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レビュー

宇宙のなかに人生などいっさい無だ!ちっぽけなごみなのだ!――それでもなお生きる意味を問う『火の鳥4』

解題 『火の鳥』のテーマが凝縮された鳳凰ほうおう

   中野晴行

混乱の時代を生きたふたりの仏師

「鳳凰編」は、『COM』1969年8月号から70年9月号に連載された。
 舞台になるのは、8世紀半ばの天平てんぴょう年間。都が奈良に置かれた奈良時代の最盛期に当たり、聖武天皇の詔によって国分寺、国分尼寺の造営が行われた時代だ。さらに総国分寺として位置づけられた東大寺には大仏の建立もはじまる。
 しかし、社会的には極めて不安定な時代で、天然痘が流行し内裏の中枢を支えていた藤原武智麻呂むちまろ房前ふささき宇合うまかい麻呂まろの兄弟が相次いで亡くなったことで藤原氏の力が衰え、それまで比較的安定していた政治的なバランスは崩れることになった。
 大宰府に赴任させられた藤原宇合の長男・広嗣ひろつぐがクーデターを起こして失敗するなど政局の混乱が続く。
 天候不順や自然災害も続いた。干魃かんばつによる飢饉や地震が庶民を苦しめたのだ。「鳳凰編」にはその苦しみもしっかりと描かれている。
 聖武天皇はこの国難を、自らが信仰する「金光明最勝王経」の教えによって乗り切ろうとして、国分寺、国分尼寺の造営を進めたのだった。
 動乱の天平年間を生きたふたりの仏師の対照的な生涯を追いながら、「生きるとは、死とは何か」と問うのが本編である。
 不幸な生い立ちに育ち、盗賊として悪行の限りを尽くした我王がおうは、猿田彦さるたひこの血を引く者だ。彼が背負う宿命は猿田彦の血を引く者たち全てに課せられた業だ。我王を旅の供として、一心に仏を彫らせることでその業から救うのが、旅の僧・良弁ろうべんである。
 もうひとりの仏師・茜丸あかねまるは、才能に恵まれた一種のエリートだ。彼は、鳳凰を彫ることを権力者・橘諸兄もろえに命じられ、権力の専横に反発しながらも火の鳥の伝説を追って「黎明編」「ヤマト編」の舞台でもある西国へと向かう。旅の途中に宿無しの少女・ブチと出会った茜丸は、彼女をモデルに観音菩薩を彫り上げるまでの無心の心境に至るが、その後、橘諸兄のライバル・吉備真備きびのまきびに救われて権力の側に身を置いてしまうと、ついには権力を笠に着た横暴な人間になって、我王から仏を彫るための腕を奪うに至る。
 ふたりの仏師やブチは物語の中の架空の人物だが、この作品の中には多くの歴史上の人物が登場する。
 それどころか、作中に登場する鬼瓦おにがわらのモデルも東大寺には保存されている。

作中人物の実像と虚像

 我王と旅を続ける僧・良弁は、東大寺を開山した僧で、689年に生まれ、774年に亡くなっている。
 東大寺に伝わる『東大寺要録』によれば、近江おうみの国で生まれ、幼い時に大ワシにさらわれて、奈良まで運ばれ、大きな杉の木に引っ掛っていたところ、通りかかった法相ほっそう宗の名僧・義淵ぎえんに救われ修行を積んだ。のちに、全国を行脚し、30年後に母と再会した。
 これが東大寺二月堂の良弁杉の由来である。ただし、生まれたのは近江の国ではなく相模さがみの国の鎌倉付近という説もあって判然とはしない。
 橘諸兄は684年生まれの皇族。先に書いた藤原四兄弟の死をきっかけに頭角を現し、聖武天皇の信任もあつく、749年には正一位に叙せられた。
 生きているうちに正一位に叙せられた人物は日本の歴史上、聖武天皇の母・藤原宮子みやこ、聖武天皇のあとを継いだ孝謙こうけん天皇を支えた藤原仲麻呂なかまろ光仁こうにん天皇の擁立に力を発揮した藤原永手ながてら6人しかいない。
 吉備真備は、吉備きびの国(いまの岡山県と広島県東部)の地方豪族の出身。716年に阿倍仲麻呂たちとともに遣唐留学生として中国に渡り、さまざまな学問を修めた。帰朝後は、聖武天皇やその妻の光明こうみょう皇后の寵愛を受け、橘諸兄が政権を握るとブレーンとしても活躍した。また、のちの孝謙天皇の教育係も務めている。当時の地方豪族出身としては異例の出世を遂げた人物である。
 マンガの中での描かれ方はそれぞれがデフォルメされて、史実とはかなり違っているが、そこがフィクションの面白みでもある。

