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レビュー

この現実は、すべて虚構だ。価値観を揺るがす連作奇譚集!――京極夏彦『虚談』文庫巻末解説

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
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京極夏彦『虚談



京極夏彦『虚談』文庫巻末解説

解説
じま しん(人間椅子)  

『虚談』。このタイトルを前にして、まず読者はどのように思うであろうか。ははあ、今や怪談界隈で主流のいわゆる実話怪談、それではないのだな。創作怪談? ミステリー?──そもそも小説とはどんな実体験に基づくものでも多少の脚色はあるのだから、小説全体が虚の話といえなくもないけれども──『虚談』である。語感からいって、何やら怪談めいたもの、怖い話、不思議な話であろうことはどうしたって想像する。それでよろしい。読者はその直観と第一印象を元に、わくわくこわごわと、「虚」「噓」を軸に展開していく本書を読み進めていけばいいのだ。
 ただし。推理小説よろしく解説から目を通してはいけない。ここには犯人などいないし、本書の骨子、虚を虚として楽しむためには、噓を吐かれ通す、騙され続けなくては堪能など叶わない。解説などという野暮なものを先に読むなかれ。また短編集だからといって、恣意的に好きなところから読み出すのもいけない。各短編の構成、虚の捉え方からいっても、ここはあたかも長編のごとく、目次から順に頁を繰っていくのが正しい読み方だと、解説の光栄にあずかった僕は強く推奨するものである(フライング気味にここまで読んでしまわれた方は、速やかに一頁目までお戻りいただきたく存じます)。
「レシピ」。冒頭のくどいくらいの状況説明、また途中までの理路整然とした文脈に、なるほどこの短編は、ひいては『虚談』は完全に創作なんだなと読者はまず思い知る。なぜなら、実地に体験する怪異というのは、身内の霊魂が出て来た場合を除き、およそ脈絡もなくさっぱり意味不明なものが普通だからである。これは様々の怪奇体験をしてきた僕自身が、保証する(もっとも本書の語り手たち──おしなべて心霊に懐疑的な唯物論者──にいわせれば、僕の体験はむろん錯覚、妄想の類いに違いない)。
 ある時、僕は助手席に友人を乗せて、夜の環七を車で走っていた。甲州街道を過ぎたあたりだ、まだラッシュの余韻が残る環七を、悠然と横切る男がいる。季節外れの、そして時代遅れの洋服を身にまとった瘦せぎすの中年男が、夜目にもはっきりと見える。「うわっ、何だあいつ危ない」僕は慌ててハンドルを切り、友人に同意を求めると、彼は「見えない」という。そういえば道行く車の誰も減速すらしていない。不審に思いながらバックミラーを見やれば、そこにはやっぱり、環七をゆっくりと横断する男の姿が映っていた。その夜、僕はまた別の友人と会う約束があった。といっても一回り年上の商店主だが、その方に先ほどの話をすると、その男なら自分もさっき見た、という。往来の激しい銀座の路上できかけたのだという。背格好も同じ、周りが気づいていない風も同じ。もちろんお互いにそんな知己などはいない。まるで意味が分からない。
 ある時、僕は奈良の山奥にキャンプに出掛けたことである。たまたまほかの宿泊客はおらず、ひっそりとした谷底に僕一人。静かな晩だった。深夜、けたたましい音に目が覚める。まるで何十人もがウォーウォーと叫んでいるかのような轟音が、テントの周囲をぐるぐると回っている。暴風じみたそれは、いや増しに勢いを増していき、ついには手のようなものが伸びてきて、僕の頭をテント越しにグググググーッと(ここ稲川淳二風)押さえつけるのだった。失神したらしい。朝目が覚めて外に出てみると、嵐などなかったように、葉っぱ一つ落ちていない。不可解極まりない。
 かように実際の怪奇体験とは、因果関係を求めようにも手掛かりのないのが普通であり、気味の悪い体験をした、で終わりなのである。さて「レシピ」の方は、終盤に差し掛かり、整合性が破綻していく。あたかも実話怪談のように。そして衝撃の末尾である。「この話は──最初から最後まで、全部噓」我々は、いいようのない不安にストンと落とされる。
 第二話「ちくら」は、はなから噓だと明言して始まる。第一話の不安覚めやらぬ我々は、ここにおいて筆者は実話怪談のあの居心地の悪さ、不条理さを、虚、噓でもって構築しようとしているのではないかと勘繰り出す。何と恐ろしい試みを。「ちくら」はいってみれば幽霊譚だが、題名の意味は最後まで類推すら明かされない。
「ベンチ」は虚構だから許されるであろう、宗教の話。昭和の特撮の話やら仏教の歴史やらが出てくるが、そうした事実の列挙がより物語に迫真性を与えている。噓に噓を塗り重ねるのは詐欺師の常套手段だが、おそらくポイントは、そこに適量の真実を盛り込むことであろう。ペテンの引き上げ効果とでもいおうか、噓が真実の粉飾によってリアリティーを持つのである。『虚談』においては、過去の事象のみならず、さもありなん感の演出であろう、しばしば現代的な語句をあえて用いている点も見逃せない。大人買い、モチベーション、ネットオークション、美魔女、などなど。そうして「ベンチ」の物語は、おじさんの存在すら曖昧なままに、終わる。記憶がどうしても噓を孕んでしまうものならば、我々の存在もまた曖昧なものではないのか?
