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【解説】虫太郎の特性がそれぞれに純化し、結晶化した宝石――『夢殿殺人事件』小栗虫太郎【文庫巻末解説:竹本健治】

小栗虫太郎『夢殿殺人事件』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!



小栗虫太郎『夢殿殺人事件』文庫巻末解説

解説
たけもと けん(作家)

 ぐりむしろうは雌伏時代の昭和二(一九二七)年に、いったんせいしち名義でしゆんようどう発行の機関紙「探偵趣味」に「る検事の遺書」を発表しているが、実質的なデビューは「完全犯罪」が「新青年」に発表された昭和八(一九三三)年といっていいだろう。この経緯については、虫太郎が執筆した「完全犯罪」を中学の先輩というだけで一面識もなかったこうさぶろうに原稿を送り、感服した甲賀はそれを「新青年」編集長のみずたにじゆんに送ったものの、しばらく放置されていたが、たまたまよこみぞせいが結核によるかつけつで雑誌掲載が不可能になったので、甲賀から送られていた原稿を思い出して読んだところ、これはと驚嘆し、きゆうきよ穴埋めという以上に大きく掲載されたという有名なエピソードがある。
 ちなみに横溝は「世にこれほど強力なピンチヒッターがまたとあろうか。私が健康であったとしても、『完全犯罪』ほど魅力ある傑作を書く自信はなかった」と、のちに述懐している。
 そうしてデビューした同じ年に、虫太郎は早くも「後光殺人事件」を発表した。のりみずりんろうシリーズのスタートである。さらに同じ年に「聖アレキセイ寺院の惨劇」、翌昭和九年には「夢殿殺人事件」「失楽園殺人事件」に続けて、長編『黒死館殺人事件』の連載を開始し、終了させているからすさまじい勢いだ。
 刑事弁護士・法水麟太郎のシリーズは『黒死館殺人事件』『二十世紀鉄仮面』の長編二編と短編八編の総計十編が書かれており、この集にはそのうち短編六篇が収録されている。虫太郎は〈著者之序〉で「『黒死館殺人事件』の完成によって、それまで発表した幾つかの短編は、いずれも、路傍の雑草の如く、哀れ果敢はかないものになってしまった」と書いているが、いやいやどうして、これらの法水短編群も単なる『黒死館』の切り抜きではなく、虫太郎の特性がそれぞれに純化し、結晶化した宝石にもたとえられるべきだろう。
 虫太郎は戦後まもない昭和二十一(一九四六)年二月にのういつけつで急死しているので、作家としての活躍期間はわずか十三年。その間、ゴシック趣味あふれる超論理ミステリ、奇想天外な伝奇ロマン、また『人外魔境』シリーズに代表される秘境探検記と、様ざまな分野にわたって書き続けた。
 そのなかでも、虫太郎の独自性が最も遺憾なく発揮されているのが、初期の法水ものに代表される超論理ミステリであることは、おおかたの見解が一致するところだろうし、筆者がこよなく偏愛するのもまたこれらである。いやはや、とにかく、どれもこれも頭オカシイですって。
 ここで少し歴史を振り返っておこう。ミステリというジャンルはゴシック小説と犯罪実話という二つの系譜を根っことして発生したことが多くの歴史家・研究家によって指摘されている。それ故にミステリは閉鎖空間への志向(密室劇性)と開放空間への志向(都市小説性)を本来的に併せ持っているといってよく、そのことはミステリという形式を意識的に確立してみせたエドガー・アラン・ポーから既に明確に見て取れる。
 短編においてミステリの形式を完成させたのがコナン・ドイルだったが、その後、E・C・ベントリーらによって長編のスタイルも完成されていき、一九二〇年のアガサ・クリスティの『スタイルズ荘の怪事件』とF・W・クロフツの『たる』によっていよいよ黄金期の幕が開くという順序だ。
 遅れて一九二六年に登場したのがS・S・ヴァン・ダインだった(我が国では横溝正史が一九二一年、がわらんが一九二三年に既にデビューしている点に注意!)。エラリー・クイーンが一九二九年、ジョン・ディクスン・カーが一九三〇年デビューで、特にクイーンはヴァン・ダインを強く意識している。
 さて、日本でヴァン・ダインの登場にシビれ、特に甚大な影響を受けた作家がはまろうと小栗虫太郎だった。浜尾は「私の如きは一生の中、ヴァン・ダインの諸作の一つに比すべきものを一つ書いてもそれでもういいと思っている」とまで心酔し、理念的な共感を大作『殺人鬼』に結実させたが、虫太郎がシビれ、イカレたのはもっぱらダインの大きな特徴であるげんがく趣味だった。そのひとつの典型として、『グリーン家殺人事件』のとある一節を引用しよう。

