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レビュー

大阪に潜入して、大根とキャベツと人参を始末!? 残酷でコミカルな新感覚スパイ小説『猟犬の國』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:北上 次郎 / 文芸評論家)

 とても不思議な小説だ。帯には「スパイ小説」とあるのだが、スパイ小説らしくないのだ。なにしろ、「チームは何人おんのや?」「近畿局から監視が一人」「少なっ、やる気あるんか」「やかましい。四の五の言わんと、さっさと行きなはれ」と大阪弁が飛び交うのである。こんなスパイ小説、見たことがない。
 さらに、冒頭近く、大根とキャベツと人参の写真を見るシーンがあり、その後に大根がスーツを着た男で、キャベツがタイトスカート姿の女、人参が自転車に乗った男であることはわかるが、それ以上の説明はない。人参が造船技術者で、キャベツは造船産業的に韓国か中国のスパイというのが「俺」の推理だが、それがはたして当たっているのかどうかも明らかでない。本書の続刊の『猟犬の旗』に、「野菜というのは日本の敵の事だ」とあるので、産業スパイや敵国の諜報員などを表す符丁として野菜名が用いられていることがやっとそこで判明するのだが、それでもわかるのはそれだけだ。「俺」が大阪に潜入して、大根とキャベツと人参を始末しなければいけない理由は、一つも語られないのだ。なんなんだこれ?
 本書が刊行された時に、その新刊評で私は次のように書いた。

「大阪というのは、チャンスを逃した街だ」  これだけでこの先を読みたくなる。この作者のことをまったく知らずに読み始めたのだが、ここから先は一気読みである。  日本の誇る情報機関には名前がなく、便宜上その組織は「イトウ家」と呼ばれていること。語り手はその末端の工作員で、何かの指令を受けて大阪に潜入したこと。だから大阪弁が横溢すること。語り手は下手な俳句を作っていること。そういう断片的なことが次々に明らかになるが、物語がどこへ向かうのかはなかなか見えてこない。

 続けて引く。

 この小説が気になるのは、何か隠している風情があることだ。この作者はまだ全力を出し切っていない──作者のことをまったく知らないのにこんなことを書くのも何なのだが、なぜかそんな気がするのである。

 ようするに、とても気になったのである。著者は著名なゲームデザイナーで、ライトノベルの代表作に『マージナル・オペレーション』全5巻があるというので、急いで買いに走った。これも超面白かったことを書いておく。これは軍事小説で、中央アジア、東京、タイ、ミャンマーと舞台は変わっていくが、少年少女たちが戦場で敵と戦う物語だ。私のような年代のものが読むと、ラノベふうのキャラが少し辛い箇所もあったりするが、物語そのものは圧倒的に面白い。
『猟犬の國』が刊行されたときには、『マージナル・オペレーション』の外伝である『遙か凍土のカナン』は5巻まで刊行されていたのだが(その後全7巻で完結)、そのときは時間切れでそちらまで読むことが出来なかった。今回はその『遙か凍土のカナン』全7巻を読んでみた。『マージナル・オペレーション』全5巻は圧倒的に面白いけれど、ラノベふうのキャラが年配の読者にはちょっと辛いと言ったら、そういう人には外伝のほうがいいとの事情通の弁を思い出す。本当にそうなのである。こちらにもラノベふうのキャラがないわけではないが、これくらいなら全然気にならない。なによりも日露戦争後のシベリアに、日本人、ユダヤ人、コサック、共産主義者たちの共和国を造るという壮大な話が素晴らしい。国を造るためには何が必要かということを、一つずつ丁寧に描きだしていくから、どんどん引きずり込まれていく。うまいうまい。
 ようするに、芝村裕吏は、ラノベを書いても天才的にうまい作家だが、とてもリアルな大陸冒険譚を書いても年配読者を唸らせてしまう作家なのである。

 ということでふたたび話を『猟犬の國』に戻すと、なんなんだこれ? と思ったのは冒頭の大阪潜入篇もさることながら、その後の展開がぶっ飛んでいたからである。「俺」が新人の教育係となって珍妙なコンビの話になるのだ。漫才コンビであるかのように、その掛け合いはおかしい。これが本当にスパイ小説なのか。
 しかしいちばん感服したのは、その構成である。冒頭の大阪潜入篇を想起されたい。「俺」は人参を階段から突き落とし、まだ息があるのを確かめてから首を曲げて即死させる。大根への対し方はもう少し複雑だ。後ろから近づいて首を絞め上げ頸動脈を圧迫させて気絶させ、腕にたっぷりの酒を注射し、そのあとで手を口に突っ込んで嘔吐させるのである。これで喉に詰まって死ぬんだそうだ。しかしもっとも残虐なのは、キャベツの殺し方だ。喉をつぶしてから酒を注射し、部屋の風呂に沈めて薬品で骨まで溶かして流すのである。事を終えてもそのまま三か月をその街で過ごすというのが残酷だ。事件と一緒にいなくなったら怪しまれるとの事情はあるのだが、ここに殺しのプロの残忍性が潜んでいる。「俺」はこのように平気で残忍な殺しを実行するプロなのである。それを冒頭に読者に示しているのだ。そのあとで始まるのが、前記の漫才コンビ譚であることに留意したい。
 つまり表面上ではコミカルなやりとりが展開するので、ユーモラスなおふざけ小説のように見えるけれど、その底には大阪潜入篇の残酷な殺しの側面が潜んでいる、ということだ。それがリアルな現実の写し絵のように思えてくるのは、この構成のためにほかならない。つまりこの著者、「ただのネズミではない」ということだ。物語の表層に漂うコミカルな装いに騙されると本質を見失ってしまうだろう。ここではその1点のみを指摘しておきたい。
 続刊の『猟犬の旗』では、おばちゃんスパイとの壮絶なアクションが読ませるので、この作家、まだまだ奥があると見た。ぜひぜひ、このシリーズの続刊を期待したい。


ご購入&試し読みはこちら▶芝村 裕吏『猟犬の國』


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