menu
menu

連載

こざわたまこ「夢のいる場所」 vol.15

【連載小説】あの日の稽古を最後に消息不明になっていた萌々ちゃんから、夢に会いたい、と人伝いで連絡がきて――。 こざわたまこ「夢のいる場所」#5-2

こざわたまこ「夢のいる場所」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

 私の元に一件の着信があったのは、それから一週間後のことだった。
 恐る恐る電話に出ると、相手はなかさんだった。大学の同窓生でもあり、今回の公演では音響を務めるはずだった子。こうしてきちんと話すのは、初めて参加した打ち上げ以来かもしれない。戸惑う私に、田中さんがこれ他の人にはオフレコなんですけど、と声を潜めた。
ちゃんと、連絡取れました」
 あの日の稽古を最後に、消息不明となっていた萌々ちゃん。彼女の行方がわかったという。田中さんは淡々とした口調で、これまでの経緯と萌々ちゃんの近況について語った。
「なんだかんだ元気そうです。はい、直接話しました。電話で、ですけど。彼女の仲間が、間を取り持ってくれて。そうです、萌々ちゃんと一緒に稽古にも来てた」
 田中さんはそこで言葉を区切り、一息吐いてから、夢さん、萌々ちゃんと会ってみませんか、と口にした。
「……なんで、私?」
 田中さんは一瞬黙った後、再び口を開いた。用意していた台詞せりふそらんじるように。
「やっぱり、わたりさんとは顔を合わせづらいみたいで。稽古もああいう感じだったから、劇団員の人とは顔を合わせたくないって、そう言ってたみたいなんですけど。それで、夢さんならその辺、距離感もちょうどいいかなって」
「なら、今日子とかの方がいいんじゃないかな。私はしよせん、ただの客演だし」
「ただのって、そんな」
「ごめんね。でも、ほんとのことだし。それに、正直ちょっと荷が重いっていうか」
 私、アキうさの劇団員でも何でもないから。その瞬間、電話越しにもかかわらず、相手の気色ばんだような空気が伝わってきた。でも私、と田中さんがさらに食い下がる。
「さすがにこのままはよくないんじゃないかって」
「うん、それはわかってるけど……」
「それで萌々ちゃんに、じゃあ誰なら会えるかって聞いてみたら、夢さんの名前が出て」
「……萌々ちゃんが?」
 意外だった。役同士の関わりはあっても、プライベートでそこまで仲良くなったような記憶はない。私の反応をどう受け止めたのか、そうなんですよ、とちょっとうれしそうな声で田中さんが続けた。
「なんか、どうしても伝えたいことがあるって。夢さん、お願いします。一回だけ、萌々ちゃんに会ってもらえませんか。私も同席するんで」
 有無を言わさぬ口調に押し切られるようにして、私は結局、その提案を受け入れることになった。

