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レビュー

桜木紫乃が描く“創作の苦しみ”――傷だらけになりながら家族の秘密を書こうともがく新人小説家の物語『砂上』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:あら / 書店員)

「砂上」は、書けても恥、書けなくても恥でした。

 書店の店頭に飾る色紙に、桜木紫乃さんが書き添えた一文だ。

砂上』の中にも《「砂上」という物語は、柊令央の生き恥だった》という一文がある。柊令央が「砂上」を書き上げるまでを、桜木紫乃が『砂上』という小説にした、という構造なのだ。すると、小説を書く二人に共通点を見出したくなるのが人情ってものらしい。だが、この解説では「柊令央は桜木紫乃なのか」とか、「編集者とのやり取りは実話なのか」とか、そういった検証は一切行わないので、期待されている方には、先にお断りしておく。ネタバレがあるかないかと聞かれれば、ないと答えるが、本文より先に読むことで、なにがしかの影響はあるかもしれない。全くないのだとすれば、それはそれで解説として問題のような気もする。しかし、読まなくても、全く問題はない。実際私は、知らない人が書いた文庫解説など、たいてい読んでいない。どんな小説も、読んだあなただけのものだ。



 私は昔から、他人の喜怒哀楽を理解できても、共感することは滅多にない。そんな人間が、カリスマ書店員で御座いと店頭に立ち、多くの人が共感を求める「小説」を販売しているのである。一方、20代の女優が「メガネ型拡大鏡」をかけて、堂々と微笑む広告もある。加齢による目の衰えがない彼女は、それを必要とする人の悩みに、共感することはできない。しかし、その商品が優れている点を理解し、誠実な広告塔になることは可能だ、と私は思うのだ。アパートに住みながらタワーマンションを売ることも、男性作家が女性視点で物語を書くことも、全く不自然でも不自由なことでもない。想像力が必要であればあるほど仕事は面白く、そこから生まれる発見も大きい。「共感できました!」が小説にとって最上の褒め言葉になることにも、私は疑問を抱く。「全く共感できない」「自分とはかけ離れている」そういう部分こそが、むしろ小説の美味しいところではないだろうか。幸運なことに、私にとっては、ほぼ全ての登場人物に「共感できません!」。

 私は行きがかり上、芥川賞・直木賞と同日に、自分が読んで一番面白かった本を「新井賞」として発表し続けており、『砂上』は第7回の受賞作である。店頭に立っていると、受賞作を読んだお客様に話し掛けられることが多いのだが、この作品については、どうやら何かを伝えたいようだが、ほとんど言葉になっていない感想ばかりだった。なんたる名誉。最高の反応ではないか。心が縦にも横にも動かなければ、わざわざ私に声を掛けることもないだろう。何かを感じたから、誰かに伝えたいのだ。だがそれは手軽な「共感」などではなく、うまく別の言葉で言い換えることもできない。
《屈託とか|葛かつとうとか、簡単な二字熟語でおさまらない話が読みたいんですよね》作中の言葉が喉まで出かかる。お客様、そういう話が読みたかったんですよね?

 若くして主人公の令央を生んだミオは、何事にも動じない、不思議に明るい人物だ。そのせいで、何を考えているのか、何も考えていないのかもわからない。しかも物語は、彼女が60で唐突に亡くなった直後から始まっているため、ますますもって、謎に包まれている。肝心の令央も、ミオをわかっているとは言いがたく、一緒に暮らしていたのに、死別を悲しんでいる風もない。そんな令央は、別れた夫から入金される月5万の慰謝料がなければ、生活が立ちゆかない40歳の女性である。小説を書き続けるも、応募した賞には引っかからない。そこで焦ったり、自己嫌悪に陥ったりすれば共感を呼ぶこともあるかもしれないが、そういった思考はなさそうである。この小説には、ろくな男が一人も登場しないし、柊家のもう一人の娘・美利に関しては、かなり特殊な生い立ちであり、令央との距離はミオよりも遠い。ミオが亡くなって、ようやくLINEを交換したくらいである。そして極めつけが、編集者の小川乙三だ。「共感」などという熟語をうっかり使えば、言葉の武器でこてんぱんにられるだろう。たとえ小説家ではなくても、舌を嚙んで死にたくなるような正論で評価を下す彼女は、相手の恥の在処ありかを瞬時に見抜く力があるのかもしれない。それこそ命を削るようにして書いた小説を、あっさり叩き落とされたその時だけは、さすがの私も令央に肩入れしたくなる。しかしそれは共感ではなく、同情だ。

