角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
今村夏子『父と私の桜尾通り商店街』
今村夏子『父と私の桜尾通り商店街』文庫巻末解説
今村さんにきいたこと
解説
今村夏子の登場は衝撃的だった。二〇一〇年に太宰治賞を受賞したデビュー作「こちらあみ子」(応募時タイトルは「あたらしい娘」)が大評判となり、翌年、同作を表題とした作品集で三島由紀夫賞を受賞。しかしその後しばらく筆は途絶える。二〇一六年に
発表当時、メールでインタビューすることができた(「本の旅人」二〇一九年三月号掲載)。著者が取材に応じることは現時点では非常に珍しく、また貴重な創作裏話を教えてもらえたので、ここに残しておく。なお、紙幅の都合で記事に載せられなかった部分を補うなど若干の加筆修正をしたこと、文庫化にあたり新たに加わった「冬の夜」への言及はないことをご了承いただきたい。
──毎回、短篇を書く時は、テーマやモチーフはどのように選ばれているのでしょうか。
今村 毎回自分で自由に決めています。実際に経験したり、見聞きしたエピソードをもとに、話を膨らませていくことが多いです。
──巻頭の作品、「白いセーター」の最初の発想はどこにありましたか。
今村 十五年ほど前、高校時代からの友人とお好み焼きを食べに行った時、私は買ったばかりのコートを着ていました。店内で、お好み焼きの匂いがコートに付くんじゃないか、と一人ブツブツ言っていたところ、一緒にいた友人が自分の着ていたコートで、私のコートを包んでくれました。その時の思い出を小説にしたくて、構想を練り始めました。
──主人公は、婚約者と暮らす女性です。彼女が彼の
今村 子供っぽくて噓つきの女の人と、無口で冷静な男の人、という設定を考えました。男のほうは、優しいのか冷たいのかよくわからない性格をしています。女に理解を示しているように見えて、本音や決定的なことは何も言わない、という男の性格が表れる場面にしたくて、最後の二人の会話を考えました。それと、主人公が途中、子供たちによって、ついた噓が暴かれそうになる場面を入れたいと思いました。子供は子供で、実際の出来事を誇張して話す傾向があるので、その二つが衝突して、あのような言い争いの場面ができました。
主人公は現在独り身という設定です(書いた本人にしかわからない設定となっております……)。だから白いセーターは、かつて婚約者だった人との、唯一の思い出の品です。これは「一度しか
──「ルルちゃん」は主人公が、たまたま知り合ったご近所さんの家に遊びに行くと、そこに不似合いな知育人形があった、という過去を語って聞かせます。
今村 これは初対面の人の家へ遊びに行って、戸惑った話を書きたいと思ったのがきっかけです。なぜ思い出を語る形になったのか、よく思い出せないのですが、おそらくリアルタイムで書き進めていたのが、収拾がつかなくなり、何度も書き直すうちにこういう形に落ち着いたのだと思います。語って聞かせるという形をとることで、私自身、こんがらがった頭の中を整理しようとしたのかもしれません。
──「ひょうたんの精」は、七福神がお腹に宿ったという先輩と、彼女を見守る後輩の話。ユーモラスな不思議
今村 一番初めは何を書こうとしていたのか、もう思い出せないのですが……。最初は、お腹が
──「せとのママの誕生日」はスナックで働いていた女性たちが、ママの誕生日に集まる話。以前発表された短篇「ピクニック」もお店で働く女性たちの話でしたが、こうしたモチーフに
今村 女性ばかりが働くお店では何かが起こりそうな予感があります。女の子同士が会話する場面も、書いていて楽しいです。ただ、「せと」のママは、暴力的なところがあるので、私はちょっと苦手です。こういう人が身近にいたら、一生懸命ゴマをすって、何とか気に入られるようにがんばると思います。敵に回すと怖そうなので、びくびくしながら接することになると思います。
──眠りこけているママに対して彼女たちがとる行動が儀式的ですね。
今村
──「モグラハウスの扉」では、小学生たちが工事現場の男性と親しくなる。