「正直、キツかったです」
 萌々ちゃんがぽつりと呟いたのは、コーヒーショップに入り、席に着いてすぐのことだった。窓際の四人掛けの席で、私の向かいには萌々ちゃんが、その隣には田中さんが座っている。少し遅れて、おのおのが注文した飲み物が届いた。
「稽古場の雰囲気とか。あれって、ふつうにモラハラじゃないですか」
 いかにも学生らしい、あどけなさの残る顔立ちからふいに飛び出した、モラハラ、という言葉が妙に生々しく店内に響いた。
「え、だってそうですよね?」
 勢い込むように、萌々ちゃんが続けた。正しさはこちらにあるんだ、とでも言いたげな、自信たっぷりの顔で。
「渡さんは大学のOBで、年齢だってすごく離れてて。どう考えたって、権力持ってるのはそっちじゃないですか。こっちが言い返したりとか、意見言ったりとかしにくいって、誰が見たってわかることだし。後輩だから、年下だから、同じ座組の仲間だから、そういうのを言えなかっただけで」
 萌々ちゃんは一息にそこまで言うと、届いたばかりのアイスカフェラテをすべて飲み干してしまった。余程のどが渇いていたらしい。
「そういうの、時代に合ってないなーって。ほんとはずっと、そう思ってました。夢さんも、そう思いませんか?」
「……どうだろう」
 思うような反応が返ってこなかったためか、萌々ちゃんは顔に浮かんだ不満を隠しもせずに、ほとんど水と氷だけになったグラスを諦め悪く、ずず、とすすった。
「演出にしたって、さあ俺の頭の中を読み取ってみろ、それが役者の仕事だ、とかそんなことばっかり言って。なんでしたっけ、雲の形が気に入らないとかで撮影止めた映画監督。渡さんってああいうの、さすが巨匠、とか言って憧れちゃうタイプでしょ?」
 萌々ちゃんの主張に耳を傾けながら、私はなぜか、決起会でうわ言のように俺は悪くない、絶対悪くない、とそればかり繰り返していた翔太の顔を思い出していた。
「ああいうのって、その人が世界的に有名だから、一流だから、伝説だから、ギリギリ成り立ってたことじゃないですか。そういうことを許されるレベルでいい作品作ってきた人が、時代の力を借りて許されてきた、っていう。それだけのことじゃないですか。ていうか、本当は許されてなんかいなかったと思うし。あんなの、今の時代にやったらブラックな職場以外の何物でもない、ですよね」
 再会後すぐの打ち上げで、上司が仕事をしないと目を赤くしながらくだを巻いていた、翔太のことを思い出した。
「才能があるから許される、自体アウトなこの時代に、才能があるんだかないんだかわかんない人間のそういうふるまいが、許されるわけないじゃないですか。私達って、そういうのなしでいい作品を作らなきゃいけないところまできてるのに」
 急に掛かってきた会社からの電話に顔をこわらせながら、申し訳なさそうに稽古場を出ていく翔太の背中を思い出していた。
「結局渡さんが稽古場でやってきたことって、渡さんの思う、渡さんがなりたかった〝理想の演出家〟の再現でしかないんですよね。それって、渡さんの言う〝ひよう型の役者〟と何が違うんだろう、って。何一つ、渡さんから生み出されたものなんてないじゃないですか。稽古中に怒鳴るとか、灰皿投げつけるとか? 全部どっかで聞いたような、借り物のエピソードばっかり」
 十年前、学生食堂で一緒に演劇をやろうと手を差し出してくれた翔太の笑顔が、まるで昨日のことのように思い起こされた。どうして今更、こんなことを思い出しているんだろう。
「──渡さんって、サラリーマンがこの世でいちばん偉いとか思ってそう」
「え」
 萌々ちゃんの顔を見返すと、だってそうですよね、とこちらに身を乗り出した。
「俺みたいに我慢してる人間がいちばん偉いんだって、そう思い込もうとしてる感じ? 汗水たらして働いて、文句言わずに税金払って社会に貢献してる、そういう人間だけが報われるべきだと思ってる。だから馬鹿にしてるんですよね、私みたいな人間のこと。いい年して夢を追ってる人間は、わがままで身勝手で努力のできない、甘ったれた人間だから。私みたいな、大学通いながら声優目指して、実家暮らしで親のスネかじって、楽しそうに夢を追ってる人間が、ムカついて仕方なかったんですよね」
 萌々ちゃんのひとつひとつ断定していくような話しぶりに、私が口を挟む余裕はなかった。
「あんなやつらとは違って、俺こんなに頑張ってるんだって。なんか、それアピールするためだけに演劇やってるみたい。それってほんとは、演劇じゃなくてもいいんじゃないですか」
「違う、と思う」
 想定していたよりも、ずっと大きな声が出た。今度は萌々ちゃんが、え、と聞き返す番だった。
「うまく言えないけど。翔太が演劇を好きな気持ちは、本当だと思う」
「……渡さんが、演劇を好き?」
「そうだよ。じゃなきゃ、続けられないじゃない。もちろん、夢のために全部を捨てるってのも、すごいことだと思うけど。何一つ捨てられないまま好きなことを続けるって、そんなに簡単なことじゃないよ。毎日八時間、もしかしたらそれ以上の時間、理不尽な思いしながら働いて。へとへとになって帰ってきて、休日も全部潰して。上司とか部下とか、思うようにいかない現実とか。そういうものの板挟みになりながら、それでも演劇がしたいって。あがいて、あがいて、でも答えなんて出なくて。……それって、そんなにおかしいことなのかな」
 そう言って顔を上げると、萌々ちゃんが、どこか冷めたような表情で私を見つめていた。そんなの、ふつうですよ。
「趣味か仕事か、なんて究極の選択みたいに言いますけど。私達だって迫られてますよ、毎日。そういうもんじゃないですか、好きなことをして生きていくって。いつだって、誰だって、選ばなかった方の未来から脅され続けて生きていくんですよ。それを、夢を選ばなかった側の特権みたいに言わないで欲しい」
「……特権なんて、そんな」
