文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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(解説:
そんなときに本文庫の復刊は、生々しく鼓動するレアな心臓をポーンと中空から投げ込まれたような感触がある。どれを読んでも空疎な言葉はひとつもない。血の通った人間の誠実で切実で実感的な思考と正確に選びとられた言葉たちは、不安と恐怖に侵食されつつあるいまの私たちの精神をしかるべき位置にもどそうとするはずだ。
これらの作品が二十歳を過ぎて間もない無名の一青年によって書かれ、思いがけない場所から放たれたことに、いまさらながら驚きを禁じ得ない。しかもその小説は近代の作家たちがさまざまに取り組んできたテーマと手法を正統に受け継いでおり、同じこの世にあるものとは即座に理解できかねるような出来事を物語りながら、読む者の心を
「今日のような世の万人に、人生と生命に
それはなぜか。生命の根源にたいする深い絶望と生存への強い願望、この二律背反する自我に
彼の肉体と精神を苦しめたのは、そのむかし
とりわけ代表作の「いのちの初夜」の完成度は高くて、暗いとか悲惨とかそういった上辺の印象論など軽やかに粉砕して、眠りかけていた私たちの実存の底をはげしく揺さぶってくる。
ともに暮らす病者にしか見たり触ったりできぬ院内の日常を北條は生きていたし、顔が崩れ、盲目となり、手足も切断せざるを得なくなって
ここで言い添えておかなければならないのは、川端康成と北條の関係である。この世(一般社会)とあの世(療養所)ほどの隔たりに両者はありながら、北條は原稿をつぎつぎに書きあげて川端に送り、川端はいちいち丁寧に読んで返事を書いている。発表にかなうものは雑誌に発表した。それだけではない。たびたび激励の手紙を出し、原稿用紙や現金の世話までしてやっている。生前唯一の単行本となった小説集『いのちの初夜』も川端の尽力で創元社から出版され、著作権管理者でもある川端が増刷のたびに検印した。葬儀の日には療養所を訪れ、
きびしい禁圧の時代、こうしたふたりの
川端は最初の手紙を北條から受けとったあと、専門医のもとを訪れ、ハンセン病は極めて感染力の弱い伝染病であるという説明を受けている。死者の骨からも
さて、北條はいまではもう幻の作家ではなくなっている。実名も故郷の町の名も公表されている。それは生誕百年にあたる二〇一四年のことで、二十三歳の死から七十七年が経過していた。彼の故郷である徳島県
作家。阿南市下大野町(しもおおのちよう)出身の七條(しちじょう)林三郎の次男として、父の勤務地であった朝鮮の京城で生まれた。本名は七條晃司(てるじ)。
名前は「てるじ」と読む。実父の名前まで明記したところに、彼の存在を幻のまま終わらせはしないという行政・七條家双方の強い意志が感じられるだろう。いまもなお実名を名乗れぬ元患者が数多くあるなかで、人権問題には及び腰になりがちな行政側からの熱意によって公表への道をたどるという極めてまれな手続きを経て、あんなに望郷の念にかられていた彼の霊魂は、ようやく故郷の土に安息できたのではなかろうか。
実父が遺骨を持ち帰り、故郷の墓所に実名を刻んで小さな墓を建てたのは、発病後除籍したことへの罪滅ぼしの気持ちからであったろうが、戦後しばらくして、ある研究家によって墓影が雑誌に載り、嘆き悲しんだ実父は名前を墓石から削りとってしまった。四半世紀まえ、はじめてそこを訪れたときには、一基の集合墓にまとめられてその墓は確認できなかったが、彼が暮らした古い家も裏庭の
阿南市はつづけて一回きりの設定で北條民雄文学賞を創設し、広く一般の人びとから作品を募集した。正賞に選ばれたのは二十三歳の森
昨年、阿南市は徳島文学協会と合同で北條の命日を「民雄忌」と定め、
(二〇二〇年十月二十二日記)
付記 巻末の年譜は株式会社 飛島新社(当時)の山口泰生君が『火花 北条民雄の生涯』のために作成したものを参考に再構成した。記して謝意としたい。
年譜
大正三年(一九一四) 〇歳
九月二二日、陸軍経理部配属の軍人を父に、朝鮮京城府(現在のソウル)で生まれる。三つちがいの兄がいた。
大正四年(一九一五) 一歳
七月、母の急病死により、両親の郷里徳島県那賀郡に暮らす母方の祖父母にあずけられる。
大正六年(一九一七) 三歳
年初、父が退役によって帰郷、父と継母に引きとられる。
大正八年(一九一九) 五歳
三月八日、全生病院で、ガリ版刷り文芸誌『山桜』が創刊。
大正一〇年(一九二一) 七歳
四月、郷里の尋常高等小学校尋常科に入学。
昭和二年(一九二七) 一三歳
四月、同小学校高等科に進む。
四月、同小学校高等科に進む。
兄が肺結核で入院。
昭和四年(一九二九) 一五歳
三月、高等科卒業。三月一五日、山本宣治、渡辺政之輔合同労農葬に参加。四月六日、上京。その後、日本橋の薬問屋や亀戸の工場などで働き、夜間学校にも通う。この年、小林多喜二『不在地主』に強い影響を受ける。
