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日本ホラー小説大賞の全選考委員も大絶賛、いきなり映画化決定の大型新人デビュー作!『ぼぎわんが、来る』

 一九九四年の第一回から二○一七年の第二十四回までのあいだ、大賞受賞作が出たのは十二回。つまり、平均すれば二年に一度しか大賞が出ていない――日本ホラー小説大賞とは、それほどハードルが高い新人賞である。ところが、この賞の歴史では異例なことに、予選の時点で極めて評価が高く、最終選考では全選考委員(この回は綾辻行人(あやつじゆきと)貴志祐介(きしゆうすけ)宮部(みやべ)みゆき)に絶賛され、文句なしの大賞受賞作となった作品がある。それが第二十二回受賞作となった、澤村伊智の『ぼぎわんが、来る』(二○一五年十月、KADOKAWAより刊行)だ。その評価に釣り合うように、本書は近年のホラー小説界では飛び抜けた話題作となった。
 驚くべきは、これが著者にとって初めて書いた長篇、そして初めて書いたホラーであるということだ。著者の澤村伊智は、一九七九年、大阪府生まれ。大阪大学を卒業後、出版社に勤めるが、二○一二年に退職しフリーライターとなった。著者が小説を書くようになった事情は少々風変わりだ――小学校時代の友人から、知り合いが趣味で書いた百四十枚くらいの小説の感想を訊かれた際、つまらなかったので(けな)す批評を書きかけたものの、ワンテーマで百四十枚も書けている時点でその書き手に水をあけられているのではないかと気づき、自分でも書いてみようと思ったのがきっかけだったのだ(因みに、初めて書いた小説はOLを主人公とする純文学的な短篇だったという)。そして二○一五年、第二十二回日本ホラー小説大賞に応募した長篇「ぼぎわん」(澤村電磁(でんじ)名義)で見事に受賞、タイトルを『ぼぎわんが、来る』と変えてデビューを果たした。ライターをしていたということは、文章を書くのにある程度慣れていたと推測されるとはいえ、初長篇でのいきなりの受賞は異例であり、まさに大型新人と呼ぶに相応(ふさわ)しい。
 では、ここで本書の導入部を紹介したい。
 会社員の田原秀樹(たはらひでき)には不気味な記憶があった――小学生の頃、祖父母の家の玄関越しに声をかけてきた謎の訪問者の記憶。認知症の祖父はその時だけ正気を取り戻し、訪問者に「帰れ!」と怒鳴りつけた。その祖父が亡くなった時、通夜の席で祖母は、祖父の地元に伝わっていたという、絶対に答えたり、家に入れたりしてはいけない化物について口にした。その名は〝ぼぎわん〟――そして歳月は流れ、祖母もまた何かを恐れながらこの世を去る。
 愛する妻・香奈(かな)の臨月が近づいた頃、秀樹の会社に謎の訪問者があった。取り次いだ後輩の高梨(たかなし)によると、訪問者は誕生を目前にした娘につける予定の、知紗(ちさ)という名前を出したという。誰にも教えていない娘の名前を何故……。しかも、高梨は謎の傷が原因で会社に来なくなった。その後も、秀樹の周囲では奇怪な出来事が相次ぐ。それらは〝ぼぎわん〟の仕業なのか。家族を守るため秀樹は伝手(つて)を辿り、オカルト系ライターの野崎昆(のざきこん)と、その知人である比嘉真琴(ひがまこと)という霊媒師に出会う。
 本書は語り手が異なる三つの章から成っており、第一章「訪問者」は田原秀樹の視点で進行する。ひとりの平凡なサラリーマンの日常を、突如破壊してゆく禍々しい怪異。この第一章で、〝ぼぎわん〟なる存在の半端ではない恐ろしさが伝わってくる。そもそも正体が判然としないし、何故秀樹の周囲に出没するのかも謎に包まれている。パワフルで凶暴なだけでなく、執念深く、しかも接近のたびに知恵をつけるという〝頭脳派〟の怪異である点も怖い。霊能者たちが〝ぼぎわん〟に(おび)え、あるいは返り討ちに遭ってゆく展開も、その無敵ぶりを強調してやまない。その正体に関する、海外にまで(さかのぼ)る民俗学的考察も、いかにも実在するかのような説得力を(にじ)ませる。物語の骨格自体は、目新しさを売りにしているわけではなく、むしろ古典的でさえある。例えば、怪異から呼びかけられても答えてはいけない――という設定は、この種の怪談ではお約束と言っていいが、それをこんなにモダンな印象のホラーに仕上げてみせた(さじ)加減は絶賛に値する。