手塚治虫の死生観・宗教観

 架空の人物と実在の人物が入り乱れる壮大な人間ドラマの中で手塚が語ろうとしたのは、歴史の裏側ではない。我王と茜丸がどんな人生を送ったか、それが正しかったかどうかの問題でもない。
 我王も茜丸も、良弁も橘諸兄も吉備真備も……彼らの生き死には、宇宙から微小な原子の世界までを含めて連綿と続く生と死のドラマの中では、ごくごく小さな出来事に過ぎないということだ。手塚は宇宙規模での巨大な輪廻の輪の中での個々の命の小ささと、それでもなお生きることの意味をこの作品の中で描こうとしたのだ。
 手塚マンガの中に描かれる死生観や宗教観が、明確に示された作品として、この「鳳凰編」は重要な意味を持っている。
 実は「鳳凰編」には、火の鳥が直接登場人物たちの前に出てくるシーンがないのだ。茜丸が火の鳥の姿を求めて西国に行くときも、かつてのように火の山に鳥が現れるわけではない。火の鳥は我王や茜丸の夢の中に登場するだけだ。唯一、登場人物の前に描かれているのは、茜丸が死んでいく場面。しかし、もはや茜丸は炎に焼かれてしまっているのだ。
 実体としての火の鳥をあえて描かなかったのは、手塚治虫がこれまで火の鳥にシンボライズすることで描こうとしていたテーマをより深く掘り下げようとしたから、と考えることができる。
 それが、死生観であり宗教観だったのだ。
 良弁が、身元を引き受けたばかりの我王に教える「輪廻」。正倉院で鳳凰の絵を前に眠ってしまった茜丸の夢の中で、火の鳥が語り聞かせる「輪廻」の物語。そして、鬼瓦を作るために仕事場にこもった我王が見る、彼の子孫たちの最後の姿……。そこにはもちろんあの猿田博士も登場する。彼もまた、我王の輪廻の行先のひとつ。
 即身仏となった良弁を前に、我王が悟をひらく場面は、発表当時、多くのマンガファンの間で語りぐさになった。
 我王の叫ぶ「生きる? 死ぬ? それがなんだというんだ 宇宙のなかに 人生など いっさい無だ! ちっぽけなごみなのだ!」という言葉は、『火の鳥』全体を包括する重要なメッセージになっていたからだ。

『火の鳥』の中での意味

 姿を消した我王はこののち、12世紀後半の平安末期を舞台にした「乱世編」にも重要な役割で登場する。単純に計算しても我王は400年以上生きていることになる。本編では彼が火の鳥の生き血を吸う場面はないが、どこかで火の鳥と出会ったのかもしれない。
 また、後続の「太陽編」は「鳳凰編」のおよそ70年前、672年に起きた壬申の乱前後と近未来を交互に描く物語になっている。
 過去のパートには、日本に古来から暮らす神々と、海を越えて大陸からやってきた新しい神々(仏教)の対立が描かれる。
 その中で、海の彼方かなたから来た神の尖兵せんぺいとして登場するのが、仏教の守護神・帝釈天たいしゃくてんに仕える持国天じこくてん増長天ぞうじょうてん広目天こうもくてん多聞天たもんてんの四天王だ。初めに紹介した聖武天皇が信仰する「金光明最勝王経」は、この経を受持し広く読誦する人民と、それを尊重し讃歎する王のもとに四天王が現れて国を守る、と教えている。聖武天皇もこの教えに従って、仏への帰依の気持ちを表すために、国分寺や大仏の造営を進めたのである。
 「太陽編」を読んでからもう一度「鳳凰編」を読み返すと新たな発見があることを付け加えておきたい。


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