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レビュー

ジャーナリストの執念がつかんだ、「広島のマザー・テレサ」の真実。一切謎に包まれていた圧倒的な善行の動機に迫り、偶像を求め、作り、弄ぶ時代を撃つ渾身のルポ!! 秋山千佳『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』

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(評者:安田浩一 / ジャーナリスト)


 池に石が投げ込まれた。メディアが追いかけるのは水面に浮かぶ波紋だ。池の淵で記者は騒ぐ。波紋の大きさや形状を大声で報じる。
 だが、皆が立ち去ったあとの静かな池に、ひとり、舞い戻った者がいる。その人物は池の中に入っていく。ずぶ濡れになりながら、池底に沈んだ石を拾い上げた。
 本書の著者・秋山千佳さんのことだ。投げ込まれた石の重みにこそ意味があることを知っている。浮かび上がった波紋に目を奪われず、視界に映ることのない深淵に飛び込んでいく。慎重に、ゆっくりと、足元を念入りに確かめながら──。読後の余韻が長引くのは、秋山さんの執念ともいうべき取材が、人間の輪郭をしっかりと描いていたからだ。
「広島のマザー・テレサ」と呼ばれる女性がいる。中本忠子ちかこさん。多くの人からは「ばっちゃん」の通称で慕われている。
「ばっちゃん」の日常は、まさに聖人そのものだ。家庭や学校に居場所のない子どもや社会に弾かれた大人にも食事を提供する活動を40年近くも続けている。
 きっかけは、シンナー吸引をやめることのできない子どもとの出会いだった。「腹減ってるのが紛れる」。それがシンナーを手放さない理由だった。
 満足に食事することのできない子どもの存在を知って、「ばっちゃん」はショックを受ける。以来、行き場をなくした子どもたちを自宅に呼び寄せては食事をふるまうようになった。
 秋山さんは、まず、「ばっちゃん」のもとに集まる子どもたちの背景に迫る。
 様々な事情を抱えた子どもが「ばっちゃん」の自宅に出入りしていた。
 親が薬物中毒だったり、刑務所で服役中だったりするケースは珍しくない。親の暴力やネグレクトから逃れて来る子もいる。本書には、小学生のころから覚せい剤を親に打たれていた子も登場する。そして、誰もが腹を空かせていた。
 そんな子どもたちに「ばっちゃん」は腕によりをかけた料理を無償で提供する。相手が口を開くまで事情など聞かない。説教もしない。とにかく子どもたちの空腹を埋めることだけを考えている。
 万引きすることで飢えをしのいでいた子どもたちは熱い味噌汁をすすりながら、そこでようやく人のやさしさに触れる。
 壮絶な人生を背負った子どもたちと、無償の愛で支える「ばっちゃん」。それだけでも十分に「物語」が成立する。凡百の記者であれば、そこで筆を擱くだろう。実際、秋山さんも一度は美談でまとめた記事を週刊誌で発表した。
 だが──秋山さんのなかで、小さな疑問が染みついて離れない。なぜに「ばっちゃん」は、そこまで人のために尽くすことができるのか。取材ノートを読み返してみても、「ばっちゃん」の活動の動機がはっきりしない。「ばっちゃん」に直接訊ねてみても笑ってはぐらかされるばかりだった。
 多くの人に持ち上げられ、メディアで称賛され、ますます"聖人化"していく「ばっちゃん」の姿を見ながら、秋山さんはさらに取材を重ねていく。
「ばっちゃん」はなぜ、動機を明確に語らないのか。いったい何を隠しているのか、何を抱えているのか。
 後半、謎解きのためのあらたな旅がはじまる。
 そう、秋山さんは沈んだ石をつかむために、暗い池の中へ、時代の闇へと足を進めていくのだ。そして池底に手が届いたとき、秋山さんが触れたのは、"業"に満ちたひとりの女性の生きざまだった。善行の背景には、あまりに人間くさい、「ばっちゃん」の真実があった。
 舞台となるのは広島市の中心部に位置する基町だ。70年代まで、ここは"原爆スラム"と呼ばれるバラック街だった。いまでは市営アパートが建ち並ぶこの町を、私も何度か取材で訪ねている。
 原爆で吹き飛ばされ、生き延びるために人が集まり、行政の力で地ならしされた。そんな町だ。基町には広島の戦後という時間が凝縮されている。「ばっちゃん」の人生は、そこに重なる。
 秋山さんの冷静な筆致から浮かび上がるのは、そうした混沌の中でもがく、時代と人間のせつなくなるような情念だった。

ご購入はこちら▶秋山千佳『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』| KADOKAWA
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広島のマザー・テレサとマスコミに祭り上げられた「ばっちゃん」こと中本忠子。その真の姿と思いに迫る【秋山千佳『実像』】


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