昭和五年(一九三〇) 一六歳
春、ハンセン病の兆候が現れる。
昭和六年(一九三一) 一七歳
夏、城東区亀戸町(現在の江東区)に転居。一一月九日、兄危篤の報を受け帰郷。
昭和七年(一九三二) 一八歳
二月二三日、友人を伴い、家族に無断で上京。三月三日、日立製作所亀戸工場の臨時工員となる。四月下旬、徳島の実家に帰る。六月、葉山嘉樹に文学志望の手紙を書き返事をもらう。九月頃、友人らとプロレタリア文学同人誌『黒潮』を創刊、短編「サディストと蟻」を掲載するが警察に回収され、次号をまたず廃刊。一〇月、家族と別居。一一月、一七歳の遠縁の女性と結婚。
昭和八年(一九三三) 一九歳
二月、足の麻痺をはっきりと自覚、ハンセン病の疑いが強まるなか、妻と別離。三月、徳島市の病院でハンセン病の告知を受ける。一一月、三度目の上京、蒲田区大崎(現在の品川区)の従兄宅寄寓、その後亀戸の駒田家に下宿。この年、東京帝大文学部に籍を置く光岡良二が、全生病院に入院。
昭和九年(一九三四) 二〇歳
入院前、蒲田区町屋町に転居、陰鬱な生活を送る。五月上旬、親友と華厳滝への自殺行。親友だけが自殺。五月一八日、父に伴われ、全生病院に入院。七月号『山桜』に、小品「童貞記」を寄稿、以後同誌に作品を次々と発表。八月、別れた妻の死を知る。八月一一日、川端康成への最初の手紙を書く。九月、「一週間」などの執筆にとりかかる。また、上京した父と面会。一〇月、川端より好意的な返書を受け取る。一一月六日、熱瘤のため、重病室に入室(一五日間)。一二月八日、院内の山桜出版部に文選工として就職。
昭和一〇年(一九三五) 二一歳
一月三一日、入院後はじめての外泊に東京へ行く。二月、東條耿一、麓花冷、於泉信夫ら四名と「文学サークル」を結成。五月号『山桜』で「文学サークル結成記念」の特集、掌編「白痴」を寄稿。五月一二日、「間木老人」の原稿を川端に送る。五月三〇日、山桜出版部を辞める。六月、「晩秋」の原稿を書きはじめる(未完)。一〇月、「最初の一夜」の執筆をはじめる。一一月一四日、「間木老人」(筆名秩父號一)を掲載した『文學界』一一月号が手元に届く。一二月一五日、「最初の一夜」を清書し、川端に送る。
昭和一一年(一九三六) 二二歳
二月号「最初の一夜」が川端の手で「いのちの初夜」と改題され『文學界』に掲載、「文學界賞」を受賞。二月五日、東京・本郷の文圃堂を訪れ、式場俊三に会う。その後店員大内の案内で銀座に行き、横光利一、河上徹太郎と対面。二月六日、文圃堂の伊藤近三の案内で鎌倉へ行き、駅前の蕎麦屋にて川端、林房雄と最初で最後の面会を果たす。同日帰院。六月一〇日、二週間の外出許可を取り、文圃堂に文學界賞賞金の残りをもらいに行くが、かなわず。六月一六日、神戸から徳島行の汽船に乗り、生前最後の帰郷、父と会う。六月二三日、三笠書房版『トルストイ全集』をたずさえ帰院。六月二八日、昭和一一年度下半期予定表を机に貼りつける。夏、体調を崩し体力が衰えるなか、「危機」を執筆(川端が「癩院受胎」と改題)。また、川端より作品集出版の話を知らされる。九月号「眼帯記」(『文學界』)。一〇月号「癩院記録」(『改造』)。一〇月、中村光夫の文芸時評を契機に彼との文通が始まる。一二月号「癩家族」(『文藝春秋』)、「続癩院記録」(『改造』)。一二月三日、生前唯一の作品集『いのちの初夜』を創元社より出版。初刷二千五百部、一円五十銭。一二月三〇日、激しい神経痛に襲われ、年明けにかけて床につく。
昭和一二年(一九三七) 二三歳
一月一七日、精神科医、式場隆三郎と面会。一月二九日、七号病室(重病室)に入室、翌月一四日まで出られず。三月六日、一時帰省の名目で外出、神戸まで行くがついに帰省せず神戸、大阪、東京を放浪。四月号「重病室日誌」(『文學界』)。四月一三日、「道化芝居」の原稿が完成。検閲、推敲ののち川端に送る。六月半ば、腸結核が悪化し、著しく体調を崩しはじめる。七月五日、川端に体調の悪化を知らせる書簡をしたためる。夏、最後の小説「望郷歌」を執筆。九月二五日、九号病室(重病室)に入室。翌月はじめまで日記原稿を執筆。一一月初旬、光岡に求婚の仲介をたのむ。一一月半ば、東條、民雄の担当医より彼の深刻な病状を知らされる。一一月二六日、創元社東京支店長、小林茂に宛てて見舞いの返礼、これが最後の手紙となる。一二月号「続重病室日誌」(『文學界』)、「望郷歌」(『文藝春秋』)。一二月五日、早暁、九号病室にて息を引きとる。午後、川端が小林茂とともに弔問、亡骸と友人らに面会。一二月六日、父が来院し、遺骨を持ち帰る。
昭和一三年(一九三八)
一月、『いのちの初夜』一四版を重ねる。二月号 光岡「北條民雄の人と生活」、東條「臨終記」(『文學界』)。四月号「吹雪の産声」(『文學界』)、「道化芝居」(『中央公論』)。四月、川端康成編纂『北條民雄全集』上巻、創元社より刊行。六月、『全集』下巻刊行。
▼北條民雄『いのちの初夜』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322009000317/