文庫書き下ろし時代小説を中心に、旺盛な筆力で作品を発表している鈴木英治が、新たなシリーズに取りかかった。それが本書『信義の雪 沼里藩留守居役忠勤控』だ。
主人公の深貝文太郎は、駿州で七万五千石を領する沼里藩水野家の留守居役だ。記憶力が抜群で、雲相流剣術の免許皆伝。腰には、駿州の刀工が打った、摂津守道重を佩いている。愛妻の志津は当然として、義母の八重や、中間の弦太との関係も良好。こすっからい上役の右田主水助に怒りを覚えることもあるが、まずは充実した毎日である。
ところが、相役の留守居役・高足惣左衛門が行方不明になったことで、文太郎の日常は一変する。惣左衛門を捜すよう命じられ、懇意にしている北町奉行所与力の伊豆沢鉦三郎を訪ねるが、はかばかしくない。さらに惣左衛門が出入りしていたという飲み屋「庄内屋」に向かったところ、北町奉行所定廻り同心の北見半平太と遭遇。半平太の話によれば、「庄内屋」で働いていたおみのという女が殺され、惣左衛門が下手人と目されているとのこと。すでに人相書きまで出来ており、事態は切迫している。相役の無実を信じる文太郎は、彼の立ち寄りそうな場所を当たるが、空振りに終わる。だが、意外なところで惣左衛門を発見するのであった。
ここで読者の興味を強く惹きつけた作者は、さらなる展開でストーリーに没入させる。惣左衛門の差料には血がべったり付いていたが、文太郎は彼が罠にかけられたと確信。しかし、いきなり現れた大目付によって、惣左衛門は捕らえられてしまう。引き立てられる惣左衛門が口にした「もしやすると、さんずのかみ、が絡んでおるのかもしれぬ」という言葉は何を意味するのか。惣左衛門の濡れ衣を晴らすため文太郎は、東奔西走するのであった。
駿州の沼里藩は架空の藩であるが、「口入屋用心棒」「新兵衛捕物御用」シリーズなどで、お馴染みである。作者のファンならば、すっと作品世界に入っていけるだろう。もちろん本書が初鈴木作品だという読者も問題なし。冒頭に主人公の心楽しい家庭生活を描くと、すぐさま事件に突入。惣左衛門を信じる文太郎の探索を、軽快な筆致で活写するのである。やがて浮かび上がる、一年前と現在の辻斬り事件。さらに〝さんずのかみ〟の意味が判明したことで文太郎は、事件の核心に迫っていく。
いかにも鈴木作品らしく、ミステリーの要素が強いので、その核心について詳しく述べるのは控えよう。ただ、これだけはいっておきたい。近年、一大ブームを巻き起こしたあるものが、巧みに使われているのだ。作品を面白くするために、人気のある題材を貪欲に取り込んでいく姿勢は、作者の美質といえよう。
さらに主人公の魅力にも留意したい。夫婦になって四年。まだ子供こそいないものの、志津とは琴瑟相和している。ラブラブ夫婦の様子など、普通ならば羨ましいだけ。でも、読んでいると実に楽しい。文太郎が、気持ちのいい男だからだ。幸せ沸点が低いとでもいおうか。日常の些細なことに幸せを感じ、感謝の心を忘れない。真っ直ぐな気性で、何事にも向かっていく。作中で、供としての務めを果たそうとする弦太を知って、
「人というのは、やはり人のために役立ちたいと常に思っているものなのだろう」
と考えるのは、自身が、そのように思っているからだ。こんな主人公、魅力的に決まっているではないか!
しかしだ。魅力的な主人公に、作者は衝撃的なラストを与える。シリーズ物だからこそ可能だったのだろうが、とんでもないことをやってくれたものだ。このラストを受けて、ストーリーがどこを目指すのか。文太郎はどうなってしまうのか。まったく予想できない。だから本書を読了した私たちの心は、早くもシリーズ第二弾に飛んでいるのである。
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