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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.29

【連載第29回】東田直樹の絆創膏日記「舞台の上の人間模様」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす25歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第28回】風が吹いても逆らわない」

 自分では正論だと思っていることも、状況によっては、想像以上の批判を受けることがある。それでも、プライドを守ることが何より大事だという人がいるが、全てを失ってまで守らなければいけないプライドとは何だろう。
 そこまでして、自分の意思を貫く姿勢は果たして正しいと言えるのかどうか、疑問を抱かざるを得ない。
 プライドとは、言い換えれば自尊心のことである。自分の人格を大切にするという意味だが、それが過ぎると、思い上がりやうぬぼれだと捉えられてしまうこともある。
 非難を受け、初めて自分の判断は間違っていたかもしれないと後悔する。後悔するが後戻りが出来ない。後戻りするためには、間違いを認めるだけでなく、プライドを捨てなければならないからであろう。
 でも、プライドだけは捨てられない。プライドは、人が死ぬ間際まで手放せない最も重要な思いだからだ。
 自分を大事にし過ぎて窮地に陥る。他人のプライドの高さには敏感だが、自分のプライドがどの程度のものなのか確かめる機会は少ない。
 自分のプライドが高いのか低いのか自覚している人は、あまりいないような気がする。
 プライドが低い方が生きやすいのは確かだろう。
 自尊心がなければ人は生きられないのに、皮肉なものである。

 僕の見ている現実の世界は、どこかテレビの中の出来事みたいな感覚だ。
 僕は自分の身体を壊れたロボットのようだと表現しているが、自分の身体もうまくコントロール出来ない人間にとって、目の前で起きている世界もテレビの中の世界も、それほど変わりはない。自分は、その場にいる登場人物ではなく、いつも観客席にいる人間なのである。
 どの人も手の届かない画面の向こう側にいる世界の人に感じてしまう。
 テレビに出演している芸能人が視聴者に話しかけても、家で見ている人は返事をしないのと同じだ。僕は周りにいる人に声をかけられても、自分に話しかけられているとは認識できない。
 音は聞こえているが、鳥のさえずりや洗濯機が回る音、車の騒音などと何ら変わりはないのである。
 例えていうと、人に何かを指示された時の僕の行動は、舞台を見るために観客席に座っていたのに、突然演技をしてくれないかと演出家から頼まれ、どうしたらいいのかわからないという状況に似ている。
 まさかの展開に、舞台の上に立っている自分を楽しむ余裕もない。周りに演技指導されながら、操り人形のようにあたふたと動いている。みんなに笑われ、繰り返し注意され、こんなことも出来ないと落ち込む。そして、出番が終われば客席に戻る。客席に戻った後は、自分のへたな演技のことは一旦忘れ、目の前で繰り広げられる人間模様を眺めながら、次の出番まで、はらはらしたり、ほくそ笑んだりしているのである。

 隣の市では夕方6時になると、音楽つきのチャイムが鳴り響く。街中に流れるメロディを聴きながら、僕の胸は熱くなる。
 子どもたちは、このチャイムが鳴ると同時に、急ぎ家路に着くのだろう。
 道を駆け走る小さな後ろ姿。チャイムが鳴り終わる前に、自宅の玄関を開けることが目標に違いない。
 夜は恐ろしい。この世界が暗闇に塗りつぶされる前に、子どもたちは明るい場所に逃げなければならない。
 子どもとは、小さなお日様なのだ。温かくやさしい。いつも輝いていて、元気に満ち溢れている。
 子どもに闇は似合わない。嘘やかけひき、裏切りや憎しみが、そこには渦巻いているからだ。
 子どもは、闇につかまらないように暗くなる前に家に帰らなければならない。
 家には、今日あったことを聞いてくれるお父さん、お母さんや美味しい夕食が待っている。お腹いっぱいご飯を食べた後は、何から喋ろう。話したいことは山ほどあったのに、家族の笑顔を見ていると、それもどうでもよくなるのが不思議だ。お布団に入ると、あっという間に眠ってしまう。
 そんな毎日が、全ての子どもに与えられますように。この願いが届くことを祈り、メロディの歌詞を口ずさむ僕。
 タッタッタッ……
 ひとりの子どもが道の向こうから走って来た。僕とその子の目と目が合った瞬間、記憶の中にいる小さかった僕が、家に帰るために全速力で駆け出した。

 小高い丘の上から地上を見下ろした時、鳥になったみたいな気分になることがある。とても楽しい。わくわくするというより、るんるんな気分に近い。
 ここから飛び降りても空中を歩いて移動できるのではないかと勘違いしてしまう気分になれる。
 眼下に広がった世界には、花畑や森も見える。美しいという他、言葉にならない。
 自分の悩みなんて小さ過ぎる。世界は、これほどきれいで平和なのだから、そう思わずにはいられない。
 心が解放された気分になるのは、見ている世界が静寂に包まれ、悠然としているからではないだろうか。
 何億年も前から自然はこの世に存在している。人間なら、この感動を言葉にしなくても、互いの目を見て頷き合うだけで、気持ちを共有できる。
 日常とはかけ離れた光景に心がときめく。そんな自分が嫌いな人などいるのだろうか。
 心弾む時、胸には少しの痛みと幸福感が広がる。この痛みは何だろう。
 僕がこの世に存在している申し訳なさなのか、自分だけが現実から逃避している罪悪感なのか、わからない。
 ここに生きている。今僕は生きている。幸せとは、生きている喜びに包まれること、こんな当たり前のことに気づくひと時があることに、僕は感謝しなければならない。


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