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レビュー

二度目の自己投影――恋川春町から梶山季之 『恋の川、春の町』

 作家が書く作品には、読者のために書く小説と自分のために書く小説がある。
 たとえば、風野真知雄(かぜのまちお)の場合、前者には〈耳袋秘帖〉シリーズをはじめ、〈妻は、くノ一〉〈大名やくざ〉〈女が、さむらい〉等、錚々(そうそう)たるベストセラー群があげられよう。
 これらのシリーズの眼目は、もちろん、読者を楽しませるエンターテインメント性だ。
 そして、後者は何か、といえば、中山義秀(なかやまぎしゅう)文学賞の栄冠に輝いた歴史長篇『沙羅沙羅越(さらさらご)』である。
 こちらは、佐々成政(さっさなりまさ)の厳寒の飛騨山脈越えを描いたもので、成政は、徳川家康に翻意を促すべく雪中を旅立つが、結局、家康の心を動かすことはできず、彼の行動は徒労に帰す、という戦国史の有名な挿話である。
 そして、この一巻は、その徒労の中にこそ意味を見出す小説なのだ。
 作者は六十歳の身体に鞭打ち、東京マラソンを走ったとき、「いったい、何のためにこんなことをしているのだ」と何度も挫折しそうになり、徒労以外の何でもなかった、と語っている。
 そしてゴールしたとき、新しい小説の題材に、同じ徒労で終わった佐々成政の飛騨山脈越えを思いついたと記している。ここには、佐々成政に対する風野真知雄の著しい自己投影が見られる。
 しかし、この徒労ということばを、作者の強固な自我と置き換えたとき、多いときは、読者のために月に四、五冊の文庫書下ろし時代小説を発表、書くことの苦しみを知り尽くした作者の思ったこと――それは、読者への奉仕を忘れず、それでも俺は自分の書きたいものを書く、という作家魂ではなかったのか。
 そして、今回、風野真知雄は、二度目の自己投影を試みた。しかもその相手は、江戸で大人気の戯作(げさく)者・恋川春町(こいかわはるまち)。実は、駿河小島(するがおじま)藩の年寄本役・倉橋寿平(くらはしじゅへい)である。モノ書きがモノ書きに己を重ねる――これは武将のときよりも、より濃密な投影が為されているのではないのか。舞台は、洒落(しゃれ)本や黄表紙を命懸けで書かねばならなくなった松平定信の治下。春町は、武家社会の矛盾を面白可笑しく茶化した『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』が大ヒットしたため、これがいつ、幕府の怒りに触れるか、と様子をうかがいつつ、その一方で、最後まで権力と闘いながら逝った馬場文耕(ばばぶんこう)に対して憧憬を抱いている。
 ここで、春町と文耕への二重投影をより詳細に見ていくと、実は、今回の『恋の川、春の町』には献辞がある。
 それは、

昭和の偉大な戯作者・梶山季之(かじやまとしゆき)に捧げる

 というもので、懐かしくも嬉しい名前を聞く。
 本書〝あとがき〟には次のように記されている。

  とはいえ、江戸の戯作者の精神こそ受け継いでも、手本とするにはちと古い。そんなとき、(中略)とんでもない戯作者を見つけた。それが梶山季之。   官能描写を(とが)められ、警視庁に摘発されること三度。雑誌に書いた記事では、時の自民党幹事長・田中角栄が直接、編集部に怒鳴り込んだ。香港で客死したときは、暗殺説まで飛びかったという。

 機を見るに敏で、黒い権力やスキャンダルに牙をむき、表現の自由を求め、抜群の性描写を誇った。反権力を貫いた昭和の戯作者であった。
 つまり、風野真知雄は、いまは、梶山季之には及ばず、恋川春町だが、いずれは文耕=季之に——という大望を抱いたのではないのか。
 これは嬉しい出来事といわねばなるまい。
 抜群の筆力を持つ風野真知雄である。〝あとがき〟で「昭和もの」を書くと記している作者のこと、果たして今後どのような展開が待っているのか、楽しみでならない。


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