます!


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