久坂は五十三歳。老舗製薬会社の副会長だが、会長は父、社長は弟の同族経営で、経営にはタッチしていない。月のほとんどをシンガポールですごし、自由を謳歌している。妻は東京、娘はパリに留学しているが、それぞれ人生を楽しんでいるため家庭に問題はない。久坂は若い頃から女性との関係を多く持ってきた。しかし深くつきあうことはなく、口の堅い女とアバンチュールを楽しむだけだ。仕事をしないかわりに読書と語学習得を楽しみ、金を惜しまず、女性の扱いを心得ている。羨ましいと感じる男性読者は多いだろう。
久坂にはスタンフォード大学に留学していたときからの親友がいる。田口というその男は、戦前からある製糖会社の三男坊で、いまはグループ子会社の社長をしている。つい先頃妻を亡くしたばかりで、落ち込んでいるかというとそうでもなく、むしろ解放感を味わっている。米国時代に東欧の留学生と激しい恋に落ちた田口にとって、妻は親が決めた結婚相手にすぎなかったからだ。しかも資産家の家に生まれながら係累の少なかった妻は莫大な財産を田口に遺した。
田口は久坂たち友人にそそのかされるまま、京都の芸妓を囲うことになる。その一方で、中国の著名な政治家の孫娘で、才色兼備の女性と新たな恋に落ちるなど、にわかに周囲が慌ただしくなる。しかも亡き妻の使途不明金の探索や、彼女が遺した「私はずっと幸せではなかった」というメモ書きが田口の心をざわつかせるのである。
物語は久坂と田口の女性たちとの交際と情事を描いたものだ。そしてその道具立てとして京都の伝統文化や贅沢な食事といった、庶民には未知の世界を垣間見せてくれる。なんともゴージャスな小説なのだ。
『愉楽にて』が連載されたのは日本経済新聞朝刊。思い出されるのは故・渡辺淳一のベストセラー『失楽園』『愛の流刑地』であろう。渡辺作品はお堅い経済新聞紙上で、性愛の深みに落ちていく男女の物語を描き大きな話題になった。『愉楽にて』もまた男女の性愛の機微を描いて渡辺作品の向こうを張っているように見える。むろん、作者の念頭に渡辺作品があったことは間違いないだろうが、実に林真理子らしい作品になっている。金も教養もあり、男性としても経験を積んできた二人の男性は女性の心理や行動を読むことにもそれなりの自信を持っている。それでもなお、思うがままとはいかない。そこに滑稽さと悲哀があるのだ。
ありあまるお金を持ちながら野心を持たず、所属する世界に充足している二人の男。彼らは急速に衰退しはじめたこの国の最後の教養人なのかもしれない。その点で、久坂が交わることになる若きIT社長たちの成金ぶりと、過激なまでの合理主義は時代の変化を見事に表現している。そう、林真理子という作家は一九八〇年代に登場して以来、つねに時代を冷静に見つめ、その時代を背景に生きる人間たちの諸行無常、もののあわれを描いてきたのではなかったか。『愉楽にて』には王朝文学からつづく日本文学の香りが濃厚に漂う。二〇一〇年代後半のいま、そうした小説がこの国で可能か、という作者の挑戦なのである。
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林 真理子『六条御息所源氏がたり』上・下(小学館文庫)
語り手に亡霊になった六条御息所を配し、あの世から光源氏の女性遍歴を語っていく。『愉楽にて』に登場する能には亡霊ばかり出てくるが、昔の人は現世とあの世の境界を曖昧に捉えていた。読者もその境界を越え、はるか遠い世界の色恋に浸ることができる。
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