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海外暮らしの「居場所」を求めて跳びこんだ合唱団の、悲喜交々の成長譚――『アルプスでこぼこ合唱団』書評【評者:中務哲郎】

「スイスという国」に根を張ってゆく、異文化合唱エッセイ
長坂道子『アルプスでこぼこ合唱団』

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長坂道子『アルプスでこぼこ合唱団


長坂道子『アルプスでこぼこ合唱団』カバー画像

長坂道子『アルプスでこぼこ合唱団』


海外暮らしの「居場所」を求めて跳びこんだ合唱団の、悲喜交々の成長譚

評者:中務哲郎(京都大学名誉教授/西洋古典文学)

 スイスの町に住み侘びて、居場所を求めて跳びこんだ合唱団は、背丈の順に並ばない。まるで不揃いの山並みのような、名づけてアルプスでこぼこ合唱団。
 著者は20代半ばに冒険を求めて単身パリに渡り、伴侶を得てペンシルベニアからロンドンへと引っ越しを重ねて、今はチューリッヒに住む。行く先々でそこの風土と文化に馴化できたのは、現地の食材で現地の家庭料理を作るという著者の姿勢によるところが大きいが、そんな著者にして最も生きづらく感じたのが、20年余も住むスイスだという。その理由は、アンフレンドリーなスイス人の国民性と、英仏独語に堪能な著者にも厄介なスイスドイツ語であるらしい。「息苦しい時に、仲間に入っていけない時に、どこにどうやって慰めを見つけたらいいのだろう」、と悶々とする時に救いとなったのが、スイス人作家デュレンマットの芝居と小説、そしてひょんなことから入った合唱団だという。これは4年間の合唱体験を通じて著者がスイスと仲直りを果たす物語である。
 とはいえ入団当初は、異国の新入りに声をかけてくれる人もなく、徹底したほったらかしに戸惑うことになる。ただ指揮者のハンナさんは著者の子供ほどの弱年ながら、教会のオルガニストにして合唱指揮者であるから、聖トーマス教会のカントールたりしバッハのような存在で、なかなか立派な人らしい。来る週も来る週も不思議なほったらかしに囲まれながら、めげずくじけず練習に通ううち、20人ほどのメンバーはスイス人の他にアメリカ人、ドイツ人、ラトヴィア人、フランス人と国籍も様々なれば職業もまちまち、というようなことが分かってくる。団員と家に招いたり招かれたりのつきあいも生じる。やがて火曜日の夜は何があっても練習に捧げ、これなくしては生活が立ちゆかないという合唱依存症状態が始まるが、2020年3月8日のジャズと合唱のコンサートを最後に、コロナ禍のため練習もリモートとなる。
 物語の進むに連れて個々の団員の顔も見えてくるし、レパートリーが増える折々に紹介される歌の詞も美しい。とりわけハンス・レオ・ハスラー「情熱の庭」、メンデルスゾーン「森の中で」、ブラームス「愛の歌」、ラインベルガー「ムンメル湖」、プーランク「雪の夜」など、著者自身の訳になる歌は歌声が飛び出して来るようである。だが、こうして著者がすっかり合唱団の人となった頃に、ハンナさんとの別れを語る「一つの終わり」の章はたまらなく淋しい。ハンナさんはドイツの高等音楽院にオルガン科教授の職を得たため、でこぼこ合唱団を去らねばならなくなったのである。この知らせを聞いて、リモート画面にポツリポツリと現れる団員の反応、著者が後日に送った感謝と祝福のメール。青春の終わりにも似た、我がことのような喪失感、寂寥感を覚えた場面である。
 しかし、でこぼこ合唱団には第二章があり、ハンナさんは後継者を見つけてくれていた。お別れコンサートの後、打ち上げの席で仲間から、「どう、最近はどんな本、書いてるのかな?」と尋ねられた著者は、よっしゃ、と意を決して、「今、書いているのは、実はこの合唱団のお話」と告白する。本の最後にて著者が「今、書いている」という本は、私が今読み終わろうとしている本に他ならない。あれれ、この構造はどこかで見覚えがあるぞ、と思う。プルーストは紅茶に浸けたマドレーヌに呼び覚まされた記憶から初めて、無意志的記憶が自分の人生から引き出すあらゆるものを語り続け、そして長い長い物語の最後に、小説を創る方法論を会得したという。しかし、その方法で書こうとする小説は、読者が今まで読んできた『失われた時を求めて』ではないのか、と始めに引き戻されるのを覚える。『アルプスでこぼこ合唱団』の終わりにも、ふと循環の感覚を覚えた。

作品紹介・あらすじ
長坂道子『アルプスでこぼこ合唱団』



アルプスでこぼこ合唱団
著者 長坂 道子
定価: 1,870円(本体1,700円+税)
発売日:2022年02月02日

悶々とする日々で出会ったのは、謎めいた仲間たちと共に歌うこと――。
したたかでアンフレンドリーな、アルプスの小さな山国スイス。在住20年にもかかわらず、いまだここが「居場所」とはいえない――。そんな悶々とした中で出会ったのは、妙に謎めいた、多国籍な仲間たちの合唱団だった。悪戦苦闘の日々、少しずつ謎がとけてゆく仲間たちと、声を合わせて歌いながら「スイスという国」に根を張ってゆく、異文化合唱エッセイ。      
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322012000082/
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