【カドブンレビュー】
物語の舞台は葬儀会場。教師であり、引退後はアパートを建て大家をしていた坪井誠造が68歳で逝去した。彼はその誠実な姿勢から、神様のように崇められていた。
まるで著名人が亡くなったかのように、多くの参列者がやってくる。その人たちは、坪井誠造の娘や教師時代の同僚や生徒、大家をしていたアパートの住人など様々だ。そのほとんどが故人を偲んで涙を流し、悲しみ、思い出にひたっている様子から、生前はどれほど人望が厚かったのかがうかがえる。
だがこの参列者たちは、それぞれ重大な事件によって心の傷を負っていた。そして、ちょっとしたきっかけから次第に、「坪井誠造が各事件に関わっているのでは」と疑惑が広がっていくのだ。
果たして神様・坪井誠造とは、本当はどういった人物だったのか。物語が進むにつれ、坪井誠造と各事件に関する真実のピースがはまっていく。
葬儀の参列者一人一人の視点から語られるエピソードが、坪井誠造を形作っている。
物語の序盤では、まるで聖人のように素晴らしい人物だった。しかし、通夜の参列者の思い出と各々の記憶に刻まれる事件が参列者同士でつながっていくことで、坪井誠造の清廉さがどんどん崩れていく。中盤以降はもはや悪者であるかのように語られている。そう、タイトルにある「裏の顔」が露呈するのだ。
人の印象というのは、いかに脆く恣意的なものなのだろうか。坪井誠造の新たな情報を知ることで、彼の人物像が参列者の中で二転三転し、右往左往する様子に面白みを感じた。
また、各参列者が抱える事件は、謎を残したまま、ストーリーが展開していく。そのため、あくまで他人によって補完された情報や印象によってのみ、坪井誠造が構築される。表の顔と裏の顔、どちらが本当の坪井誠造なのか、参列者たちはもちろん読者も最後の最後まで分からないのだ。
果たして何が本当で、何が偽りなのか。私もある程度推理しながら一気に読んだが、まさに「やられた!」という感想であった。想像できなかった展開が最後に待ち受けており、私の予想は痛快に裏切られたのだ。
この体験を他の人にも体験してもらいたいので、早速、本書を友人に薦めてみた。読み終わった後でどんな反応が返ってくるのか、今から楽しみである。