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連載

月村了衛「白日」 vol.3

上司の息子の死。単なる事故ではない、という噂がまわり……。第10回山田風太郎賞受賞の著者、最新作!「白日」#1-3

月村了衛「白日」

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   2

 翌日、秋吉は自席でパソコンのディスプレイをにらみ、スケジュールの調整に専念した。
 多岐にわたる関係各所へ足を運び、プロジェクトの一時中止に関する説明を行なわねばならない。詳しい事情をこちらが把握していない段階で一方的に中止を伝えるのは、ビジネスとしてあり得ないと言ってよく、心苦しい限りであった。だがそれでもやらねばならない。後になればなるほど、取引先の不信感を招くだけであるのも事実だからだ。
 昨日の段階で、失礼とは思いながらメールや電話による連絡はできるかぎり済ませてあった。それでも実際に相手先に伺う必要がある。そのためのスケジュール調整なのだが、なにしろ数が多いばかりでなく、先方も多忙なので、どうしても都合がつかない相手が出てくる。まるで難易度の高いパズルでも解いているような気分になり、秋吉は朝から何度も舌打ちばかりしていた。
〈一時的〉と告げられた中止期間は、一体いつまで続くのだろうか。それすら分からないという現状が、どうにもがゆくてたまらない。
 キーボードを叩いていた手を止めて、秋吉は引き出しから資料の束を取り出した。梶原局長の指揮の下、これまで自分が身を削る思いでまとめあげたものだ。
『黄道学園』とは、来年四月開校を目指して千日出版と天能ゼミナールが準備を進めてきた通信制高校である。
 他校とは決定的に異なるこのプロジェクトの最大の特徴は、最新のITを駆使して[引きこもり・不登校対策]を前面に打ち出した点にある。
 一言で言うと、〈ネット上に在る学校〉か。
 入学した生徒は新開発のインタラクティブ・VR・システムを装着して自室のパソコンに向かうだけでいい。SNSに参加するような気安さで〈学校〉にアクセス可能となる。つまり生徒は自宅にいながらにして、天能ゼミナールの誇る一流講師陣の授業を、まるで教室にいるかのような感覚で受けられるのだ。
 そのために千日出版は、IT企業の雄『ジュピタック』と提携し、綿密なミーティングを進めてきた。ジュピタックの技術力があればこそ、黄道学園プロジェクトは初めて軌道に乗ったと言っていい。
 さまざまな事情から引きこもりとなってしまった生徒を教育の場へ復帰させるにはどうすればいいのか。その難題解決に対する試みの一つが、黄道学園プロジェクトなのだ。
 もちろん、リアル校舎である『本校』を設け、入学式、卒業式、体育祭、文化祭などのイベントも実際に挙行する。参加はあくまでも本人の意思で、ネットでも同時配信するから問題はない。コンセプトは[ネットのオフ会の延長]だ。
 学校法人を設立して運営するため、授業料での収益はあまり見込めないが、関連する教材や機器の売り上げ、使用料で関係各社が回収するというビジネスモデルである。何より、千日出版にとってもジュピタックにとっても、教育関連事業で実績を挙げることによって企業イメージの大幅アップが期待される。
 自ら作成した資料を読み返しながら、秋吉は三年前のことをまざまざと思い浮かべる。
 我が子が不登校となる。それは親にとって、想像もしなかった──そして想像もしたくない状況である。そんな危機に直面した家庭にとって、黄道学園のような場があれば、どれほどの救いとなることか。秋吉は切実な思いを胸に抱いてこの仕事に取り組んできたのだ。
 それはまた、秋吉自身の救いにもつながった。いじめや不登校という問題。それを根絶しようと努力するどころか、自ら助長し、発覚すると隠蔽してやり過ごそうとする教育現場。そうした現実に、自分がに傷ついていたのか。改めて思い知らされたようだった。
 だからこそ、秋吉にとってこのプロジェクトは〈特別〉であったのだ。
 梶原局長は、黄道学園に懸ける自分の気持ちを真に理解してくれていた──
 だが[ネットを利用した通信制高校]というだけでは、似たようなアプローチを取っている先行他社と競合することはできない。そのため、天能ゼミナールと合併するという案が浮上し、社長の決断を経て採用されたのだ。
 黄道学園のもう一つのポイントは、まさにその点にある。
 すなわち、[東大をはじめとする一流大学への進学を可能とする]学力のかんようだ。
 通信制高校というと、教育の機会を奪われた生徒への救済措置のようなイメージが世間ではまだまだ強い。意識的か無意識的かを問わず、生徒にも保護者にも抵抗感があるだろう。そうした従来のイメージを覆し、生徒の可能性をどこまでも広げるため、受験のエキスパートとして知られる天能ゼミナールの有名講師陣が個別に徹底指導する。
 実際にこのプランが公表されたときには、受験業界が騒然となったものだ。
 入塾テストの段階で並の大学よりも厳しいと言われる天能ゼミナールの講師が指導してくれるという事実。それは、[第一期生から東大合格者を出す]という目標を掲げた黄道学園の信頼性を、大いに担保するものとなったのだ。
 そうだ、すでに公表済みのこのプロジェクトを、ここで消滅させてなるものか──
「課長」
 不意に声がした。顔を上げると、デスクの前に亜寿香が立っていた。
「よろしいですか」
「ああ、頼む」
 頷くと、亜寿香は心持ち身を乗り出すようにして小声で報告した。
「噂が急速に広まっているようです」
「どんな噂だ」
「局長の息子さん、事故ではなくて自殺じゃないかって」
