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武士が護るべきは、主君か、家族か。胸に迫る医療時代小説!――青山文平『父がしたこと』レビュー【評者:宇田川拓也】

青山文平『父がしたこと』レビュー

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人間と医療を深く鮮やかに描き、そして「正しさ」を問う逸品

書評:宇田川拓也

 歓びが身体に走った。
 青山文平の新作に目を通すことは、いつでも歓びではあるのだが、『父がしたこと』を読み始めて覚えたそれは、さらに一段上になる。
 二〇二三年三月に刊行された『本売る日々』(文藝春秋)は、文政の世で物之本(学術書)を扱う本屋を営みつつ、いずれ本の刊行にも取り組んで、自身の店を「書林」にすることを夢見ている〈私〉を主人公にした連作集。その収録作のひとつ「初めての開板」は、喘病の気がある姪っ子を診察している町医者の評判が、まるでひとが入れ替わったように良くなった理由に迫る内容だった。そこで語られる、医療に携わる者の心得、医書が果たす役割とあるべき用いられ方はじつに興味深く、あわせて登場人物たちの筋の通った清廉な人格に気持ちのよさを覚えた。
 青山文平の筆による、こうした「医療時代小説」というべき話をもっと読んでみたい。そのときに湧き上がった願いが、まさに『父がしたこと』で叶えられたからである。
 物語の舞台は、天保の改革が進められ、蘭学を取り入れる動きと反対勢力がせめぎ合う時代の、とある藩。目付の永井重彰は、御城で小納戸頭取を勤める父の元重から「口外無用」の相談を受ける。手術に踏み切るしかないほど悪化した御藩主の病気の治療を、藩医ではなく、麻沸湯による全身麻酔を使った華岡流外科の名医として知られる在村医――向坂清庵に託す考えだという。向坂は、生まれて間もなかった重彰の愛息の命を救ってくれた恩人でもあった。抜擢にともなう政治的な面倒事のみならず、この手術に万が一のことがあった場合、向坂の立場は極めて危うくなる。元重は秘密裏に事を進めるだけでなく、結果の次第にかかわらず向坂を守り抜く難しい計画を、重彰とのふたりで成し遂げようというのだ。
 青山作品の特徴である研ぎ澄まされた文章で綴られる、重彰の目から見た御藩主からの信頼も厚い父の人間像、向坂の「医師かくあるべし」という信念と卓越した腕、詳細な手術に至るまでの流れは、人間と医療の両方を深く鮮やかに描き出し、一字でも読み落とすのが惜しいほど目を強く惹きつけて放さない。
 なるほど、藩主の手術成功、ややこしい事情と建前、名医の立場と命、すべてを丸く収めるために“父がしたこと”を描く内容なのだな――。そう思いながら読み進めていくと、浅はかな予想は裏切られ、愕然とするしかない展開が待ち構えている。このタイトルはここに掛かってくるのか! そう理解した瞬間、本作は「医療時代小説」という括りを越えたさらなる域へと達し、大きく息を呑んでしまった。
 青山文平は武家小説の第一人者であるとともに、『半席』、『泳ぐ者』など、なぜ行なったのか――という犯行動機の解明を主軸にした、いわゆる「ホワイダニット・ミステリ」の名手としても知られている。本作は謎解きに特化した小説としては組み立てられていないが、終盤で明かされる真相の威力は、やはり著者ならではといえよう。
 ひとには正しいと信じて為すべき、貫くべきことがある。けれどその正しさゆえに、思いも寄らない悲劇を招いてしまうこともある。元重の正しさとは、藩という組織と家庭という小集団に属する者のそれであり、向坂の正しさとは、ひとり身を立ててその道に邁進する者のそれであった。是非を問わず通さなければならない正しさがあるいっぽうで、「正しさ」に背を向けなければ通らない正しさもある。ふたつが心で渦を巻き、沈思黙考してしまった。折に触れて読み返す価値のある青山作品のなかでも、さらに指折りの逸品である。

作品紹介



父がしたこと
著 者:青山文平
発売日:2023年12月19日

武士が護るべきは、主君か、家族か。胸に迫る医療時代小説!
目付の永井重彰は、父で小納戸頭取の元重から御藩主の病状を告げられる。居並ぶ漢方の藩医の面々を差し置いて、手術を依頼されたのは在村医の向坂清庵。向坂は麻沸湯による全身麻酔を使った華岡流外科の名医で、重彰にとっては、生後間もない息子・拡の命を救ってくれた恩人でもあった。御藩主の手術に万が一のことが起これば、向坂の立場は危うくなる。そこで、元重は執刀する医師の名前を伏せ、手術を秘密裡に行う計画を立てるが……。御藩主の手術をきっかけに、譜代筆頭・永井家の運命が大きく動き出す。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322304000754/
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