角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
東山彰良『夜汐』
東山彰良『夜汐』文庫巻末解説
解説
一時期、わたしのファンというかフォロワーというか、まあ、そういう
あまり付き合いのない出版社からデビュー作が送られてきて、帯のコピーなりあらすじなどを読むとそうとしか思えない。
自分も好きな作家がおり、そうした人たちが書くようなものを自分も書きたいと思って小説を書きはじめたので、まあそういうことなのだろうとは思ったが、それだけだった。
まだ海のものとも山のものともつかぬ新人のデビュー作にいちいち付き合う気にもなれず、読まずに書棚に入れておいた。
しかし、その感覚は裏切られた。
荒削りでさほど面白くない。ただ、文章は輝いていた。新人作家としてはぬきんでていたと言ってもいい。
「こいつ、いずれものになるかもな」
読後、そんなことを思い、しかし、それっきり忘れた。
後日、文壇のパーティで顔を合わせ、以降、どこかで会えば会話を交わすようにはなった。だが、送られてくる新作を読むことはなかった。
次に東山の小説を読むことになったのは、
数年ぶりに読む彼の小説は、文章の上手さに磨きがかかっていた。候補作の中でもダントツだ。だが、小説の中身はまだまだ荒い。それでも、わたしはこの作品を受賞作に推した。他の候補作のレベルが低かったからだ。
他の選考委員もわたしと同じように感じたのだろう。『路傍』は満場一致で大藪春彦賞受賞作となった。
その夜、受賞の
「おまえ、もっと考えて書けよ。おれたちがどれだけ考えてると思ってるんだ」
もったいないと思ったのだ。飛び抜けた才能があるのに、それを生かしきれていない。
東山がわたしの言葉をどう受け取ったかは定かではない。しかし、数年後には直木賞を受賞し、売れっ子作家の仲間入りを果たすことになる。
やっと、考えて小説を書くようになったのだな。おれにはいくら感謝してもし足りないだろう。
東山の活躍が耳に入ると、わたしはそう思ったものだ。
その東山が珍しく、文庫の解説を書いてくれと言ってきた。
それで送られてきたのが本書『
一読して、自分の本読みとしての目は間違っていなかったのだなと確信した。デビュー作と『路傍』で感じた才能は本物だったのだ。
本書は生と死についての物語である。
幕末という舞台設定、
生きることは
東山はそう書いている。
主人公の生は汚泥に
しかし、生が辛く苦しかった分だけ、死は救いであるかもしれない。満ち足りて死んでいく人間もいるかもしれない。
もし、神のような存在がいるとして、その神に祝福される死だってあるかもしれない。
死を忌み嫌うのは人間だけである。
拙作に『少年と犬』という作品がある。タイトルが示すように、ある犬が物語の要をなす。
犬を飼っている多くの人が、ラストで犬が死ぬかと思うと辛くて最後まで読めないと訴えてきたものだ。
なぜ死が辛いのだろうか。
あの小説の犬は、満ち足りて死んでいくのだ。無条件の愛を貫いて死んでいくのだ。わたしはそういう死を書きたかったのだ。
読みもせずに辛い、悲しいと言う。それは実際の死に対しても同じだろう。実際に死んだこともないのに、我々人類は死を忌み嫌い、恐れる。
だが、本当に死は苦しいだけのものだろうか。辛いだけのものだろうか。悲しいだけのものなのだろうか。
むろん、辛く苦しく悲しい死の方が圧倒的に多いのだろう。だが、それがすべてだと言い切ることができるだろうか。
与えられた生を全うし、やるべきことをやり遂げた末の死は少なくとも悲しいだけではないのではないか。
満ち足りて、潔く受け入れる死もあるのではないか。
本書の主人公は
汚れに汚れた体と心で生き続け、最後の最後に一瞬だけ自分を照らした光に手を伸ばし、手に入れ、死を受け入れる。
だからこそ、彼の生は切なく悲しく、彼の死は美しい。
東山はその見事な文章力で人というみすぼらしい種の生と死を描ききったのだ。
本当にいい書き手になったなあ。おれのおかげだなあ。
新型コロナ禍が収束したら、また九州に遊びに行くから、その時はクエ
これはおれには珍しい、最高の褒め言葉だぞ。
作品紹介
夜汐
著者 東山 彰良
定価: 748円(本体680円+税)
発売日:2021年10月21日
直木賞作家・東山彰良 描くは幕末を駆け抜けた梟雄集団、新選組!
やくざ者の蓮八は遊女に身を落とした幼なじみを助けるため、無宿人たちの賭場を急襲した。報復のために差し向けられたのは、謎に包まれた無敵の殺し屋・夜汐。蓮八は身を隠すため、新選組隊士となるが……。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322105000227/
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