「ちょっと待て」
 亜寿香を制止し、室内の様子を確認する。
 沢本は大テーブルで数人の部下を相手にコミック学参シリーズについて説明している。他の者達はそれぞれ自席で仕事に没頭しているようだが、その実、密かに聞き耳を立てていないとは断言できない。
「別室で話そう」
「はい」
 亜寿香を連れてフロアを出た秋吉は、エレベーターホールに向かい、折よく到着したエレベーターに乗り込んで九階のボタンを押した。同階には、社員食堂とカフェテリアがある。
 カフェテリアの方に入った秋吉は、機械的にコーヒーを二人分注文する。コーヒーの盆を持って隅のテーブルに陣取り、亜寿香に向き直った。
「で、どういうことなんだ」
「昨日第一報が入ったとき、総務課に居合わせたという社員を突き止めました。コミック編集部のあおさんだそうです」
 初めて聞く名前だった。しかし千日出版は業界でも屈指の規模を誇る。離れ小島とも言うべき教育事業局にいる秋吉が知らない社員は無数にいた。
「コミック学参シリーズを大々的に動かしたいので、漫画家を紹介してほしいと言って話を訊きに行きました。それとなく誘導すると、すぐに乗ってきて、いろいろ話してくれました。要するに、総務課が梶原局長の件で大騒ぎしているとき内線電話が入って、受けた人が『えっ、自殺?』とか声を上げていたと」
「内線? 誰から」
「そこまでは分かりません」
「それを目撃した青井が噂の出所というわけだな」
「ええ。すぐに上司から口止めされたそうですが、一度広まると、もう……」
「本当なのか、自殺ってのは」
「総務に同期の友人がいるので、単刀直入に訊いてみました。すると、総務でも事実関係は把握しておらず、どう対処していいか困っているということでした」
 秋吉は目の前のコーヒーに視線を落とす。胃の具合がかんばしくなく、カップを取り上げる気にもなれなかった。
「局長のご自宅には、確か昨日、倉田常務が行かれたはずですよね。常務はなんと?」
 逆に亜寿香から質問された。
「今朝小此木部長にも確かめたんだが、どうにも要領を得なかった」
 そう答えると、亜寿香は「ああ……」という顔で頷いた。何事もあいまいにして自らの立場を鮮明にしない。それが最良の処世術であると小此木は信じ込んでいる。少なくとも、第一課の課員達は小此木をそういう人物であると認識している。
「分かるような気がします。部長が明言を避けたのも」
 カップを取り上げて、亜寿香が意味ありげにつぶやいた。
 時に応じて切れ者らしくふるまってみせる。それが亜寿香の得意技であり、秋吉が自らの補佐である彼女を全面的に信頼しきれぬ理由であった。
 だが今は、秋吉も亜寿香とまったく同じことを考えていた。
「梶原さんは新会社の代表としても、プロジェクトの顔としても、これからもっともっと前面に出てもらわなくちゃならない。幹夫君が自殺だとすると、梶原さんにとっては辛いなんてもんじゃない。プロジェクトへのモチベーションを完全に喪失したとしてもおかしくはないと思う。一方で、会社にとってはどうだろう」
 亜寿香の意見を聞くつもりで振ってみたのだが、それには答えず、彼女はただじっとこちらの発言を待っている。
 自らの責任となりそうなことは絶対に口にしない。それが彼女の慎重さであり、こうかつさであった。
 秋吉は心の中でいまいましく思いながら自分で続ける。
「理想を掲げた黄道学園の顔となるリーダーの息子が自殺した……となると、会社としてはかなり困ったことになるだろう。夏休み明けには生徒募集を兼ねた説明会やイベントがいくつも企画されてる。引きこもりや不登校対策に悩んでいる親御さんから、『ここなら任せられる』と信頼してもらうことが必要な時期なんだ。ここでその信頼を損なうようなことになったら、プロジェクトそのものの成否に関わる」
「だから会社は事故ということにしておきたい、とおっしゃっているのですか」
「推測だよ。証拠はない」
 そう答えてから、自らの考えをこちらに言わせる亜寿香の話法に腹が立った。
「プロジェクトが失敗したら、困るのは君だって同じはずじゃないか」
 亜寿香は何も答えない。
 秋吉はついかんしやくを起こしてしまった自分自身に、どうしようもないいらちを覚えた。
「俺が言いたいのは、事故であろうと、自殺であろうと、幹夫君は帰ってこないし、梶原さんの悲しみに変わりはないということだ。そこに会社の都合を持ち込むべきじゃない」
「なんだか矛盾してませんか」
 コーヒーを一口含み、亜寿香が冷静に告げる。
「何が」
「プロジェクトが失敗したら困ると言いながら、会社の都合を持ち込むべきじゃないと言う。一体どう解釈すればいいのでしょう」
 あくまで「上司の指示を待つ部下」を装っている。
 腹立たしいが、冷静な分だけ理は亜寿香の方にあった。
 秋吉は視線を落として自分のカップをのぞき込んだ。どす黒い液体に対し、やはり胃が摂取を拒否している。
「俺は直接倉田常務に当たってみる。君は引き続き社内で情報を集めてくれ。それと、この件に対して、一課のみんながどう感じているか、さりげなく様子を見てほしい。いいか、あくまでさりげなくだ」
「分かりました」
「頼んだぞ」
 コーヒーを飲んでいる亜寿香を残し、立ち上がってきびすを返す。
「課長」
 背後から呼びかけられて振り返る。
「なんだ」
「コーヒーごちそうさまです」
 何も答えずカフェテリアを後にした。

#1-4へつづく
◎第 1 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


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