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レビュー

世界でいちばん大切なもの――『ブレイブ・ストーリー 下』文庫巻末解説

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

ブレイブ・ストーリー 下』文庫巻末解説

解説 世界でいちばん大切なもの
おおはらまり  

 いちどページを開くとおもしろくてやめられず、「いつまでおきてるの」と家族に𠮟られ、朝陽が昇るまで読みふける──そんな至福の読書体験を味わいたいなら、『ブレイブ・ストーリー』をめくるといい。
 小学校五年生の少年、三谷亘は、両親の離婚という現実をつきつけられ、心が凍りついてしまう。子供にとって家庭は世界そのもの。安心できる世界が突然、奪われてしまったのだ。
 ちようめんでまじめな、ある意味かたくなな母、論理的で頭はいいけれど、ちょっと冷たい感じの父。
 家が居酒屋をやっているクラスメイトのカッちゃん、努力しなくても優等生の宮原、素行不良の石岡。独り者のルウさん。父の恋人。亘のほのかな初恋相手といってもよい、車椅子の美少女。
 そして……実の父親に一家を惨殺されたという、転校生の芦川美鶴。
 この大作の四分の一も使って、主人公・亘が生きる現実の世界が、ていねいにていねいに描かれてゆく。


ブレイブ・ストーリー 下
著者 宮部 みゆき
定価: 924円(本体840円+税)


