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潔癖症の主人公が、「触れたい」と思うアパートの隣人──第5回カクヨムWeb小説コンテスト〈恋愛部門〉特別賞受賞作!!『アパートたまゆら』

『アパートたまゆら』砂村かいり著 レビュー

 実は、食べることがそこそこ苦手だ。過去に極端なダイエットをしたせいだろうと思うが、ちょっとした恐怖心すらある。ところが、食べることに抵抗のある人間は、どちらかというと少数派らしい。「食べたくない」とは、案外言いにくいものだ。だからこそ、「食べなくていいよ」と言ってくれる人に出会えたときは、どうにも感激してしまう。「食べたくない」と伝えられる人となら、楽しく食事ができると思う──自分でも、矛盾しているとは思うけれど。

アパートたまゆら』(砂村かいり/KADOKAWA)の主人公、紗子にとっての恋愛も、そのようなものではないかと想像する。

 紗子は、雨の日が嫌いだ。通勤のために、バスに乗らなくてはならないから。公共の乗り物に乗るときは、マスクをして、抗菌手袋をつけたうえで吊革につかまり、他人と触れ合った衣服には、除菌スプレーを振りかける。紗子はいわゆる潔癖症だ。除菌ジェルを手放せず、海やプール、温泉も苦手。そんな状態で恋人ができても、キスやセックスなどできようはずがなく、紗子の恋はいつだって、長続きはしなかった。

 とはいえ紗子にも、27歳の女性らしい欲求はある。おしゃれをして、おいしいものを食べたいし、いつかは誰かと、体温を分け合って眠りたい。そもそも紗子の潔癖症は、思い切れば、旅行先の台湾やベトナムで、屋台の料理にだって挑戦できる程度のものだ。紗子が自分の可能性を感じていたある日、ことは起こった。アパートの鍵を、友人と飲んだ店に忘れてきてしまったのだ。

 紗子が住む「アパートたまゆら」は、東京のはずれに建っている。私鉄の駅から歩いて十分弱、淡いモスグリーンの壁に、欧州風の白いベランダがついた四階建てだ。その202号室──自室の前で、真夜中、鍵を忘れてしゃがみこんでいた紗子に、声をかけてくる人がいた。隣の201号室に越してきた、琴引という男。長身に黒目がちな瞳、少し癖のある髪の彼は言う、「よかったら、うち泊めますけど」。

 大胆な提案にあっさり甘えてしまったのは、他人とスペースを共有する漫画喫茶やファミレスには行けないという事情はもちろん、琴引が清潔な人間で、おかしな下心で誘い込もうとしているわけではないということが、雰囲気からわかったからだ。はたして彼は、部屋に入るとすぐにうがいをし、身体が冷えていた紗子にあたたかい茶を振る舞い、風呂の湯も自分の入ったあとで張り直してすすめてくれる、「きちんとした」男だった。この夜をきっかけに、紗子は琴引との交流を深め、恋心を抱くようになるのだが……。

 紗子が考えるとおり、「誰にでもこだわりというものはある」。不潔への恐怖、執着に近い恋心、夢追い人を格好いいと感じること。同時に、大抵の人には、他人に見せない衣服の下や、プライベートな自室がある。意外な副業、過去の恋愛、素直に言えない胸の内。たとえ隣に立つ人でも、心の中は、知ろうとしなければわからない。それはまるで、壁一枚挟んでいるだけなのに見えてはこない、隣人の暮らしのようだ。考えてみれば、人はみな、世界というさまざまな人間の住まうアパートで、しばしのあいだ──たまゆらの生を、肉体という壁を隔てて暮らしている、隣人同士なのかもしれない。相手の心の扉を開けられたなら、そこに見えるものを愛おしく思うだろう。自分の扉も解放できたなら、たがいのあいだに、きっと新たな絆を見出せる。

 本作は、第5回カクヨムWeb小説コンテスト〈恋愛部門〉の特別賞を受賞した作品を書籍化したものだ。「アパートたまゆら」の住人たちは、恋愛を楽しみたい人だけでなく、人との関わりに悩みを抱えている人たちにも、希望とヒントを与えてくれるに違いない。

文=三田ゆき

作品紹介



アパートたまゆら
著 砂村 かいり
装画 いわしま あゆ
定価: 1,320円(本体1,200円+税)

普段はこんなこと思わないのに――なぜだろう、彼にはむしろ触れてみたい。
潔癖症の会社員・紗子は、飲み会帰りにアパートの鍵を店に忘れてきてしまう。困り果てていると、居合わせた隣人の琴引さんが一晩泊めてくれることに。これを機に彼との交流がはじまり、恋心が芽生えていくが……?

https://www.kadokawa.co.jp/product/322011000286/
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