「クラス」は実話怪談風の筆致。それだけに不条理なままに、目まぐるしく話が展開していき、最後には御木さんの存在は曖昧どころか、虚構ではないかというところまで行き着く。我々の存在は、ここでまたいっそうグラリと揺らぐ。
「キイロ」はここまでとはやや趣きの異なる、中休み的な作品。別アプローチといってもいいだろう。キン消しなど、昭和の世相がふんだんに描かれ、ああ、怪談とは郷愁に近いものであったかと、ふっと和んだ気持ちにさせられる。確かに怪談が死を扱うものである限り、それは過去を偲ぶものでもあるだろう。キンゴローの噓が増幅して怪物になっていく様は、口裂け女のフォークロアを見ているようである。
「シノビ」。前々作までの曖昧な存在、そして虚構かもしれない存在ときて、ついにそれ自身が噓にも似た存在、忍者の登場である。いわば虚の逆転現象、噓が実体を持ってしまった塩梅である。特筆すべきは、今作から語り手の趣向が変わっている。若干の匿名性、虚構性のあったものが、今作以降は明確に文筆業と謳うことになる。つまり筆者本人による随筆の体をなし、よりリアリティーを帯び出すわけだ。「シノビ」は前作「キイロ」に続き、まるで後半への助走であるかのように、文体は軽やかである。
 我々の存在の根幹を実証するものといったら、親であり家族であり、先祖であろう。ここを否定されてしまったら、我々には名前もないし、夢のようなただの印象となってしまう。「ムエン」はそうした怖さを、ミステリー調につぶさに語っていく。城崎さんの噓を、語り手も噓でもって喝破するわけだが、噓と噓の対決ゆえ、もはやどこからどこまでが噓なのか……皆目見当すらつかない。
「ハウス」。勘のいい読者なら冒頭の一声で、ああこれは人間を、あるいは幽霊を飼っている話だなと察しがつくだろう。いってみればこれは倒叙形式の怪談である。様々の伏線が、木村さんのそれと知れる噓が、結末へきれいにしゆうれんしていく様は快感でさえある。第一級の怪談とはこのようなものを指すのだ。
 最終話「リアル」。夢で殺人を犯したことがある人がどのくらいいるか分からないけれども、覚えのある人は、微に入り細を穿ったあの家の描写で、きっと嫌な予感がするはずである。僕は夢の中で三人ほど人を殺めている。事後だったらまだいいのだが、そのうち二人は犯行直前からで、実におぞましい夢であった。であるから、くだんの描写が出た際に「うわーっ来たぞー」とすぐに合点がいった次第である。これは夢で犯行に及んだ同志にしか分からない感覚であろう。リアル、である。夢なのに。虚構なのに。取り返しがつかない、何度僕もそう思ったことだろう。悔恨の念、罪の意識は起きている間も胸の底におりのようにあり、何ものかから逃げなくてはいけないという気持ちも、意識の片隅に常にうっすらとある。虚を作り出し、虚にさいなまれ、現実と虚の狭間で揺れ動くばかりだ。リアルとは何なのか。虚はありありとリアルを描き出すし、一方現実は虚が積み重なっただけのもの、噓といえなくもない。我々を虚の真ん中にぽつんと置き去りにして、『虚談』は終わる。
 文庫版のみに収録の「コード」は、いわばエピローグ的なものだろう。本作のエッセンスが凝縮されており、ノスタルジックでもあり、随筆風でもあり、実話怪談風でもある。終章に相応しくある種の諦観を漂わせてはいるが、まるで第一話「レシピ」への橋渡しのごとく、「僕が、噓を言っていない限り」と、締め括りはあくまでも不穏である。
 我々はこの本を通して、虚構の上ではあるが、噓と真実がいかに容易にすり替わるかを見て来た。なに小説の話だ、束の間自分の存在の不確かさに触れて、つまりは浮世をちょいと離れて、虚の世界に遊ぶだけのことじゃないか、もちろん小説を読むというのはそういうことだ。それでいいのであるが、我々は噓と本当の境界がはなはだ不透明なことを知ってしまった。もし、もし仮に我々を我々として存在たらしめているこの世界に、現実と信じて疑わないこの日常に、数々の噓が真の顔をして紛れ込んでいるとしたら……それこそが本当の怪談である。いや、そんなことは噓だろう。

作品紹介



虚談
著者 京極 夏彦
定価: 748円(本体680円+税)
発売日:2021年10月21日

この現実は、すべて虚構だ。価値観を揺るがす連作奇譚集!
元デザイナーで小説家の「僕」は、知人友人からよく相談を受ける。
「ナッちゃんはそういうの駄目な口やろ」と笑いながら、デザイン学校時代の齢上の同輩、御木さんは奇妙な話を始めた。
13歳のとき山崩れで死んだ妹が、齢老い、中学の制服を着て、仕事先と自宅に現れたというのだ。
だが彼の話は、僕の記憶と食い違っていた……(「クラス」)。
家に潜む【誰か】。祀られたキンゴロー様。夢の中の殺人――。
この現実と価値観を揺るがす連作集。
<解説 和嶋慎治(人間椅子)>
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322103000611/
amazonページはこちら


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