 小学生も高学年になれば、さまざまな違いが、勝ち負けとなって身にしみてくる。勉強の出来不出来や、親の仕事やお小遣いのこと、外見や性格の良し悪し、生まれつきとしかいいようのない器の差だってある、と亘は感じている。女の子たちの人気も気になるし、不公平だと思う。
 大人びて勉強もできるし、驚くような美少年ぶりで女子に騒がれている、転校生の美鶴。
 親しくなりたいと近づいた亘は、徹底的にバカにされ、相手にされない。亘は傷つきながら、彼の中に何か不穏なものを感じ取る。そして、興味をかれる。傷ついて、ひるみながらも、なぜだろうと考え、人を知りたいと思う気持ちを持ち続ける。
 甘くはない、けれど、やさしさを忘れない、宮部作品ならではのまなざしに包まれて、亘を応援したくなる。
 美鶴ははじめ、亘のことをジャマだと思っていたが、両親の離婚という不幸の中にいることを知って、ちらりとほんとうの姿を見せる。それはおだやかな少年の姿ではない。自分の運命を変えたいと願う、激しい怒りだった。
 亘もまた運命を変えたいと望み、美鶴に導かれ、ビルの工事途中の建設現場に現れたかなめのとびらから、一気に〝幻界ヴイジヨン〟へ飛ぶ。
 この扉は十年に一度だけ、開く。「命をかけて、あらゆる困難を乗り越えてでも、運命を変えたい、失ったものを取り戻したいと、強く願う人間がいなくては、扉は姿を現さない」。
 幻界は、現実世界に住む人たちの想像力のエネルギーが創り出した場所だ。
 そこにいるのは、オカリナのような声で歌いながら導くオレンジ色の鳥たち、旅の始まりを手助けしてくれる魔導士の老人、旅の道連れとなるトカゲに似た姿の水人族……。
 普通小説のリアリティで、きっちり構築された第一部から一気に急展開、テレビゲームのようなファンタジー世界に入るので、最初はちょっととまどうけれど、すぐに幻界になじんでしまう。
 貧しい北の大陸と、豊かな南の大陸。北では、アンカ族とよばれる人間に似た種族が力を握り、水人族や猫人間のネ族など他の種族を差別している。
 そこは、見たこともない世界だけれど、どこか現実を写している。
 世界のリアリティって何なんだろう。うわはいくら噓でも、どこかに真実だと感じられるごたえがあれば、世界は確かにそこに現れる。すべては紙の中の出来事、それでも世界はそこにある。
 亘が幻界で出会うさまざまなヒトたちは、現世にいる人々に似ているケースがある。大きくて力持ち、気さくで親切、全身ウロコに覆われた水人族のキ・キーマは、どことなく、自由人のルウ伯父さんを連想させるし、クラスメイトのカッちゃんにも似ているようだ。
 おもしろいのは、あちら側の世界が、現実の世界と微妙に重なりながら、さらに先を行っていて、亘にさまざまな経験をもたらしてくれることである。
 たとえば猫人間、ネ族の女の子ミーナは、亘がまだ出会っていない、中学に上がったら出会うかもしれない、しんが強くて魅力的な女の子だ。社会の治安を司るハイランダーのブランチ長、カッツねえさんと、その元恋人ロンメル隊長の、〝正義〟をめぐる対立は、大きな学びとなる。
 また亘は、現世では気づかなかった、自らの心の中にある父への憎しみから〝父殺し〟も経験する。これは、夢=ファンタジーの中で行われるもので、実際に殺すわけではないが、父をゆるし乗りこえるために必要な体験だった。
 そして芦川美鶴。
 現世でのあまりに過酷な運命にねじ曲がってしまった少年の様子は、読んでいるだけでも不安になってくる。なんとかならないものかと、でもやっぱりだめなんだろうかと、亘といっしょに見守ってしまう。
 不器用なゆえに、よく観察し、一つ一つ考えながら、ゆっくり歩んでゆく亘。一方、頭がよく、自分の目的に向かって、わき目もふらずに進んでゆく美鶴。こんな簡単な計算問題を解くこともできないのかとあきれ、亘をわらいながら、一見上手に世渡りしてゆく。
 損得だけの計算で人生を渡ってゆけたら、どんなに楽だろうか。
 人の心や世界の複雑さが見えなくなってしまった──自分の欲望のために見ないですませるようになってしまったのは、成長どころか後退でしかない。それは〝おとな〟になったのではなく、へし折れてしまったのだ。何か大きな力にねじ伏せられて、魂を入れる器が壊れてしまったのだ。
 美鶴の生き方は、金にむらがり、中身のない出世ゲームに興じる一部の〝おとなたち〟の姿を思い出させる。
 彼らは優秀だ。難題も器用にこなす。当たり前のようにジャマ者を押しのけ、駆け足で、手に入れたいものを目指す。だが、高い地位にふさわしい人間だとは思えない。
 だって、カッツがいうように、彼は「幻界なんてどうなってもいいと思ってるからだよ。(中略)自分が通り過ぎた後に死体の山ができようが、廃墟がいくつも残ろうが、おかまいなし。手っ取り早い方法を選んで、とっとと先に進めればいいと思っている」のだから。
 美鶴は、最後に、大きな罪を犯す。善良で親切な皇女に取り入り、だまして、宝玉のありかを聞き出すのだ。
 この部分は、読んでいてもいたましい。だまされた皇女の哀しみ、そして、だました美鶴の人としての堕落に、胸が苦しくなる。
 私たちが住んでいる、ほんとうの現実世界では、このところ、勝ち組・負け組といった言葉をよく耳にする。
 詐欺にあうと、まるで詐欺にあった人に落ち度があるかのように非難されたりする風潮は、どうしたことだろう。だました人は何かを盗んで得をしたのだろうか。
 ほんとうに勝つこと、何が勝ちで、何が負けなのか、この本の最後に答えがある。
 今回、アニメ化されるとのことで、とても楽しみだ。
 アニメ映像の美しさと共に、小説の文章の美しさも味わってほしい。
 この本には、すばらしい描写がたくさんある。
「あるものは頭の端から、あるものは肩の先から、またあるものは胴のなかほどから、見えない波に洗われ、崩れてゆく砂の城のように、ゴーレムたちは土に還り始めた」なんて、スゴイでしょ?
 テレビゲームのようなファンタジーの世界を、あえて文章で、小説で書くことに、作者は意味を感じているはず。言葉の持つ力を信じているのだと思う。さまざまな体験を重ねてゆく亘の気持ちと成長が、言葉でつづられることで、はっきり伝わってくる。
 そして、宮部作品の最大の美質は、その奥底に善の光りを宿していることではないだろうか。
 この本を読んで、私は、やろうと思いながら先のばしにしていたことを、やってみようと一歩踏み出した。この本から、勇気ブレイブを一つ与えてもらった。
 大人の読者はもちろん、子供たちも、ぜひ最初のページをめくってみてほしい。
 あなたにも、ブレイブが宿りますように。

(この解説は、角川文庫旧版に収録されたものです)

作品紹介



ブレイブ・ストーリー 下
著者 宮部 みゆき
定価: 924円(本体840円+税)

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