今村 これは工事現場の作業員と子供たちの交流物語を書きたいと思ったんです。小学校時代、工事現場の近くを通ることは、楽しみでした。工事現場には、にこにこおじさんと呼ばれるおじさんがいて、奥さんの手作りのビーズのアクセサリーを近所の小学生たちに配っていました。とてもやさしい方で、子供たちの人気者でした。元は、あのおじさんの話を書きたかったのです。考えているうちに全然違う話になってしまいました。
──学童のみっこ先生の不器用さが切ないです。
今村 一人の男性をずっと思い続ける女性を書こうと思いました。後日譚では、みっこ先生の
──「父と私の桜尾通り商店街」の最初の発想はどこにありましたか。
今村 商店街が好きなので、商店街で暮らす人々の話を書きたいと思いました。当初は、どちらかというと、商店街で商売することの楽しさや、人と人とのつながりを描きたいと思っていた気がします。ただ、以前、商店街の近くで暮らしていた頃、閉店や
──主人公のパン屋の娘が、商機の訪れにはおかまいなしに、たった一人の客のためにサンドイッチを作ろうとする。あの心理が、もどかしくもあり、純粋でもあり。
今村 子供の頃から仲間外れにされていた娘は、商店街での商売にはまったく関心がありません。店が持ち直したところで、娘にとってのハッピーエンドにはならないと思い、そういう展開を避けました。娘はずっと友達が欲しいと願い続けていたので、最後は、その願いが
──今村さんの作品には
今村 どうしてもそうなってしまいます。他の人を書いているつもりでも、書き終えたものを読み返したら、いつも同じ人を書いているような気がします。一生懸命さが痛々しいというか、見ていられないです。でもそこが魅力だとも思います。
──デビュー作である「こちらあみ子」を書くまでは小説を書かれたことはありましたか。
今村 ありません。学生時代に漫画を描いて雑誌に投稿したことはあります。
──小説を書く時、事前に細かくあらすじを組み立てますか。
今村 事前にあらすじを組み立てようとして、途中で
──『こちらあみ子』以降しばらく小説を書かない時期がありましたが、その後『たべるのがおそい』で久々に短篇「あひる」を書かれましたよね。編集長の西崎憲さんから依頼があった時、どうして気持ちが動いたのでしょうか。
今村 一時は、もう書くことがないと完全に
──いま、小説を書くことは楽しいですか。原動力となっているのは何ですか。
今村 集中している時間だけ、楽しいです。それ以外の時間は、苦痛です。原動力となっているのは、締め切りです。
──今後、どのような小説を書いていきたいですか。
今村 毎回、何か書き終えるたびに、これでもう書くことがなくなった……、と悲しい気持ちになります。ですから、この先まだ何か書けるのだとしたら、それがどのような小説でも
不穏とユーモア、切実さと合理性のなさが融合して予測もつかない展開を迎える今村作品。インタビューをしてみて、それぞれの話の出発点の意外性(まさか「ひょうたんの精」の出発点が「丸刈りピンクおばさん」だとは!)や、著者自身も着地点が見えていないことが多いと分かり、だからこそ毎回、読者を予想外のところへ連れていってくれるのだと
今村夏子は本書以降、二〇一九年に発表した『むらさきのスカートの女』(朝日新聞出版)で芥川賞を受賞。二〇二〇年には三篇を収めた『木になった亜沙』(文藝春秋)を刊行し、読者を圧倒し続けている。彼女が新作を発表すると、書いていて楽しい状態が続いているのだなと、なんだかほっとする。この先もずっと、ほっとしていたい。
作品紹介・あらすじ
父と私の桜尾通り商店街
著者 今村 夏子
定価: 704円(本体640円+税)
発売日:2022年01月21日
違和感を抱えて生きるすべての人へ。不器用な「私たち」の物語。
店を畳む決意をしたパン屋の父と私。引退後の計画も立てていたのに、最後の営業が予想外の評判を呼んでしまい――。日常から外れていく不穏とユーモア。今村ワールド全開の作品集!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322106000367/
amazonページはこちら