文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:北上 次郎 / 文芸評論家)
最初にお断りしておくが、実は私、
じゃあ、どうしてそういうやつがこの小説の解説を書くんだよ、と疑問を持つ方がいるかもしれないが、そういう人にはこう言っておきたい。おっしゃる通りだ、と。まあ、少しずつそのわけを書いていくので、しばしお待ちを。
まず、これから片づける。深町秋生のデビュー作『果てしなき渇き』の文庫解説だ。
「有名な評論家でさえ、この文体はついていけない、読めないと公言したほどの問題作」
だったというのだが、ここに出てくる「評論家」とは私のことである。池上はこのあと、その『ホワイト・ジャズ』を褒めたのは自分とのちの
この書き方だと、世間一般が『ホワイト・ジャズ』の文体に拒絶反応を示したのに(その代表例として某評論家の言葉を引用)、自分とのちの馳星周だけは認めた、というふうに受け取れる。おいおい、それはないだろ。
いや、池上と馳星周がいち早くエルロイを認めた、というのはかまわない。そんなことはどうでもいいことなので、いくらでも自慢していただきたい。私が言いたいのはそんなところに私を出さないでほしい、ということだ。というのは当時、『ホワイト・ジャズ』の文体に文句をつけた書評を読んだ記憶がないのだ。当時すでにエルロイはカルト作家であったので、文句をつけるのは、何というのか、ちょっと勇気がいる。私は『ホワイト・ジャズ』を10ページでやめた人間なのだが、それを書くときに、ためらった記憶がある。こんなことを書いてもいいのかなと。みんながそう思っているのなら、誰もが文句をつけていたのなら、そんなふうには思わないはずだから、それは間違いないと思う。
『ホワイト・ジャズ』を10ページでやめたというのは、私の読書の幅が狭いことの表れであり、けっして自慢できることではないが、あの文体は読めない、ということの上に私はいるのであり、それを明確にしたかったのだ。だからそれを逆に言われると、大変に困る。逆とは何か。くどいようだが繰り返す。池上の書き方だと、北上次郎は世間一般の受け取り方と同じだったということになるのだ。
『ホワイト・ジャズ』が傑作かどうかという話ではない。この作品をめぐる反応の話だ。私の褒める翻訳ミステリーが、週刊文春の傑作ミステリーベスト10や、このミスのベストにこの40年、ほとんど入らないという事実があるのに、お前は世間一般と同じだと言われるのは大変に困るという話である。世間と微妙にズレている、ということこそ、私の
13年前に出た文庫の解説について、いまごろ何を言っているのかと思われる方もいるかもしれないが、以上のことは機会があればどこかに書くつもりであったけれど、とりたててイチャモンをつけたいということではなかった。その機会がきちゃった、というにすぎない。で、次は『果てしなき渇き』だ。この長編がエルロイの影響下にあることは否定できないが(しかし、『ホワイト・ジャズ』の極端な文体はここにない。池上の解説はこのあたりも
それと同じことが『果てしなき渇き』にも言えるのである。つまり私は、こういう小説を好きではないのだ。エルロイが嫌いで、『不夜城』も好きではないやつが、『果てしなき渇き』を面白く読めるわけがない。ずいぶん昔、山形で初めて深町秋生に会ったとき、「君のデビュー作はよくわからなかったなあ」と言ったのは、あの作品は嫌いだと本人に直接は言いにくかったからだ。私だって結構気を使っているのである。
深町秋生作品との最初の出会いがそうであったので、その後の作品をフォローすることもなく、そういうやつがなぜ本書を手に取ったのか、いまでもわからない。『果てしなき渇き』から12年がたっていたが、これが実に面白かった。当時の新刊評の一部を引く。
凄まじい小説だ。帯に「先鋭化した暴力団に潜入した警官」とあるので、潜入ものであることは最初から明らかにされている。となると、その正体がいつ露見するのか、そういうサスペンスが中心になっていくのかと思うところだが、そんなことはどうでもよくなってくるほど、エグい場面が頻出する。なにしろ、潜入捜査官兼高昭吾が弟分を連れて沖縄へ飛び、ターゲットを惨殺するところから始まる小説なのである。さすがに兼高昭吾は一人になってから、激しく嘔吐するが、慣れというのは恐ろしく、そのうちに兼高昭吾は嘔吐もしなくなる。つまり、正体が露見するのかしないのか、ということは本書の場合、たいした問題ではない。もっと違うことが問題になるということだが、ネタばらしになるのでこれ以上の紹介は控えたい。
いや、ホントに驚く展開だ。
『果てしなき渇き』とその文庫解説について一度書いておきたかったという動機はあるにせよ、『ヘルドッグス 地獄の犬たち』しか読まずに本書の解説を書くのも何なので、深町秋生の過去の作品をこれを機会に三作読んだことも触れておく。
深町秋生の「いい読者」である知人に三作選んでもらったのである。それが、『アウトバーン』『探偵は女手ひとつ』『ドッグ・メーカー』だ。この中では、「シングルマザー探偵の事件日誌」と副題の付いた『探偵は女手ひとつ』が群を抜いている。いや、断然、私好みだ、ということだ。
二〇一六年に光文社から刊行された連作集だが、深町秋生がこういう作品を書くとは思ってもいなかった。好みでいえば、この連作集が本書よりも好き。『ヘルドッグス 地獄の犬たち』の文庫解説だというのに、そんなことを書いてもいいのかね。ま、いいや。本書を読み終えたら、ぜひ『探偵は女手ひとつ』(光文社文庫)をお読みください。深町秋生の作家としての幅の広さと才能の奥行きがここにある。
なんといっても
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