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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.32

【連載第32回】東田直樹の絆創膏日記「父の日、ありがとう」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす25歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第31回】「アジサイの笑い声」

 マンガやテレビでは、必ずヒーローやヒロインが登場する。さまざまな困難を乗り越え、最後には、みんなが憧れるような主人公だ。
 普通に生活をしていても、人それぞれ毎日いろいろなことがある。喜怒哀楽、何かしらの感情が沸き起こる。ふとしたはずみで、思いがけず涙がこぼれたり、カッとなってしまったりして、自分を見失うこともあるだろう。
 僕は、そんな人を見ると、つい目が離せなくなってしまう。
 どのような理由で感情のコントロールが出来なくなってしまったのかを知りたいわけではない。いつもと違うその人の態度に関心が向くのだ。
 大抵はすぐに、我に返ったような様子がうかがえる。
 今まで我慢して来たであろう感情のたがが外れる時間は、それほど長くはない。その人自身も、しまったと思っているように見受けられる。
 けれど、すぐに元の自分に戻るのは難しい。泣き出したなら泣き続け、怒り出したなら怒り続ける。感情のまま流されている風にする他ないのかもしれない。
 まさに、ヒーローやヒロインが辛い立ち場に置かれているがごとく演じているのだ。
 感情のコントロールがきかなくなることは、誰にでもあるだろう。ただし、多くは一瞬のことではないのか。あとは、元の自分に戻るための筋書きを考えなければいけない。
 引っ込みがつかないせいだろう。こんな自分を見られたくないと思う時、人は自分でも意識せずに自分を演じてしまう。少しの違和感を覚えながら、どこかで見たシーンを頭の隅に思い浮かべ、自分に戻るまでの時間を計算する。

 小さい頃は、雨の日に、よくカッパを着ていた。濡れてもいい洋服があるなんて、何だか面白い。
 僕はカッパを着ると、自分がどこか別の星から来た宇宙飛行士のような気分になった。
「ここは、どこだ」
 周りを見渡そうとしても、カッパのせいで首と体が一緒について来る。ロボットみたいな動作になる。カッパを着ている友達も動きにくそうに、上半身をぎこぎこと傾けながら歩いている。
 僕は思わず笑い出す。カッパを着ていたら、誰が誰だかわからない。
 みんなはどうやって区別をしているのかな。
 どの子も頭のてっぺんから膝の高さまで、体のほとんどをカッパで覆われ、顔の部分だけ丸くのぞいている。眉毛と目と鼻と口が見えるだけだ。
 雨の中でも子どもは元気いっぱいである。学校からの帰り道、バシャ、バシャと音を立てながら早足で歩く。
「ねえ、ねえ、これ見て」「おー、すごい」
 あちら、こちらで歓声が上がるたび、子どもたちの輪ができる。
 誰かがカタツムリを見つけた。その子は、殻の部分をつまみ、友達ひとりひとりの目の前でカタツムリをひけらかす。他の子は、うらやましそうに眺めているが、決して横取りはしない。みんなは次々に賞賛の言葉を口にする。
 子どもは純粋だ。友達の成果をきちんと認めてあげられる。
 この星に新発見はないのか、子どもたちは、目を輝かせながら探検を続けた。
 チャンスは平等に訪れる。
 みんなが英雄になれた日、地球は、どんな星に生まれ変わっているのだろう。

 コミュニケーションとは、互いに意思や感情、素行を伝達し合うことである。
 では「コミュニケーション不足」とは、どういう状態を指すのだろうか。自分の気持ちをきちんと伝えられなかったり、相手の気持ちをわかってあげられなかったりすることだと考えている人も多い。
「不足」の反対語は「十分」である。十分なコミュニケーションが取れていれば、コミュニケーション不足にはならなかったと言いたいのかもしれない。
 果たしてそうだろうか。
 十分にコミュニケーションが取れている状態、それがどのようなものなのか、僕には想像できない。
 なぜなら、コミュニケーションには、「限り」がないからである。
 人との会話を例にあげても、これくらい話せば十分だと満足することはほとんどなく、相手にわかってもらえただろうか、もっと話した方がよかったのではないかなど、不安や心配を抱えてしまうのが普通だと思う。
 自分の気持ちさえそうなのだ。相手がどのように感じているかなど、把握できるはずがないのである。
 そのように考えるなら、コミュニケーション不足は、物事が上手くいかないことの言い訳にはならないだろう。
 よい結果が出せた場合の考察のひとつとして、コミュニケーションが十分に取れていたことがあげられても、コミュニケーションが不足したせいで悪い結果になったとは言い切れない。
 コミュニケーションは、上手く出来て当たり前のものではないからである。
 自分の気持ちを相手に伝えること以上に、相手の気持ちを受け止めることは難しい。
 相手に自分の気持ちを受け止めてもらおうとしたとたん、お互いの心に摩擦は生まれるのだ。

「父の日」に家族でポロシャツをプレゼントした。父は、にこにこと、うれしそうだった。
 両親は、今年で結婚30周年を迎える。これまで苦労もたくさんあっただろう。
 家族ひとりひとりの年齢の変化に伴い、家庭の状況も少しずつ変化していく。
 家族で積み重ねた日々が、僕に多大な影響を与えたのは間違いない。
 小さい頃から、家は僕にとって一番安心できる場所だった。外でどんなに嫌なことがあっても、家に帰れば、ほっとした。
 母は、明るく穏やかな人である。人が考えつかないような面白いことを思いつくので、一緒にいると、たいくつしない。僕が人間の思考に興味を持つようになったのは、母のおかげだと思う。
 父は、理系タイプの人間だ。いつも論理的に物事を考える。何事も、すぐに信じてはいけないことや、社会の裏側のことまで、学校では教えてくれない話を聞かせてくれる。
 両親は家庭の中で、僕を特別扱いすることはなかった。勉強もお手伝いもした。悪いことをしたら叱られた。僕は、家の中で自分が障害者だと感じたことはない。
 家族の一員であることが当たり前で、過ごした時間がかけがえのない幸せなものだったと気づいた時、「愛」という言葉や「感謝」という言葉の本当の意味を知った。
「父の日、ありがとう」そして「結婚30周年、おめでとうございます」。


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