 令央が雑誌のエッセイ大賞に応募した作品は、最優秀を逃したものの、優秀賞に選ばれた。それを読み、もののついでとはいえ、はるばる北海道の江別まで会いに来てくださった編集者、小川乙三からの、ありがたい言葉を聞いてください。どうぞ。

主体性のなさって、文章に出ますよね

 何かを期待したのが馬鹿だったのか。いや、するだろう、さすがに。言われると、言われる前には死ぬまで戻れない呪いの言葉というのがある。「主体性」を気にすれば気にするほど自らの意思が輪郭を失い、ますます「主体性」が消えていく。とにかく、褒められているわけではないだろう。しかし、わざわざ喧嘩を売りに来たわけでもあるまい。一体どういうつもりなのか。わからない女といえば、小川乙三の右に出る者はいないのだった。それだけに、私の心には令央よりもずっと、彼女が強く印象に残っていた。

 だが、単行本発売から3年経ち、改めて読み返してみると、あらゆる人間関係が希薄で、鈍感で、いい年こいても上手く生きるすべを見つけられない、見つけようともしない令央は、自分とそっくりだった。気付けば年齢も、令央と同じ40になろうとしている。令央に感じる苛立ちや好もしさが、彼女に共感できる故だとすれば、それはあまり気持ちのいいものではなかった。乙三の言葉はそっくりそのまま私を突き刺し、美利が令央に感じるもどかしさを否定できない。それでも自分は、変わろうとしない。私はなぜこの小説を「面白い」と思ったのか。己の愚かさを見るようで不愉快なのに、どこか爽快で、読めば読むほど、わからなくなるのだった。

 ここまで書いて、私の筆は止まった。今まで何度か文庫解説を書いたことはあるが、こんなにしんどいのは初めてである。自分のエッセイ集ですら、するすると3冊も書き上げた。どうせ私の本当なんて、誰にもわからないだろう、と高をくくって、本当のことを平気で書いた。そもそも本当なんて、あるようでないものだと思っている。だから、編集者や読者のどんな反応も私の心を傷付けることはなかった。

 初めて会った令央に、乙三が落としていった爆弾がもうひとつある。

このひと精神的に決定的なダメージを受けたこともなければ、友達もいないんじゃないかって思ったんです

「砂上」の原型となる、過去の応募作を読み、面白かったと評した上で、この言葉だ。もちろん、だから積極的にダメージを受けろとか、友達を作れという話ではないだろう。ものを書く上では、それすらも、面白いのではないか。令央は変わらなくても、変わってもいい。とりあえず死にさえしなければ、どんなことだって書ける。書けたことは、面白いことに変わる。何度も読み返すうちに、そういうことではないだろうか、と私の思考は勝手に飛躍していったのだ。

 私がずっと感じていた、埋まることのない自分自身との距離が、書くということでずいぶん肯定されてきたことに気付く。喜びも悲しみもどこか他人事で、「自分」を見ている自分が消えることのない人生。それは愉快で、退屈することがなかった。

 令央は何故「砂上」を書き上げたのか。それは、砂の上に立った令央を見て、それぞれが勝手に想像することだ。それにしてもあんな変な女、共感などできるわけがない。私は私なりの答えを見つけ、やっぱりどう考えても、この小説はクソ面白い、という結論に至った。

 以上、小川乙三の言葉を胸に刻み、「主体性」を心がけて書かせていただいた、私なりの解説だ。期待通りのものではなかっただろうが、期待通りのものなんて、どうぞご自分でお書きください。

桜木紫乃『砂上』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322002001001/


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