 怖さの演出効果において秀逸なのが、〝ぼぎわん〟という、見ただけでは意味が全くわからない不気味なネーミングだ。本書と登場人物が共通するシリーズである『ずうのめ人形』(二○一六年)の〝ずうのめ〟、『ししりばの家』(二○一七年)の〝ししりば〟のように、著者は得体の知れない単語で恐怖や不安を醸成するのが得意であり、これは独自の強みと言える。
 本書の特色は、構成の妙味にもある。既に触れたように本書は三つの章で視点人物が異なるのだが、どの人物も(そして他の登場人物たちも)他の章では全く異なる印象で描かれており、主観と客観の落差が読者に大きな衝撃を与えるのだ。
 この意外性の演出は、著者がホラーだけではなくミステリの技法も体得していることの表れなのだ。『ずうのめ人形』や『ししりばの家』は同じシリーズながら、本書以上にミステリ的な仕掛けと意外性が強調されている。また、著者自身がモデルらしき主人公が登場する『恐怖小説 キリカ』(二○一七年)は、導入部はスティーヴン・キングの『ミザリー』を想起させるが、実は竹本健治(たけもとけんじ)の「ウロボロス」三部作や三津田信三(みつだしんぞう)の幾つかの作品を彷彿(ほうふつ)させるような、メタフィクション性の強いミステリとしても読める。本書を初めて読んだ時点では、意外性の演出に長けていることは認めつつ、著者の中にミステリへの志向が存在しているかどうかについては判断を保留したけれども、現在では著者が稀有(けう)なホラー作家であると同時に、優れたミステリ作家でもあると断言して差し支えないと思っている。
 そして、この主観と客観の差異を利用したどんでん返しによって、古来の伝承と、現代的かつ普遍的な問題とが結びつき、ひいては〝ぼぎわん〟の正体が解ける仕組みとなっているのだから、つくづく巧いと感嘆するしかない。本書に限った話ではなく、著者の小説では、恐ろしいのは怪異そのものに限らない。怪異を生み、あるいは招き入れる人間の心もまたおぞましさに満ちている。そうした怨念や自己正当化や劣等感など――言ってみればひとの心に生まれる隙間の描き方でも、著者は無類の切れ味を見せるのである。
 第三章「部外者」では、手の打ちようがないほどに猛威を振るう怪異〝ぼぎわん〟に対抗し得る最強の女性霊能者がいよいよ本領を発揮するが、そのキャラクター設定は、敢えてリアリティを無視しつつ、選評で綾辻行人が指摘したように「作品の〝物語内現実〟として(たの)しく受け入れられるよう、造形やエピソードに小気味の良い工夫が凝らされて」おり、痛快さを感じるほどである。
 著者は小学生の頃から怪談、ホラーに慣れ親しみ、特に岡本綺堂(おかもときどう)を敬愛しているという。初長篇ということを感じさせない構成と語り口の洗練は、そのような読書体験を見事に自分の血肉と変えていることを証明している。先人の生んだ傑作群に対する意識的言及は、デビュー作ということもあってか本書では抑え気味だけれども、『ずうのめ人形』では鈴木光司(すずきこうじ)リング』や小野不由美(おのふゆみ)残穢(ざんえ)』といった名作への言及が物語と切り離せない。著者の作品は、いい意味で「ホラーや怪談やミステリを読みすぎたひとの小説」であり、それらのジャンルの読者の心理を掌握しているからこそ、恐怖やサプライズをこれほど自在に演出できるのだろう。
 デビュー時点で既に老巧な印象さえあった著者が、今後どれだけ凄みのある作家に化けてゆくのかを考えると、それこそ恐ろしい――いや楽しみではないか。

 
>>映画「来る」公式サイト


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