角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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篠 綾子『青山に在り』
篠 綾子『青山に在り』文庫巻末解説
解説
本書は、二〇一九年に新生第一回日本歴史時代作家協会賞の作品賞を受賞。発売と同時に評判を呼んだ話題の作品である。
まず、受賞時の選評を紹介する。
三 田 誠 広 「篠 綾 子 『青山に在り』が高く評価された。幕末の川越あたりを舞台にしたローカルな作品だが、双子の兄弟という物語の原型ともいえる設定に、よく調べられた史実を絡めていく手法は、作者の技術力の高さを見せている。農民が剣道を習得して擡頭していく時代の特色が物語の推進力になっていて、タイトルにあらわれた漢詩の解釈と、動きのある剣術の描写が、作品のスケールを広げている。何よりも登場人物が人間としてしっかり描かれていることを評価したい。」
雨 宮 由 希 夫 「『青山に在り』は幕末の川越藩を舞台とした作品で、川越藩筆頭家老小 河 原 左宮の息子・左京を主人公とする。「青山に在り」には、今いる場所を死所と定めて尊く生きよ、という教えが込められている。家老の子である左京には百姓の時蔵という瓜 二 つの友がいるが、二人は実は双子の兄弟だったという設定。武州世直し一 揆 、農兵部隊の創設と長州征伐から戊 辰 戦 争 への時代背景にそって成長していく、いわば幕末青春歴史時代小説であるが、いささか作り過ぎの感があるのは否めない。」
この選評を参考にしながら読み取って欲しいポイントについて書いていく。何故なら本書は、作者が次のステージへ上がるための重要な位置づけを持った作品であるからだ。二〇一四年以降に手掛けた文庫書下ろしの「更紗屋おりん雛形帖」シリーズが、画期的成功を収め、以降、人気シリーズを連発し、有力な書き手として期待されていた。当然、単行本分野でも新たな飛躍を証明できるような作品が求められていたわけである。
第一は、父と子の関係である。作者にとっては未踏のテーマと言っていい。この普遍的なテーマを描くためには適切な舞台を必要とする。そもそも時代小説とは、「歴史の場を借りて、人々の生きる姿勢を描いたもの」である。歴史の場を借りることにより、作家は、既成の枠に
第二は、身分制度への挑戦である。幕藩体制の論理対人間の論理という対決の図式〝身分の壁をどう越えるか〟は、時代小説家が挑戦し続けてきたテーマと言える。幕末は幕藩体制が
作者は、このための布石を二つ打っている。一つ目は、「序章」に注目して欲しい。物騒な世情を反映して、農民が武術を習う姿が描かれ、その結果として、百姓
二つ目は、左京と時蔵を双子としたことである。この設定は安易で安っぽいと感じられてしまう危険性を有している。それを承知で踏み込んだ。左京は筆頭家老に育てられ、時蔵は貧しい農家で育った。幕藩体制下では決定的な格差と言っていい。しかし、当初は時蔵に優越することに快さを感じた左京だが、父に己の未熟さを諭される。
「身分の違いはあれど、人の器というものはそれとは別のものだ。そなたはもうそのことが分かるな」
左京は時蔵から人間として大切なことは何かを学ぶ。ここに時蔵の
第三は、古典の引用についてである。作者はデビュー以降、和歌を始めとした古典の引用を得意技として駆使してきた。古典に
例えば本書では、
生きて盛 世 に逢 ふに何事をか憂ふる
家青山に在り道自 づから尊し
という漢詩の一節が使用されている。左宮が座右の銘としているものである。左宮はこの一節に独自の解釈を施して、己の生きざまとすべく日々努力している。
「今、己がいる場所を死所と定めて生きるならば、その道はおのずから正しく尊いものになる。そこを死所と定めて懸命に生きよ、憂うる暇はない」
これが本書の命の綱となる。物語の進行に伴って太く堅固なものとなり、レベルを押し上げ、吸引力を増していく。恐らくこのセリフは、
もう一つ『
以上、読み取って欲しいポイントについて書いてきたが、作品全体を通して言えることは、着想の鋭さ、題材のオリジナリティ、人物造形の確かさ、重厚さを増した歴史観、絶妙な展開、時代小説だからこそ込められる現代へのメッセージ等、簡単に言えば小説作法の腕が飛躍的に伸びているということである。
これは、以降の『酔芙蓉』(講談社)、『天穹の船』(KADOKAWA)、『星月夜の鬼子母神』(集英社文庫)の三作品が証明している。
特に、『天穹の船』の和歌の使い方は、国宝級の価値を持っている。本書と共にじっくり味わってもらいたい。
作品紹介
青山に在り
著者 篠 綾子
定価: 902円(本体820円+税)
発売日:2021年11月20日
幕末の世の人々の絆と生き様を鮮やかに描き出した、青春時代小説の傑作!
学問と剣術、いずれにも長けた川越藩国家老の息子、小河原左京。彼はある日、城下の村にある道場で自分と瓜二つな農民の少年、時蔵に出会う。一度は互いの出自を疑うが、次第に身分の差を超えた友情を育み、平穏な青春を過ごす2人。しかし世間は世直し一揆や農兵の導入に揺れ、激動の時代を迎えつつあった。そんな中ある武士が2人の眼前に現れ、彼らの出自を疑い、その姿を執拗に追うようになる。彼の狙いはいったい何なのか――。美しい川越を舞台に、幕末の人々の生き様を鮮やかに描き出した傑作時代長編。
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