「場違いの本がまぎれこんでいる」私は、その声の調子でヴァンスが躍る心をおさえているのを知った。「これらの本は、ほかの部門にはいるものだ。それに少しく乱雑にここに詰めこんである。ほこりりもまるでついていない。……ね、マーカム。ここにも、君の懐疑的な法律魂にとっての暗合があるよ。この表題を読みあげるから、聞きたまえ。アレクザンダー・ウィンター・ブリスの『毒物゠その効果と検出』、グラスゴウ大学法医学教授ジョン・グレースターの『法医学、毒物学、公衆衛生教科書』、それに、フリードリッヒ・ブリュゲルマンの『Uberユーベル Hystericheヒステリツシエ Dämmerzuständeデメルツステンデ(ヒステリー性夢遊病について)』と、シュワルツワルドの『Uberユーベル Hysteroヒステロ-Paralyseパラリーゼ undウント Somnamゾムナム-bulismusブリスマス(ヒステリー性麻痺と夢中遊行症)』もある。──ねえ、ひどく変だよ……」(井上勇訳)

 こうした箇所にふれたときの虫太郎の内奥の資質や趣味こうがざわざわと呼び覚まされ、何やら叫び出したいほどに心拍がこうしんするさまが手に取るように想像できる。俺ならこれをもっと徹底して増幅し、眼もくらむようなレベルに引きあげることができるという、身を焦がすような自負とともに、だ。
 そもそもゴシック小説のきもは、特定の空間に付帯する磁場がそこに取りこまれた人間の精神や行動や運命を支配し、ほんろうするところにある。そして衒学的な知識やぞうけいを過飽和なまでに羅列することによって磁場をゆがめ、どんな超論理をも成立させ得る空間を作りあげたのは虫太郎の大発見・大発明だった。これなくしてゴシック・ミステリの頂点たる『黒死館殺人事件』は構築し得なかったし、まずもって構想すらし得なかっただろう。
 そしてさらに、この法水もの自体も、発表順に眺めてみると、『黒死館殺人事件』以後の「オフェリヤ殺し」あたりから徐々に伝奇ロマンへの傾斜がにじし、それが最も前面に出た『二十世紀鉄仮面』においては、法水麟太郎が『黒死館』のときとは全く別人と思わせるほど性格から何から変わってしまっているのが面白い。先ほどミステリに内在する閉鎖空間への志向と開放空間への志向について書いたが、この変化がまさにそのことと重なっており、虫太郎という作家の振り幅の大きさを表わしている。
 はてさて、最後に法水もの以外の一編も推薦しておこう。「白蟻」という中編だ。読んでも読んでも何が書かれているのかよく分からず、ただひたすらにせ返らんばかりの濃厚な瘴気にまつわりつかれるが如き読み味は『黒死館』以上だろう。虫太郎本人もかなりのお気に入りだったらしい。現在は入手しにくいようだが、『黒死館』を専制支配する十九世紀的な人間機械論から懸命に脱却しようとした虫太郎なりの苦闘の記録として、強くお薦めしたい。

作品紹介



書 名: 夢殿殺人事件
著 者:小栗虫太郎
発売日:2024年11月25日

「黒死館殺人事件」でおなじみの刑事弁護士・法水麟太郎が活躍!
北多摩の尼寺・寂光庵。夢殿とよばれる密室にて、推摩居士は殺されていた。夢殿の2階へ続く階段の壁に直立した血みどろの屍体は、体中の血を全て抜かれ、両上腕と両腰にはそれぞれ梵字形の傷が刻まれていた。そして、3階の孔雀明王の大画幅の前からは巨鳥の趾跡が……。庵主に依頼された刑事弁護士・法水麟太郎は、事件解決に乗り出す(「夢殿殺人事件」)。「黒死館殺人事件」でおなじみの名探偵が活躍する傑作短編集。解説・竹本健治

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