「大体渡さん、ふつうに就職できてるじゃないですか。第二志望だろうが、第三志望だろうが。安定した職業について、安定した給料もらって、演劇っていう趣味まであって。それってすごく恵まれたことだと思いません? すっごい充実してるじゃないですか、人生。それの、何がそんなに不満なんですか?」
「……それは」
 それは、そうなのかもしれない。翔太は、私達は、恵まれているのかもしれない。でも。
「私はずっと、渡さんが怖かったです」
 萌々ちゃんがそう言って、多分その日初めて、私の顔を正面から見据えた。
「私には、渡さんがずっと、演劇を使って誰かにふくしゆうしてるみたいに見えたから」
 黙っていると、萌々ちゃんがそれって肯定してるのと一緒ですよ、と言って、呆れたように笑った。
「夢さん、随分必死に渡さんのことかばうんですね。同期で、友達で、元劇団仲間、だからなのかもしれないですけど。やっぱり演出家と主演女優のコンビって、特別なきずなみたいなのがあるんですか? 夢さんってもしかして、ほんとは渡さんのこと──」
 がちゃん。
 突如辺りに響いた金属音に、周囲の人間が、何事だ、という顔でこちらを振り返る。
「夢さん?」
 田中さんが、驚いたように顔を上げた。未使用のナイフやフォークが、カトラリーケースごとテーブルから落ちて、床に散らばってしまっていた。すぐに店員が近づいてきて、こちらどうぞ、と新しいケースに交換していく。ついでにお冷やまで注いでくれた。静まり返っていた店内にさっきまでの心地よいざわめきが戻って来た。
「……あ、ごめ」
 しどろもどろになりながら、お冷やを一口だけ口にする。すると、黙って私の様子を見ていた萌々ちゃんが、こらえ切れなかったように顔をゆがませ、ぷっと噴き出した。
「何がおかしいの」
「夢さん、てんぱり過ぎ」
「だって、萌々ちゃんがおかしなこと……。違うの。私と翔太は、そんなんじゃなくて」
 そうだ。私達はそういう関係じゃない。学生の時も、今も。これからもずっと。だって、翔太には──。
「冗談ですよ」
 萌々ちゃんはあっさり引き下がり、わかりますよ、と続けた。
「ていうか、最初からわかってましたよ。渡さんと夢さん。この二人は、全然そんなんじゃないって」
 萌々ちゃんは、なんでしたっけあの人の名前、と首をかしげた。
「今日子さん? 渡さんの恋人の。あの人、演劇とか役者とか、そういうの全然詳しくない人ですもんね。それ聞いて、私、ぴんときたんです。あ、渡さん、だからこの人を好きになったんだなって。あの人、そういう人じゃないですか。自分の得意分野でマウントが取れるような相手じゃないと、恋愛もできないような人」
 そんな人が、夢さんを好きになるはずないですよね。そう言って、萌々ちゃんがくすくすと笑う。だって夢さんは、渡さんの上位互換だから。
「夢さんは夢さんで、渡さんが最初に自分のことを選んでくれた人だから、見捨てられないんですよね。自分のことを選んでくれた人って、尊いですよね。信じたいですよね。庇いたいですよね。それって、すごくわかるけど。わかりますけど、やっぱり恋愛とかじゃないと思う」
 かしましい笑い声とともに、入り口の自動ドアが開く。子ども連れの、ママ友らしきグループが店に入って来た。それを横目に自分のストローをくわえようとした萌々ちゃんが、グラスの中身がすでに空になっていることに気づいて、放り出すようにストローから唇を離した。
「……それが言いたくて、私を呼んだの?」
 すると萌々ちゃんは、違います、とあっさり首を振った。
「今日ここに来てもらったのは、夢さんから伝えて欲しくて」
「私から?」
「これ以上、うちのサークルに関わるのやめてもらっていいですか」
「萌々ちゃん!」
 それまで沈黙を貫いていた田中さんが、初めて声を荒らげた。でも萌々ちゃんは、それを聞いてもまったくたじろがなかった。
「演劇おばけ」
「……え?」
「渡さんのあだ名です。意味、わかります? 地縛霊、ってこと」
 萌々ちゃんはそう言って、口元に皮肉めいた笑みを浮かべた。
「毎年学園祭の時期になると公演に来て、呼ばれてもないのに打ち上げ参加して。偉そうに私達の舞台を批評してくるんです。あそこがつまらなかったとか、お前らあんまり劇観てないだろとか。最終的には、俺の劇出ないか、いい経験になると思うから、って。断りにくいじゃないですか、OBの人からそんなこと言われたら。私ずっと、後輩達から相談されてて。なら今回は、私が代わりに出るからって。でもさすがにこれっきりにして欲しいです、今回みたいなこと」
 萌々ちゃんはそれだけ言うと、自分の分のお冷やを飲み干し、お釣りはいらないです、と千円札を置いて席を立った。二人だけになったテーブルに、重苦しい沈黙が流れる。
「……田中さん。もしかして、知ってた?」
 その声に、田中さんがびくりと肩を強張らせた。田中さんはしばらく黙秘を続けていたものの、私と目が合うと、観念したように小さくうなずいた。ふとテーブルの上に視線を向けると、私が注文したストレートティーは半分以上がまだ残ったままだった。手を伸ばしてグラスに指が触れようとしたちょうどその時、中の氷が溶けて、からりと崩れた。

#5-3へつづく
◎第 5 回全文は「カドブンノベル」2020年10月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年10月号

「カドブンノベル」2020年10月号


MAGAZINES

カドブンノベル

最新号
2020年11月号

10月10日 配信

怪と幽

最新号
Vol.005

8月31日 発売

小説 野性時代

第204号
2020年11月号

10月12日 発売

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP